見出し画像

椅子は視点を提供する

僕は掃除が好きだ。

というか部屋の模様替えが好きだ。

いつの頃からそうなったのだろうか。小さい頃はごちゃごちゃした部屋の中で過ごしていた。兄弟が上に二人いるのでモノは多かったし、僕はSDガンダムのプラモデルとかおもちゃが大好きだったのでそういうもので溢れていた。だからそんなにキレイ好きでもなんでもなかった気がする。

転機はどこだったのかと言えばやっぱり一番上の兄が思春期になったころだろうか。あんまり兄弟で会話することがないので、明確な記憶はないのだけれど、一番上の兄が中学の後半か、高校入学するころくらいにファッションやインテリアに凝り始めていた。もちろんヒトの目を意識する年頃になれば誰でもそういうことに興味を持つだろう。しかし、僕の兄は女友達が多く、比較的流行に敏感で美意識が高かったのだ。そうなると家にはインテリアの本がおかれるようになり、僕も自然とそういうものに興味を持ち始めた。

またもう一つの理由として、家にはいろんなヒトが遊びに来ていたというのがある。僕の兄たちは友達が多く(自分たちは友達がいないと言っておきながら)、よく家がたまり場になっていた。僕が学校から家に帰ると知らないお兄さんオネェさんたちがたくさんいて、自分の家じゃないような気がしたものである。しかも、友達であるはずの兄たちがいなくて、その知らないお兄さんお姉さんたちだけが家にいるなんてこともあった。フリーダムである。とまぁそんだけヒトが集まれば自然と家をキレイにしておかないといけないという意識になり、これまた自然と掃除好きになったわけである。

他にも父が大工だったとか、工夫しないとかっこつかないような普通の家ではないとか理由をあげればきりが無い。しいて理由を挙げるとするなら上のふたつになるのだろう。

さて僕が模様替えをしていていつも思うことがある。(今回の文の本題はここからだ。)それは椅子の効能についてのことだ。そう椅子はただ座って作業をしたり、リラックスするだけのものじゃない。「椅子は視点を提供する」のである。それはどういうことか。

模様替えをするとき、どんな部屋にしたいか漠然とイメージを決め、それが決まったら掃除をするためにとりあえずモノを別の場所に移動させると思う。そうしないとやりたいことができないからだ。机や棚、ソファや座椅子なんかも(とりあえず)別の位置に置くはずだ。そして、もちろん部屋の掃除は疲れるので休憩するだろう。そんな時、(とりあえず)の位置に置いた椅子に座ったりするはずだ。

するといつもと違う景色がみえるはずだ。

それは掃除の途中だからではない。

いつもとは違った視点を椅子が提供しているからそう見えるのである。

僕だけかもしれないが体が移動いているとしっかりモノが見えていないように思う。例えば部屋の扉をあけて、いつもの位置にある椅子に腰掛ける、その一連の動作の中で見えているはずの景色をしっかり見ていないのだ。だから扉の位置に椅子を置いて、そこに腰掛けるとすごい違和感がある。見ていたはずの景色なのに初めてみたような感覚になるのだ。それは目線の高さが変わるとか、いつもと違うことをしているからとも言えるが、「どっしりと構えて目の前の景色をみせる」という仕事を椅子がしてくれているのではないかと僕は思うのだ。

…まぁ多分この文章を読んでも何がなんだかわからないというヒトは多いと思う。けれど簡単な模様替えの一つとして、「お気に入りの椅子の位置を変えてみる」というのがあると言えるだろう。椅子は目線の方向を決めてしまう。だから、「いつも同じ景色だな」と思った時は思い切って椅子の位置を変えてしまおう。するとほとんど変わってないのに見え方が変わるので気分も大きく変化するはずだ。そして、見え方が変わると掃除をするモチベーションも上がるので、模様替えも一気に捗るはずである。ぜひ一度「椅子の位置を変える」をお試しあれ。


そういえばこの文章を書こうと思ったときに古本屋で椅子に関する本を見つけたり、雑誌ブルータスが椅子の特集をやっていたりと不思議な偶然があった。まぁ心理学でいうところの選択的認知?というやつかもしれないけれど、僕はこういう偶然が大好きなのである。

以上、お相手はとばりのカシオが務めました。

とばりの楽曲はこちら


読んでくださってありがとうございます。サポートしていただいたものは、読みたい本がいっぱいあるので、基本的に書籍代に当てたいと思っております!