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僕はオタクを愛しすぎてる〜「バーナード嬢曰く。」(作:施川ユウキ 一迅社)を読む〜

「オタク」

それは自分の好奇心を満たすことのみを目的とし、特定のジャンルを深く掘り下げていく現代の求道者。

「オタク」

それは人々が見向きもしなかった作品に光をあて、埋もれていた制作者たちを世に送り出す救済者。

「オタク」

それは世間の厳しい批判に耐え、成果を生むかもわからない中、前人未到のジャンルを切り開く開拓者。

嗚呼!オタクは素晴らしい!

言動から垣間見える圧倒的な知識量!思慮深さ!

そしてその物事に対する限りない愛情!

嗚呼!オタクになりたい!

冒頭から暴走してしまったが、僕が言いたいのは「オタクっていいよね」ということだ。なにかしら専門的な知識や技術を持っている人というのはとてもキラキラして写るもので、twitterやBLOGOS、cakesなどなどの各種ネットメディアで自分の専門領域や時事問題について多くの有名人が語っているのを僕は羨望の眼差しでいつも見ている。(きっと中にはなんの中身も無いようなことをさも意味の有るものであるかのように装ったものもあるのだろうが…)またオタクはただ自分の意見を主張するだけではない。音楽やイラストを制作したり、思いも寄らないイベントを企画する。(僕は能動的なオタク=クリエイターだと思っている。)それらは大体がそれぞれのカルチャーの文脈にそったものであり、日々の努力とそのカルチャーへのリスペクトが感じられるものばかりである。僕もそういった人たちに憧れて文章をかいたり、バンドをしたりしているのだ。

しかし!オタクとはなりたくてなれるものではないのである!

まず覚えるべきことが多すぎる。例えば、音楽を趣味にしようと思ってもそのカテゴリーは膨大だ。ロック、ジャズ、ヒップホップ、テクノ、クラシック…大まかなジャンルを挙げても切りが無いのにさらにその下には無数の下位ジャンルが存在するし、そのジャンルの中での歴史も膨大だ。そして忘れていけないことに、日々新しい音楽は生まれ続けている。現在の流行を網羅的に追おうとすると、もはやそれだけで力つきてしまう。消費するだけで一苦労なのに音楽を作ろうと思うとさらに問題は深刻だ。音楽をつくるために自分のやりたいことを明確にし、その技術を身につけなければいけないのだ。(ギターの弾き語りがしたいなら、ギターの演奏や歌の練習。一人で音楽をしたいならDTMの勉強やマルチトラックレコーダーなどの道具の知識を得るなど)これは本当に大変だ。もともと素養があるなら良いがほとんど何もしらない状態から聴くに耐えるものになるには相当の努力がいる。またそこから人をあっと言わせるようなものを作るとなると気が遠くなるような努力が必要になる。

「あれ?お前本当は音楽好きじゃないだろ?」と思われるかもしれない。確かにそうなのかもしれない。でも人並みには音楽は好きだと思っている。ライブにも行くし、CDやレコードも買う。それについての本も買う。しかし、それでも全然知識が身に付かないのだ。というか盲目的になれないのである。それについて考えている内に「自分なにやってるんだろう…」という賢者タイムがすぐにやってきてしまうのだ。それが愛情の有無とか努力の有無だと言われればそれまでなんだろう。世の中のオタクだってそういうことを考えているかもしれない。でも、「盲目的になれるかどうか」それこそがオタクとそれ以外を分ける唯一にして絶対の一線なのではないだろうか。

繰り返し言うが、「オタクはなりたくてなれるものではない」。しかし、そうであるがゆえにオタクに対する憧れは強くなり、オタクの仲間になりたいという思いは日々募っていく。どうやったらオタクになれるのか、その会話を楽しめるのか…

ここでようやく本の話に入ろう。今回の本、「バーナード嬢曰く。」は「読書家に憧れるけど、本を読まない」というキャラが主役の読書マンガだ。何を言っているか分からないだろうがとりあえず僕の話をきいて欲しい。舞台は基本的に学校の図書館。そこにいつも居座っている「読書家ぶりたいけど本を読まない」町田さわ子(自称、バーナード嬢)が、本についてあれこれぶっ飛んだ物言いをして周囲の人間を困惑させる様を、“名言”と共に描いた作品だ。作者の施川ユウキ曰く、最初は名言を主軸にしたマンガを書こうとしたもののそれだけでは弱いので、“読書あるある”マンガになったのだそうだ。だから最初の方は有名人の名言が多く出てくるが、後半はあまり出てこない。

そしてこの作品の主人公「バーナード嬢」の発言が「一般人からみたオタク像(ちょっと間違ってる)」をよく表していて面白いのだ。「太宰治とか、三島由紀夫とか、夏目漱石とかみんなどーいうタイミングでよむんだろう?」とか「読破したところで自慢できないよ!!!」とか、その疑問とか見え方、よくわかるなぁと共感するところがたくさんある。(俺も相当オタクという存在の認識を間違えてるな…)中でも一番共感できたのは「銃・病原菌・鉄」という本を題材にした話だ。でも、そこでは本そのものをネタにしていたわけではない。ド嬢がその文庫本を使ってしたかったことは、発売と同時に読んで、「へーその本、文庫化したんだー」と通ぶることだったのだ。…何を言ってるかわからないだろうが僕の話を聴いてほしい。(二度目)きっと多くの人がそんなことどうでもいいと思うだろうし、それがどうして通ぶることになるのか分からないという人もいるだろう。だから音楽オタクの話で例えてみたい。そうtwitterでよく見かけるあの言葉だ。

「へーあのバンド、来日するんだー」

前から好きでしたというニュアンスをさりげなく醸し出すこの言葉!僕だって言いたい!そしてすかさずそのバンドの動画のURLを張った解説ツィートをタイムライン上に流したい!そしてRTされたい!…ふう。失礼、取り乱してしまった。しかし、この「へー文庫化したんだー」の衝撃を分かって頂けただろうか。そうであるなら幸いである。

「あれ?結局お前はオタクそのものになりたいのか、オタクの言動にあこがれてるのか…どっちなんだ?」というツッコミがきそうだ。正直どっちもである。オタクのように深い愛情をもって一つの物事を究めたいというのも、オタクのようにハイコンテクストな会話をして通ぶりたいというのもどっちもある。とういうかそういう浅はかな楽しみ方があったっていいじゃない!好き勝手やっていいとは言わないが、それなりに好きなものを好きに楽しんだっていいじゃない!…また取り乱してしまった。(コンプレックスの話をするとついつい人はアツくなってしまうものである)ただまぁ一つ言えることがあるとするなら、僕はオタクを愛しすぎてるってことだろう。

最後にまとめ。「バーナード嬢曰く。」は読書マンガなので、本好きはめちゃくちゃ楽しめると思う。特に作中に“SF好きな真面目な読書キャラ”が出てくるので、ちょっとでもSFが好きだなーと思う人は読んでみると面白いかもしれない。(というか真面目な読書あるあるはこのキャラの話ばっかりだった…気がする。)そして、真面目じゃない読書家であり、“オタクに憧れる一般人”を自覚している人は読んで損はない!いや読むべきだ!

それでは、今回は読書マンガということで、宮内優里と星野源のコラボ作であり、読書の醍醐味を最高の形で音楽にした名作「読書」を聴きながらお別れしましょう。お相手はとばりのカシオでした。


読んでくださってありがとうございます。サポートしていただいたものは、読みたい本がいっぱいあるので、基本的に書籍代に当てたいと思っております!