涙もろい私が「暁月のフィナーレ」のラストで泣かなかった理由

割引あり

暁月のフィナーレって?

『ファイナルファンタジーXIV』は、スクウェア・エニックスが開発したファイナルファンタジーシリーズのナンバリングタイトル第14作目にあたり、ファイナルファンタジーXI以来2作目のMMORPGである。

ウィキペディア

2013年からサービスを継続しており、2021年に拡張パッケージ第4弾『暁月のフィナーレ』が発売。
2013年以降描かれてきた二柱の神「ハイデリン」と「ゾディアーク」を巡るストーリーの完結編が『暁月のフィナーレ』だ。

ファイナルファンタジーXIV(以下FF14)はオンラインゲームで、大体2年半に一度程度、大型の拡張パッケージが出る。
『新生エオルゼア』『蒼天のイシュガルド』『紅蓮のリベレーター』『漆黒のヴィランズ』『暁月のフィナーレ』と5種類あり『漆黒のヴィランズ』以降のメインストーリーが特に評価が高い。泣けるし、燃えるし、マジで良い。

と、まぁ事実感想織り交ぜた文章はここまでに。

このnoteは盛大な自分語りである。知識系のnoteとか感想系のnoteですらないため、そういうのに興味ない人は良い感じにブラウザバックしてもらいたい。あと『漆黒のヴィランズ』と『暁月のフィナーレ』をまだ遊んでない人も。ネタバレを含むため、出来れば帰ってほしい。

なぜ今になって?

2021年の拡張パッケージの話を2023年の今になって書いたのは、FF14というゲームに個人的に一区切りついたからだ。
絶オメガという高難易度のレイド(ボスを倒すコンテンツのこと)をクリアした後、低空飛行でログインしたりしなかったりしつつ月額料金を払い続けていたのだが、先日ついに月額料金支払いの自動更新を切った。
FF14で出来た人間関係はありがたいことに今も続いているが、これで特段何かがなければもうFF14にはログインしないだろう。
そんな一区切りついたタイミングでようやく自分語りをする決心がついた。インターネットに浸っていると自分語りは恥ずかしいという、薄っすらした共通認識のようなものがあって、その共通認識に迎合していたのだが、まぁそろそろ良いだろうと。

あとは単純に『暁月のフィナーレ』をプレイした時の感情を忘れるんじゃないか、とそろそろ思い始めたからというのもある。

漆黒のヴィランズではバカみたいに泣いてた

さっそく自分語りなのだが、私は感情的になっている時でも「感情的な自分を俯瞰する自分」みたいなのがいる。
感動して泣いている自分を「あぁ~感動してるな~」と思って眺める自分みたいなのがいる。片方を感情的な自分、もう片方を冷静な自分とでも呼ぼうか。

「ならば魂ごと持っていけ!」

漆黒のヴィランズのこのセリフを聞いた時の冷静な自分は「これ泣かないの無理すぎるだろ~」と思っていた。感情的な自分は泣いてた。
あとは5.3とかも。最後もすごいし、個人的にはベークラグの「……だから祈るのだ。己の手が届かん領域を、せめて想いが埋めるようにな」っていうセリフまじではちゃめちゃに好き。5.3からこっち、ずっと覚えてるくらいには好き。

そんなこんなで漆黒はだいたい泣きじゃくりながらプレイしていた。

暁月のフィナーレのラストで泣かなかった理由

実は

暁月も道中では泣いた。
私の脳味噌は「感動的な雰囲気で誰かが走っているシーン」で自動的に泣くようになっている。そのため、ラザハンが終末に見舞われた際にマトシャが赤ん坊を抱えて走るシーンとか、「神々の最初の訓え」も相まって普通にボロ泣きしていた。
FF14とは関係ない話で恐縮だが、ゴッドイーター3の最後の方の「神と人と」が流れながらキャラが走ってるシーンでも泣ける人なので。

そんな私なのだが、暁月のラストシーンでは泣かなかった。
泣く、とかそういう次元の話ではなかったというのが正しいか。

私は暁月のフィナーレのラストシーンで、救われていた。

私はヘルメスでありメーティオンだった

ここからは私の幼少期とか生育環境の話にも触れながらの自分語りとなる。構成上、私の家族の話や小さい頃の身の回りの人の話にも触れる。そのため個人情報的な観点から、ワンクッション置きたい。
ということで以下を有料範囲としておく。しかし、このnoteはどこまで行っても自分語りに過ぎず、自分語りにお金を払ってもらえるほど大層な人間だとは思っていない。そのため、noteのSNSプロモーション機能を用いようと思う。「noteをリポストすれば割引or無料!」というアレだ。
間違って購入しないように高額に設定しているし、返金申請も受け付けている。

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