独創メモ2015.3.30

【理性によって自らを神や王から開放し、いかなる権威からも自由に考え行動する個人】

そうした意識の芽生え・目覚めによって人々があらゆる表現をしてきたという内容のモノで、読書中の西洋音楽史の本から一部抜粋しました。

過去、解放された自由から、様々な思想や主張や行為が見いだされ、その中でも歴史的に長く広く開拓されてきたのが芸術表現なのかなぁと解釈しました。解放された自由の根本には、芸術表現が大きく関わっていて、これまで様々な表現記録が残されてきて今まで伝わってきたこと。人類が自由であることを示し追求し続けてきた証とも言いましょうか。過去から今日まで続く、自由で有ること、自由を示すこと、自由で有ることの秩序、自由を創造すること、自由を追求することの表れや指針ともなるような芸術表現。解放された個人によって個々を尊重する自由な思考や思想や行為が長い時間を経て、様々な壁や境を破り乗り越えて広く伝わってきたこと。また、それらの芸術を特定の人達の為のモノだけでなく庶民の手によって多くの人々が愉しみとして見出し、導き導かれてきたことによって、人間の多種多様の景色や感情に出逢えること。

こうして発展してきた流れは、何か確かな根拠や説明も殆ど必要なく、ただ精神的に意識的に動かされてきたんじゃなかろうか。遺伝子の連鎖みたいに細胞と細胞がどのようにか活性化されたことにより、しぜんと自由を追求し選択して、今まで人類が続けてきたんじゃないかと。どの国でどのような環境で生まれたとしても共通意識として疎通してしまうまでに発展してきた、ひとつの能力でもあり人類の進化でもあるような。そうしてみんなで創ってきた表現文化が有るのだろうと思う。

精神的に充たされたり心地よいモノであったり、活気づける元気づける糧となったり、そうした効果にもなることが示されてきた。きっと、自由であることの喜びを示し追求してきたからこそ、希望にも成るのだなぁ。特になにか意味を必要とせず感覚的にしてしまうことや、ワクワク・ドキドキ。ウキウキと喜んでしまうことに蓋をせず、個々の感じたままに思うままに表現してみることというのは、これまで続いてきた自由を結束し、これからも続くであろう自由への架け橋になる!ということで、今存命である、この時間もそうした途中地点にあるのでしょう。

人々が希望になることは可能である。

人々が希望になることを諦めなければ自由も続く。

家族だけでなく、関わる分野、関わる人々、いろんな同類項、それぞれの後世の為に自らが自由を示して希望になること。これからは希望の見られない分野は果ててゆくかもしれません、しかし逆に希望を見失ってしまうかもしれません。それは何かの権威があらゆるモノよりも強く勝ってしまった時、これまで開拓されてきた自由が奪われる時なのかもしれません。

どのようにどこでどんな力に加担してしまうか知れないけれども、可能ならば今後の展望としては、希望を指し示すことを目的とした自由な表現・表現者が増えることであったり、そうした挑戦を人々がし続けることであったり、そうした表現を受けて効果として得る為に選択してゆくことであったり、希望や自由の道筋を創造することを止めないでみる。それぞれの、思うままにです。近年では様々な場で共有するようになりましたが、個々でだけでなくまとまってゆくことでの可能性も意味するのかもしれません。では、共に。


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