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10. 分天の祭り

豪華絢爛、という言葉が今日ほど似合う日も少ないだろう。
錦糸の刺繍が施された紅麻の帷子を身にまとい、客を接待する女たち。
村の若衆は早くも紹興酒が回り、千鳥足で歌い、踊る。
都市庁の高官は冠にあしらった宝石の美しさを自慢している。
ふだん贅沢には無縁の農民たちも、この日ばかりは髪を整え、化粧をし、一張羅を着こなして街に繰り出す。

帝国民にとって一年に二度だけの楽しみ、分天の祭りエクイノックスの夜がついに到来した。

正装姿のハマル神父のそばに、可憐なホワイトドレスが際立つエレナが立っている。そして、しきりに祖父の肘をひっぱって抗議していた。

「お爺さま、今日くらい自由に振舞ってはいけないの? 祭典が終わるまで大人しく列席なんて、我慢できないわ!」

「よいか、エレナ。仮にもお前は、私の血を引く唯一の人間。教区長の地位も、いずれお前が継承する。いまのうちから、自分事として私の仕事を見ておきなさい」

頬を膨らませるエレナだったが、しぶしぶ神父の後をついていった。本当はエルと行動を共にする約束をしていたのだが、神父の目を盗んで祭典を抜け出すのは至難の業だ。

ふたりが立てた計画を要約すると「待ち伏せ作戦」ということになるだろう。昼夜の長さが二等分される日の祭りに何かが起きる。その正体をめぐって議論を重ねた結果、《ヘデラ・ヘリックス》の紋章に描かれた「蔦」のモチーフにヒントを見出した。

分天の祭りエクイノックスのクライマックス、若者たちの舞が奉納されるのは、ウノ市街の中央に位置する公会場である。ここは帝国の主要な街道の結節点であり、職工たちの市場や為替銀行、大小さまざまな聖堂、旅人たちの宿場街など、商業と信仰と娯楽のための場所が渾然一体となったエリア。それゆえ、国内外から訪れる人々も多い。

緑化政策の一環に、公会場にいくつもの植物が植えられているのだが、そのなかに蔦を繁殖させるものは一つだけ。《アイビー》と呼ばれる常緑樹で、秋になれば毎日大人の男性身長ほどの蔦を伸ばす。美しく強靭な蔦紐が採れるので、網籠つくりの手工業者などからは重宝されているが、なにせ手入れが大変なので、育てる者は年々減っている。

エレナが学校の授業をさぼって公会場の植生を調べた結果、《アイビー》が植わっている木はちょうど舞台の両端を挟むような形だということがわかった。演者が舞台に立って正面を向くと《アイビー》に挟まれる構図となるわけだ。《ヘデラ・ヘリックス》が示す図像とぴったり一致する。

舞の奉納を見届け、そのときに起きる「何か」を見逃さないこと。それが、いまのふたりに出来る最善の方策だった。ユーリア人の秘密にまつわるものか、まったく意味をなさないのか、誰にもわからない。しかし、そんな不確かな秘密でも近づかねばならないほど、彼らユーリア人は追い詰められていた。

エルは、案の定エレナが神父に拘束される様を見届けて、正直ほっとしていた。
こともあろうに、人気のまばらな裏道で、エルはチンピラの集団に襲われていたからである。

「どの面下げて祭りを見に来た? ええ!?」

なされるがまま、無防備な顔面を殴られる。襟首をつかまれ、鋼鉄の柱に後頭部を打ち据えられる。頭蓋が割れるような激痛に、視界に火花が散った。

「さんざんザクセンの下僕として仕えてきて、戦争に負けそうになればガリシアに鞍替えだと? 笑わせるな。お前たちの不気味な術を活かせる場所を提供してやったのは誰だか忘れたか!」

横倒しにされたエルの下腹部を革ブーツの先端で何度も蹴りつける。エルの口から一塊の血が吐き出される。

「大……スピカ帝……」

「知っていてなぜ裏切った! この恩知らずめがあ!」

大スピカ帝は、いまから百年前にユーリア人を懐柔した新ザクセン朝の始祖である。雷撃王の恐怖アストラフォビアの後、ユーリア人の暮らす地区は長らく禁忌の地となり、自然と彼らだけの狭いコミュニティが形成されるようになった。だが、百年前に大陸を感染症の猛威が襲ったとき、同族婚を主としていたユーリア人はたちどころに死者を増やし、一時は滅亡の危機にまで追いやられた。

「我らが父・大スピカ帝は、哀れなお前たちに救いの手を差し伸べた。だが、百年の時が流れ、その恩を忘れたお前たちは、あっけなくザクセンを裏切り、ガリシアの元に走った!」

集団リンチはなおも続く。エルは抵抗をあきらめ、血だらけの顔や身体を薄闇に晒している。

公会場のあたりから、聖歌隊の歌声が響く。
同時に、ダヴル隊の軽快な打音が秋の夜を振るわせる。

「悔しけりゃやってみろ。我らの前に大人しく跪き、許しを乞え。お前たちがガリシアに取り入ったときのように、ゴメンナサイってなあ!」

母なる大地を 秋の長雨が潤すように
それは約束されたこと 
それは約束されたこと

聖歌隊の合唱が最高潮に達した、そのとき。

トドメの足蹴りが、エルの眼前に迫る。直撃すればひとたまりもない。
しかし、エルはまったく逃げようとしなかった。節度を失わず、悲しげに笑っている。

すべてのユーリア人の罰を認めるように。
自分が軍人時代に犯した罪を贖うように。
これから起きる事件を知っているように。

ドカン!!!!!!

夜空が弾けるような爆音が、ウノ市街に響き渡った。

チンピラたちは動きを止めて、裏道を出ると街の様子に目を疑った。
巨大な噴煙が公会場のあたりから立ち昇っている。あちこちで悲鳴の連鎖が巻き起こる。

「何が起きたんだ!」

たじろぐ彼らに、静かな声がゆっくりと告げた。

「革命の狼煙だよ。幸か不幸かは、さておいて」

「なんだと?」

静かな声は、ふだんと変わらない口調で続けた。

「君たちの言い分は間違ってない。たしかに俺たちユーリア人はザクセンを裏切った。だが、過去の因縁に囚われた君たちには、知りえない世界があるんだよ」

エルは、それまでの無抵抗が嘘のように、凶暴なオオカミのごとく飛びかかった。

(つづく)



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