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一浪一留、出版社志望がタクシー会社に就職するまで

東西線の大手町駅にはホームドアがない。

その日はサークルの用事で大学へ向かっていた。大学 4 年生、前期の終わり。その就活生は不合格通知に次ぐ不合格通知にすっかり心が折れていた。

大学の仲間は次々に内定先を決めている。企業からのお祈りメールは、「君は社会から必要とされていない」と烙印を押されているも同然だった。

黄色い線の外側は真っ暗な褥で、自室のベッドに倒れこむみたいな気軽さで飛び込めば、この苦しみや悩みから解放されるような気がする。実際ホームドアのないホームから見る線路は、驚くほど自分の近くにあった。

(でも、このあとサークルあるし寄り道してる場合じゃないな。)

我に返り、いつもと同じようにやってきた電車に乗り込んだ。

志望業界はマスコミ・出版系。編集者とか新聞記者とか、言葉を生業にしている属性の人々は憧れだった。言葉は魔法だ。人の心を動かすのはいつだって言葉だし、そんな言葉を生み出す場所に携われるならどんなことでもできそうだった。

今の大学に浪人してまで入れてもらったのは、マスコミ系の就職に強いといわれていたからだ。

ところが大学 4 年生の夏。すべての選択肢から扉を閉ざされ、自分の思い描く人生から締め出された今、道から外れた場所には虚無しか見えなかった。

それでも人を救うのはいつだって人だと思う。

今でも感謝している方がいる。それは当時のアルバイト先の出版社の上司。大学 5 年生、まだ何者にもなっていない人間を信頼して、たくさんの責任ある仕事を任せてくれた。「いつもありがとう」「さすがだね」と言葉をかけてくれた。ありのままの自分に自信が持てるようになったのはその方のおかげだ。

そしてその上司をはじめ、同じ出版社で働いている方を見て薄々思っていたのは、自分は編集者や記者に向いていないだろう、ということ。面接で志望動機や己のことを語るとき、いつもなぜか苦しい。

それは自分を偽っていたからだ。偽りでもしないと入れないことをわかっていたのに、1 年目の就活ではそれに気づかないふりをしていた。

ありのままの自分に自信が持てた 2 年目の就活では、自分を偽らなくてすんだ。面接では正直な自分を出して、合格を出してくれた会社に行こう。

一浪一留してしまったせいで、本来の同期とは 2 年も差が生まれている。早く就職して自分でお金を稼いで自立したかった。極端な話、ブラック企業じゃなければどこでも構わない。業界は絞らずに就活を始めた。

その日受けた面接は何かが違った。まず開口一番、人事がこう言った。

「学生さんからしたら人事は合否を評価する人と思うかもしれない。でも評価をするのは人事だけじゃない。学生さん自身も、人事の姿を見てこの会社は自分が入るにふさわしい会社かどうか評価してほしい」

学生を対等に見てくれているんだなあと感じた。1 年目の“無い内定”が嘘のように、あっけなくと言ったら表現が悪いかもしれないが、その会社の内定をもらったのだった。

「この会社かな」と思った。面接で偽りのない自分を評価してくれた会社であれば、入社しても自分を偽る必要はない。人事を通して、働く人の人となりもなんとなくわかる。この人たちとなら信頼しあって働けるだろう。

その会社は出版社でもなく、新聞社でもなく、タクシー会社だった。

本来思い描いていた夢とはずいぶん遠いところに来た。それでも道から外れたところにあるのは虚無ではなく、もう一つの道だ。

人の数だけ人生があり、生きている限り人生に失敗はない。社会は灰色の単色ではなく、極彩色のグラデーションになっていること。そう感じさせてくれた今の会社には感謝している。

この記事を読んでくれたすべての方の人生に乾杯。

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(写真)古巣の営業所のタクシーたち。

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