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ミーティング

本部へメールで送ったいくつかの報告に、回答がない。
よくある事だと主任に言われて気長に待って、はや一週間。
「それ、見てないんじゃない?」
ハヤくんが、沈んだ声で私に言った。

ハヤくんは、今夏の最中に入職した私に相談員の業務を教えてくれた前任者で、夏の終わりにこの世を去った。
年齢こそひと回りも下だったけれど、物腰穏やかで仕事が丁寧で、たくさんの人から信頼されていた。
信頼、というか、なまじパソコン操作ができてしまうばかりに用事を頼まれて任されて押し付けられて残業続き、持ち帰り仕事もたまにあるような状況で疲れてしまったのではないかというのに、まだ未練があるのだろう、彼はまだ私たちが働く職場にいて、利用者さんに寄り添ったり、ファイルに目を通したりしている。

「さかきさん?今日、俺そっちへ行くから。用事入ってる?」
「いえ、空いてます」
「良かった、じゃあ午後にね」
本部の事務長へメール確認の電話をかけようとしたら、ちょうどその事務長から電話がかかってきた。
私のメモを覗き込んで、ハヤくんがふーん、と頷いた。
「午後からいらっしゃるそうです」
「そうですか」
ハヤくんは生前から、私が取る電話をいつも気にかけてくれている。
私は電話中、メモを取るようにしているが、それは自分のためだけではなく、ハヤくんに伝えて指示を仰ぐためのものでもある。ハヤくんの指導を受けていた時からの習慣だ。
尤も、最近は慣れてきたから、指導を受けることもほとんどないが。
「メールの話が出て来なかったんですか?」
「はい。せっかくいらっしゃるなら、メールの全文と確認事項に必要な資料は刷っておきます」
「しゃーないですね」
ハヤくんが、手を後ろで組んで、うーんと胸を張った。

本部の事務長は忙しいから、なかなかこちらへ足を運んでもらえることはない。
ハヤくんが辞めてから、仕事の効率化とか業務改善とかいう方向で、色々相談はしているので、なるべく来てもらいたいということは主任から何度も伝えているそうだ。
それで今日は午後イチで来てくれることになった。
前回の面談で、戻る時間が決まっていることが分かったので、伝えたいことは紙にまとめておくのが1番いいと思い、資料を用意して待った。
「ハヤくんは、事務長とはしょっちゅう会っていたわけじゃないんですよね?」
「ないですね」
「書類の内容とかの相談は、受けてくれてたんですか?」
「えーっと、ほぼ全部、メールでやり取りしてましたね」
「ほぼ全部…」
こちらへは来ることがあまりなかったようで、指示を受けたくても受けられないことが多かったようだ。
だから、ハヤくんは自分で相談員業務のことや法律のことなどを調べて、勉強して、自分で解決する道を選んだようだ。
だから、仕事量は膨れ上がり、自宅への持ち帰りもあったようだ。
たまに見たことのないファイルとか、遅い時間の最終更新時間がある。
最後の出勤日が最終更新日になっているファイルとか…
そして今でも、そんなファイルがたくさん残っている。

月が変わったばかりの、ハヤくんが去った哀しみが癒えないまま過ごしていたある日。
私は、担当者交代のお知らせ、と書かれたファイルがパソコンの中にあるのを見つけた。
そこには、ハヤくんが退職する日とご挨拶、後任が私になることを紹介し、今後も後任への指導をお願いしたい旨が書かれていた。
慌てて主任に見せたら、各居宅支援事業所へファクスで送るように指示があり、すぐに送った。
文章は少々手直しが必要だったが、敢えて上書き保存しなかった。

ハヤくんは用意周到だった。

こうなることを分かっていたんだろうし、いち早く私が見つけるだろうことを分かっていたに違いない。
「そりゃそうですよ、さかきさんなら、やってくれると思ってましたよ」
「全部後付けじゃないですか。結果オーライです、ギリギリ」
「いやいや…」
「だって、それまでこのパソコン、私が操作することなんてほとんどなかったじゃないですか」
苦笑する私に、ハヤくんが笑いかけた。
「主任と新人さんに、事務長が来るって伝えてきます」
「いってらっしゃい」
ハヤくんが、A3バインダーの一覧表を見ながら、鉛筆をくるくるっと回して私を見送った。

休憩の後、本部の事務長、主任、そして新人と私4人が集まり、2回目のミーティングを行った。
内容は、前回のミーティングの時に話していたことから若干方向転換があり、私たち相談員の配属は変えないものの、事務内勤は主に新人、渉外担当は私ということが指示された。

多分、新人のことは月末と月初に本部のレセプト担当がこっちに来ているので、事務長も彼女から聞いたんだと思う。

連続する後ろ向きな発言に、主任も事務長も呆れ返っていた。
でも、もう少しやってみようよ、と声をかけていた。
この人手不足の中、辞められては敵わないという判断があったのだろう。
「年明けには僕とさかきさんで、営業を始めるからね」
主任が事務長に言った。
「新人くんは事務関係でさかきさんから色々教わってね」
「はい、分かりました」
新人指導も思ったように捗らない。しかしここで、ストップさせていた新人指導を再開させて良いとお墨付きをもらったので、少しずつやっていくことになった。
「さかきさんは、営業をやっていこう」
「はい」
「さかきさんは物の考え方が前向きだから、営業に向いてると思うんだ」
主任がにこやかに私を見る。
「あのー水を差すようで恐縮なんですが」
「ん?」
「私も、人見知り強いんです…」
「じゃ質問なかったら次の議題に進もう」
「無視ですか〜」
主任がにべもなく宣言した。

私が知りたいことは、メール全文を印刷して持って行ったおかげで、ほぼ回答が得られた。
検討する、という内容もあったが、その場で回答が得られるものはすべて回答してもらえたので、結果には満足している。
「良かったですね、さかきさん」
「良かったですよ」
終わってから、ハヤくんが私の表情を見て、声をかけてくれた。何も言わなかったが、分かるほど私の表情が明るかったんだろう。
「さかきさんは事前準備に時間をかけてて、いいと思いますよ」
「やめてください、恥ずかしい字ですから。ちゃんと清書しますよ」
ハヤくんが私の走り書きのメモを見て、メモを遠ざけたり近づけたりしながら、拙い字を解読している。
「清書したって、誰も読まないですよ」
「そうなんでしょうけど」
せっかくのミーティングだし、2回目だから。
「証拠は残しておかないといけませんからね」
口を尖らせて、私がWordを開いた。

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