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まぶしいものから目をそらすとそこは  居心地の良い影の中

最近ものを書く、書き留めるということを訓練するようになった

頭の中の整理、言葉の持つ力、伝える力

写真作品を作っていて言葉の力を必要としないものを

目指してきた自分にとって180度の変化である(笑)

嫌いなことを見つけると、それに挑戦したくなる悪い癖は

子供の頃から変わっていない気がする

自分のやりたいことをやりたい方法で食べれるようになる

そんなことをずーと思って生きてきたのだが

ここのところ少し変化があり

作品では稼がない。お金へ変換しない。

と、これまた180度違うベクトルで物事を考えるようになったら

すこし違った景色が見えてきた。

もちろん食べていくために必要な対価は必要なのだが(笑)

とにかく今まで見ていた景色と違うものが見え始めた

作品を生み出すことは好きである。これは変わらない

作品を展示すること?俺好きだったのかな?と

疑問が浮かんでしまった2年前から

???いろんなはてなが頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えていった

10年ほど自分の作品でご飯を食べるということに執着したり

自分の作品をたくさんの人に理解してもらう方法とか

いろいろなことを模索した。(ここでいう作品は仕事で撮る写真ではない)

活動的にはそこそこ自分の思うイメージの入り口に立てた感じはしていたが

しかし2年前に浮かんだ疑問にたどり着いてしまったので(苦笑)

今までの人生では考えられない発想を求め

自分が信じてきた思考を一度なくしてみたら

うっすらだがまぶしい光が見えてきた。

作品を発表して対価を得たり共感を求める、そのベクトルでできたことは

たがが知れていた。

全く反対のベクトルに向かってみたら

不器用な自分が対価や共感に執着すると

自分の生み出す作品ややりたいコトに自由がなくなっていく、

そんな感じがまとわりついていたコトに気がついた

対価や共感は結果であり、自分の目指すとこに向かい

そこにたどり着いていれば

おのずとそれは手に入っているものである。

そんなシンプルなコトが見えなくなっていたコトに気づくことができた

マイノリティな自分が10年、理解を求めても進んでも

理解されなくてもよいものを10年作り続ける方が、

よっぽど結果にあらわれるのだ。

それが今自分の手元に残る作品たちであり生み出し続けているものである

そんなこんなを思いながら過ごしていくと

別な方向から対価や時間などがまいこんできている

どうやら自分はバランスを意識するとバランスが悪くなる

そんな星に生まれているらしい(笑)

純粋という

まぶしいものから目をそらすとそこはいつまでも

居心地の良い影の中でしかない

自分が光を放つのか、それともまぶしい光に照らされた影の中にいるのか

それは全て結果が答えを教えてくれることだろう。

作品は発表して、何かを得ることの繰り返しである

その大切な活動を改めて見直すことができた

そんな2年の月日だった。

さて、何からはじめようか。






とりあえずご飯を食べよう(笑)






















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