「個性的」から「一サンプル」へ

僕はいわゆる「ゆとり世代」という年代に生きてきた人間だ。

そのゆとり世代に特有のものなのか、もっと前の世代から言われてきたことなのかわからないけれど、ゆとり世代にはキーワードがあると思っている。

それが「個性」だ。

学校なんかでは、「個性を伸ばしなさい」とか、「自分の個性について説明してください」とか言われてきた気がするし、世間でも「個性的」であることを強く推奨するような言説で溢れていた。「総合」という授業でも、「個性」というものについて色々言われてきた気がする。
(そして、ゆとり世代のもう一つのキーワードである「平等(というか横並び)」との間で、僕たちは悩まされることになるのだ。)

そんな僕もしっかりその教育に則って、「個性的」であろうとした。図工の授業で誰かが「小さい作品」を作れば、僕は「大きい作品」を作り、誰かが「勉強できるやつ」をバカにすれば、めちゃくちゃテストいい点数を取って「すごいアピール」をしたりした。服装や持ち物も、可能な限りひとが選びそうで選ばない独特なものを買う様にしたり、言動も人がやりがち、いいがちなベタなことは極力さけるようにした。(実際は自分の性格で人と被りたくなかっただけなのかもしれない。ただのあまのじゃくである。)

気づけば立派に「変なヤツ」になっていた。しっかりと「個性的」になっていたのである。(実は今でも「変」というのは褒め言葉だと思っている。)

そして、「このまま人と違うことをしていけば「個性的」でいられるんだ」と、そう思っていた。

大学に入り、周りを見渡すと「個性的」な人間ばかりだった。めちゃくちゃ音楽に詳しかったり、めちゃくちゃ語学ができたり、30歳で大学に入り直して勉強しようとしている人がいたり、フリーペパーの作成やら、イベンターがいたりと、もう上げ出したらキリがないほどに「個性的」な人たちばかりだった。

いや本当のところは大学に入る前から、「個性的」な人間だらけであることには気づいていた。足が速いやつ、歌がうまいやつ、絵がうまいやつ、妙に友達が多いヤツ、噂話に敏感なやつ、、、人にはそれぞれ独特な「個性」があるのだ。そして、僕は自慢できるような「個性」がないからこそ、「ベタからはずれる」、「逆張りをする」といったことをしてきたのだ。

狭い世界なら「ベタからはずれる」ことができた。しかし、広い世界に出てみると、「ベタ」からはずれようとしても、「別のベタ」に行き当たり、その場しのぎの「個性派」は成り立たなくなった。

「変なヤツ」から「中身のないヤツ」になってしまったのである。

そこから僕は何かについて話したりするのが恥ずかしくなった。何も知らない、「にわか」でしかないと思い込んでしまって、今自分が気になっていることについて話題にすることもできなくなってしまった。みんなは自分の好きなことに向き合っているのに、自分は薄っぺらだと落ち込むようになった。

そんな落ち込んでいる時でも一応は趣味というものに取り組んではいた。そのひとつが「バンド」である。大学に入ってから、軽音サークルでオリジナルバンドを組み、ベースを弾いたり、歌を歌ったりした。そこでも、「オリジナルバンド」であるので、人と違うことをしなきゃいけないという思い込みが自分を責めてきた。自分なりにいろんなバンドを聴いて、他とは違った「個性的」なものを作ったと思っても、少し経てば「やっぱりしょぼい」、「二番煎じにもなれていない」と落ち込んでいた。

しかし、最近自分の考え方が少し変わってきている。

それはSNSの見方が変わってきたことに関係するのかもしれない。

ニコニコ動画が流行りだした頃様々な「〜してみた」動画が投稿されていた。その多くが似たり寄ったりの作品ばかりで、なにがそんなに面白いのかわからなかった。

そんな中、最近僕は電子工作を初めて、さまざまな人たちの「つくってみた」系の動画を“参考に”見る様になった。人によって作りたいものは一緒でもアプローチが違い、勉強になることがたくさんあった。

そこで、僕はふと思ったのである。

「検索でひかかってきたこれらの情報は、“電子工作”というくくりでは確かに似たり寄ったりで、没個性的なのかもしれない。」

「でも、そのひとつひとつは微妙に着眼点が違っていて、“参考”になる部分が全然違う。」

「思えば、“ネットでの検索”で得た情報は、信憑性が薄いものもあるし、どこの誰が書いたものかもわからないけれど、“参考”にしている。」

「僕も誰かの“参考”になれないだろうか。」

そう。僕には自慢できるような「個性」はないかもしれない。

けれど、そんな自分に近い性質を持った人の「参考」にはなれるのではないか。

「ベタ」でもなんでもいいから、行動して、言葉を発して、「サンプル」を残すことはできるのではないか。

レビューやSNSが流行っているのも、この「サンプル」が手に入るからなのではないか。

もう僕は「個性的」でなくていい。誰かの「一サンプル」になれればそれでいい。どう足掻いたって、わかりやすく個性的になることなんて不可能なのだから、とことん自分が興味にあることに関して、話題にして、参加して、飽きたら、即次へ向かおう。にわかでもミーハーでもなんでもいい。もしかしたら、それが誰かの「参考」になれるかもしれないのだから。

「個性的」から「一サンプル」へ。

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