死を想う

きっかけをくれるのは、昔、同じ部署で仕事をしたり、頻繁にではなかったが、登山やリレーマラソンに一緒に出たり、たまには飲みに行ったりしていたアイツである。
それは、鏡を通して見れば生を想う行為に近い。何が言いたいかっていうと、アイツは死んで、俺は生きてるっていうこと。
不慮の事故に巻き込まれたアイツは、知床の冷たい海に投げ出され、戻った身体は冷たくなってしまった。一緒な空間で確かに生きていた奴がまさか、あっけなく死んじまうなんて。
生きていりゃ、嫌なことも多いし、心配ごととか義務も増えてくる。やりたくない仕事のことを考えざるを得ない時は、休日も憂鬱なことがある。
でも、生きていないアイツと比べたらどんなにかマシなんじゃねえかって思う。優越感とかじゃなくて、生きていりゃ、とりあえずマシなんだってことをアイツが教えてくれるってことなのだ。俺の余暇なんて、かなりくだらない時間を多く過ごしている。YouTubeでチャーハン炒めてる動画を延々見るとか、西成区の怪しい動画見てたら30分経ってたとか好みのイヤらしい動画を見つけるために2時間かけるとか。
アイツもそこそこ、くだらないことが好きだった。知床ツアーにひとり旅なんてのも、なかなか酔狂じゃないか。だから、俺のくだらない余暇の過ごし方だって理解してくれるだろう。
生前は世話になったが、死後はいろいろとアイツに教えてもらってる。ありがとうな。

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