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面前DVは心理的虐待ということを初めて知りました(私の生育歴を振り返る) 

 自分の生育歴を振り返り、個人的に思うことを綴ります。(自分の心の整理の為に書いてます。拙いうえに超長文ですので、それでもという方のみ読んで下さい)
 

 私は子育て中のアラフィフ女性で、私の両親は、離れた他県に住み、敷地内で別居している。離婚はしてない。

 時折、母親宅には子どもと夫で連れ立って行くことはあるが、かれこれ10年以上私は父親の住む家を訪れておらず、父親からも連絡はない。

 まず私が会いたいと思わない。そして、父親と接触すると、母親が喜ばないうえに私を咎める。孫を可愛がって幸せな思いになる権利がないから会わすなという主旨の言葉で私に怒りをぶつけるので、面倒くさくなり、もう義理でも父親と顔を合わすことも無くなった。

 一般的な家庭で育った方々から見ると、冷たい人間だ親不孝だなどと思われてもおかしくないと分かっている。

 しかし、この現状は、私の両親の作った家庭に原因があるのだ。

 その家庭で両親から受けた影響について書きたいと思う。

 物心ついた頃から私の両親の夫婦仲は最悪だった。(今は別居してるので接点少なく、まだマシ)
 口論が絶えず、父親は物を投げたり母親に暴力を振るったりした。また母親は、執拗に父親を責め立てる人だった。何か母親が口を開けば、その先に何が起こるのか分かるのにそれを回避することはできなかった。私と妹は泣きながらやめてと言った。しかし止むことはなく、それは繰り返し繰り返し日々起こって、解決策も救いもなかった。

 幼心にあったのは、まずは恐怖。そして絶望。やがて、小学生になった頃、真夜中に家から逃げ出して、暗闇の物陰で涙と動悸が収まるのをじっと待つようになった。そして、車のライトが通り過ぎるのを怖いような、それが何か救いの光のような、でも見つかってはいけないという変な心持ちで眺めてじっとしていた。
 今思うと、犯罪者に会わなくて幸いだったと思う。

 こういうのが機能不全家族で育ったと言うのかもしれないと最近聞いたことある言葉が思い浮かんだ。(どうやら面前DVという児童虐待にもあたるのだそう。今日初めてTwitterのとても可哀想な2歳児のお子さんのお母さんの投稿から知った。)

 母親は、私に、文武両道でピアノやテニス等の習い事でも周囲に自慢できる優秀な娘でいることを要求して、褒め言葉ではなく叱責やプレッシャーを与えるのが最善と思っているような人物であった。常に完璧を求めた。

 そして、父親は家族を含め周囲の人間に無関心で、何か言われるとすぐさま暴力に訴える人物であった。それを見て泣く子どものことは、勿論気にも留めない。

 子どもへの愛情がひとかけらもなかった訳ではないと思う…多分…

 でも、心を病んだ私と妹の思春期以降は本当にめちゃくちゃになった。

 心療内科通いや薬無しでいられない状態が長く続いたことと、こうした家庭環境が無関係とは思われない。


 母親はというと良くも悪くも彼女は強い人だった。心療内科にお世話になる必要はなかった。しかし、代わりに自分の夫や義母との間のストレスを吐き出す為に、彼らを罵る同じ話を何度も何度も朝まで、私に聞かせて寝かせなかったりした。

 私は、それでも聞いてあげることでいつか彼女の傷が少しずつ癒えるのではないかと思っていた。いつかこんな苦行は終わるのだ、いつか離婚して母親は自分の幸せを感じられるようになるのだと信じて付き合ってきた。だが、その時は来なさそうだ。

 何度も何度も私は彼女に、私達子どものことは気にしないで離婚してくれと言った。

 正直に言おう。そう勧めたのは、母親の延々と続く地獄のループのような話に付き合わされることから解放されると期待したからだ。
 また、過去の辛い話を聞いて、幼少からの自分の傷に繰り返し塩を塗られるような痛みを感じるのも限界だったからだ。

 
 彼女にとって私は何だろうとよく思う。

 私は、40代後半に入った時、事務の仕事をしてたのを辞めて、専門学校に通うことにしたのだが、そのことを母親に告げた時のことを思い出す。
 その時、彼女は何を学びに行くのかは一切聞かず、何でそんないい会社を辞めるんだと私を強く責め、今からでも専門学校は諦められないのかと詰問した。
 勤務先がテレビCMで流れるような有名な会社だったので、周囲に自慢してたのが出来なくなると思ったのかもしれない。
 
 鍼灸マッサージ師の専門学校に入って2年以上が経つが、未だに何の専門学校か聞かれないし、話題にも出さないところからして、母親はそこには無関心なようだ。

 
 そんな母親であっても、もし父親と離婚していたら、私達姉妹にはもう少し違う人生があったのではと考えてしまうことが度々ある。もう少し楽に生きられたのではないかと思うのだ。

 心身共に健康に戻れるのか分からない状態の妹のことを想う。そして、地球上にきっとたくさんいる傷ついた子ども達、そのまま大人になって心を病んだ人達の事を想う。

 私達のように、若しくはそれ以上に過酷な家庭で日常的に不安や恐怖に苛まれながら育つ子どもたちは、残念ながら確実にいるだろう。

 暴力は直接的であれ間接的であれ、肉体的であれ精神的であれ、心を壊してしまうほどの恐ろしい影響を与える。

 しかも、外からは両親が揃って子育てしてる一見普通の家庭に見えたりもするので、内情が見えづらいのも問題点だ。

 傷ついた存在に私は何ができるだろう。

 鍼灸マッサージ師として、そういう傷を負った方々に施術で貢献したいという想いが私には強くある。
 
心身一如という言葉があり、私は実際に鍼治療で、全身を整えてもらって身体から健康になり、心にも希望が戻ってきた体験をしている。

 東洋医学の心にも与える素晴らしい癒しを沢山の人に体験して欲しいと望む。
 私はそれができる鍼灸マッサージ師になるつもりだ。

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