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単なるあらすじではなく、あなたの感じたことを開けっぴろげに書こう

 小中学生をはじめ学生のみなさんは、夏休みを満喫しておられることだと思う。今どきは、どんな宿題が出るのかよくは知らないが、私の子どもの頃の「定番」といえば、読書感想文だった。

 私はこの宿題が大の苦手で、小学4年生ぐらいになるまで、自分で書いたことはなかった。いつも母が代わりに書いてくれていたのである。母は「小学1年生から、課題図書を与えて読書感想文を書かせる教育的意味がわからない」と言って、感想文が書けない私を決して責めたり叱ったりすることはなかった。

 しかし小学5年生のときだったと思うが、はじめて、自分で感想文を書いた。その夏休みに椋鳩十の「やせ牛物語」という本を読んで、「やせの花」と名付けられたやせっぽちで落ちこぼれの牛が、闘牛として頭角をあらわすまでを描いたそのストーリーにとても感動し、その感動をそのまま感想文として書いたのだった。すると、その宿題が担任の先生の目に留まり、地元の新聞社主催の読書感想文コンクールに出品されて表彰された。私は賞をもらったこともうれしかったが、それよりも、苦手だった感想文が、実は思ったことを素直に、読む人に伝わる書けばいいということがコツであって、別に学校から指定された課題図書でなくてもいいし(私が読んだのは課題図書ではなかった、課題図書という制度も嫌いだった)、自分が読みたいと思った本、好きになったお話の感想を書いてそれが人に喜ばれたということがうれしかった。

 自分でホームページを作るようになって、文章を書くということにおいて「感想を書く」ことが批評という形で、他の人にも役に立つのではないかとわかり、今もコツコツ、いろんなものの感想を書き、批評をしている。

 ところで、感想と批評はどう違うのか、ということは、感想なり批評を書く上で頭においておかなくてはいけないことだろう。

 感想というのは、読んで字のごとく、心で感じたことである。面白い、楽しい、悲しい、つまらない、といったことや、この主人公の気持ちがよくわかる、あるいはなぜそんなことをするのかわからない、というようなことである。本を読めば誰でも何がしかの感想は持つので、本来、感想文を書くことはそんなに難しくはないはずだ。

 一方、批評というのは「評」の字が表す通り、ある作品や商品に対して「評価」をするという一面が加わる。これは人々の中で、もっと広く社会の中でどういった価値を持つものか、あるいは社会に対してどういう価値観を提示しているものか、それはどれくらいの価値がある(あるいはない)ものなのかを見定めるものである。感想があくまでも主観的なものであるのに対して、批評はそこからもう一段高いところに視点を置いた客観的なものでならない、ということができるだろう。

 私のサイトには、機動戦士Zガンダムの全話レビューを掲載しており、これが一番よくアクセスされるコンテンツとなっている。なぜかと考えてみると、放映から30余年を経て、客観的評価というものが以前よりも意識され、社会の中での作品の意義が共有されようとする時期だからではないかと思うのだ。

 しかし、ネットで同作品について検索してみたり、あるいは他の様々な映画やアニメについて検索してみると、感想をブログに書いている人は多々いるものの、感想と称して実は「あらすじ」しか書いていないものが大半である。ネットの中で、意味のある感想や批評に巡り会うことは稀、というと言い過ぎかもしれないが、正直、皆さんあれだけ一生懸命、毎年のように夏休みには「読書感想文」を書く訓練を受けていながら、意味のある感想文にあまり出会えないのはどうしたことか、と思うくらいだ。

 そうして振り返ってみると、実は私の母の主張していたことは「当たっていた」かもしれないと思うのである。学校で「感想文」が宿題に出ても、一体それは何を、どう書くものなのかは教えられたことがなかった。誰に対して、何を伝えるものかも教えられなかった。結局、こなすべき宿題でしかないために、大半の子どもたちは「あらすじ」を書いて出していたと思われる。よく「あとがき」や「解説」を見てそれを書けばいい、なんて言われていたものだ。そういうことだから、ここから育てられるべき自分の意見や考え、感じたことを表明する力や、さらにその上にある、ものごとをきちんと客観的に評価する力が育たないまま大人になり、メディアが垂れ流すものをそのまま「いい」といわれれば「それがいいもの」と受け取り、流されるだけの大人になってしまうのだろうと思う。

 そうではなく、与えられた宿題であっても、だからこそ、自分がどう思ったか、開けっぴろげに書こうではないか。書き方のコツについては、ネットにいくらでも指南がある。けれど、あなたが、どの文章について、どんなことに興味を憶え、どんな思いを抱き、面白いと思ったのか、アホらしい、と思ったのか、どんな感情を持ち、そこから何を考えたのかは、あなたにしか書けないことだ。みんなが読みたいのは、「あらすじ」ではない、あなたが思ったこと、あなたにしか書けないことだ。それが他のみんなと違っていても、全然構わない。違っていることの方が価値がある、それが、「あなた自身」を見つけ出すことにつながっていくのだから。

本サイト http://www.muddy-walkers.com/



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