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case01-18 :家庭

「狩尾はわたしですが」
「…は?」

一瞬何を言っているのか分からなかった。軽く30歳ほど老けてしまったのか?いやまさかそんなわけがない。

「狩尾明代さん?」
初老の女性はふっと目を伏せると
「…もしかしてまたあの子は何かしたんですか」
と答えた。

なるほど、<母親>か。一瞬混乱してしまったがそう見るのが普通だ。恐らく狩尾の子供であろう女の子は狩尾の母親の斜め後ろに下がり、どこか冷めた目でこちらを見つめていた。肩までかかる髪とそろった前髪、何よりその澄んだ…というか冷めた目が印象的な子だ。

「こんな玄関先ではあれですから…」
と驚くほどあっさりと中へ促される。

古い扉がギィと音を鳴らして開くと、二匹の猫がお行儀よく主人の(エサ当番の?)帰りを待っていた。招かれざる客がいてもさして気にも留めない様子で、女の子の足元にすり寄る。

中は10畳ほどのリビングダイニング、6畳ほどの寝室用とみられる和室だった。家の中自体はそれほど狭い造りではないように見えたが、5箱6箱と積まれた段ボールがダイニングの側面の壁を覆うように敷き詰められているため、ひとまわり小さいような印象を受けた。

リビングにあたる部分には、日曜朝の女児向けアニメのおもちゃやシールがちゃぶ台の周りにポツポツと散らばっている。

「すみません、散らかってて。お茶飲みます?」
「ああ、自分のはあるので結構です」

長居するつもりはない、が気にせず狩尾の母がマイペースにお茶と茶菓子を用意し始めていた。(めんどくせぇな)と思いつつもその背中から目を離し、リビングに座り込む。奇妙な状況だ。

隣には赤いランドセルを放り出して、タブレットを器用に操作してゲームを始める女の子がいた。ふと、手持無沙汰から女の子の横顔に話しかける。

「何年生?」
「…4年生」

心なしか4年生にしては体格は小さく、翌月には5年生になるようにはとても見えない。

「そうか、勉強も難しくなってくるころだな。なんて名前なんだ?」
住民票を確認しているのだから既に知ってはいたが、一応聞いてみる。
「…えり」
タブレットから目を離さず、ずっと画面内で何か家のようなものを作り続けている。

「そのゲーム面白いのか?」
その子は突然タブレットからスッと距離をとり、変わらぬ冷めた目でこちらを見ると
「さぁ?」
その言葉の裏には<もう聞くな>の響きがあった。

「えり、ちゃんとご挨拶したの?」
「…した」

いそいそとダイニングからお茶と茶菓子を持ってくると、これまで何度も繰り返されたであろうやりとりを二人は始めていた。

「ああ、お構いなく。遅れましてすみません、藤嶋といいます。明代さんのお母さんで?」
「はい、何かまたご迷惑をうちの子はかけたのでしょうか」

<また>か。

「単刀直入に言いますと、明代さんにお金を貸しているんですが連絡がとれなくて困っているんですよ」
「そうなんですか?おいくらほどなんでしょう」

懐に入れてあった借用書を見せる。落ち着いた様子で細かい条項まで目を通しているところを見ると、それほどこの状況に面食らってはいないようだ。すんなりと家に入れた様子も含めて<慣れ>が見える。

「ご事情は分かりましたが、実は明代はこの家にも月に数回くらい週末にこの子に会いに帰ってくる程度なんですよ。なので、この子の世話も今は私がしていまして…」
「そうですか…いつくらいから家には帰られていないんです?そういえば旦那さんはどちらに?」
「半年くらい前からこんな感じですね。その1ヶ月前くらいからもう別居状態だったようなんですよ」

なるほど。かなり色々と裏が見えてきた。俺に最初にあった時点でもう既にこの状態にあったということだ。

「しかし別居してから1ヶ月でまだ小学生の子を置いて出ていくなんて、なかなかただ事ではないですね。何かトラブルでも?」
「いえいえいえいえ、いつものことなんですよ。ほらあの子って惚れっぽいというか、すぐ男に入れあげちゃうでしょ?また変なのに引っ掛かったんじゃないですかねぇ。まったく」
「なるほど、そういう感じなのですね」
「ほら、そこの段ボールも私の内職道具なんですよ。こっちだって楽じゃないのにほんとにあの子は!人様にまで迷惑かけて!!」
「なるほど、もう少し詳しく事情伺ってもよいですか?」

・・・
・・

話が聞こえてないわけではないはずだが、隣ではまったく表情を変えずに黙々と女の子はゲームを続けていた。

画面の中の自分の<家>を作り続けていた。

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