独創メモ2015.3.16

ある日、ご老体は暴走した。チューして欲しいと迫ってこられた。一時は、冗談に捉え宥めて収まったかのように思えた。が、再度立ち上がって寄ってくるではないか。密室ですぞ、ヤバいな。そんなこんな、顔を両の手で押さえられはしたものの、未遂で事なきまま、その場を去ることに成功した。しかしながら、明日も、明後日も、顔を合わせなければならない、案の定、何事もなく普通にしている。それが逆に腹が立つ、気味が悪い。数日経過したがどうにも我慢ならずに、上の人に相談し、話し合いの末、関係会社の方々の判断により、ご老体は退社した。

直接の震災被害は受けなかったものの、間接的にソレが様々な余波となり、世の中に広まっていたのだろうか。そんな2011年の出来事である。彼は、「こんな世の中だから・・・(だからいいだろう、それくらいいいだろう)」と、気違った行動を起こしたのだ。普通の人、職場で逢う60代のおじさん、たまに昼の休憩で時間を共にし、たわいもないこと・世間のこと・家族のことを話してくれてた、そこでしか会わない、そこでだけの関わり。

もともと、自分は余計な身の上話を滅多にしてこなかった。ある程度のラインを保って、それなりの判断で適度にその場を交わし、男女年齢問わず互いのことを深く知りあわなくても平気だった。話してこられたら聞き手となるだけ。それに、男性の居ない環境で成長したから、その場合もしかしたら家族愛や夢や理想を持つ人もいるだろうけど、自分の場合は殆ど無で、逆に男性や大人を注意警戒してしまう。変人扱いされない程度には適度に人との接し方を心得て自分なりに実践してきたと思う。だから、どこでどうラインを越えたのか、越えさせてしまったのか、そうさせてしまったことの自分にも腹が立つし、仕事上での接し方でどこで間違えたのだろうか、どこに問題があったのか、そういう行為に至らせてしまった自分の失態について、悩み悔しい思いもあった。

人が変貌すること、互いの理解や疎通を無視して一線を越えさせるようなことは、自分の身には起こらないはずだと思っていたし、そうさせない為にもサバサバと人付き合いしてきたと思っていた。だから、今でも失敗を恥じている。ちょっとした出来心がどう展開してゆくのか、思いもよらない方向にスイッチが傾くこともある。幸い、この件では逆恨みもなく数年経過している。が、どのように妬みや恨みを生み、ズレが生じ事件を引き起こすかわからない。程度で言えばたいしたことではない。が、今でもこうして思い出す、記憶に残っている、変な罪悪感もある、距離感・密室・背の高い人、、、いくつかの注意警戒を携えて外出している。なんらかの障害はあるということでしょう。

小学校の時もそうだ、給食当番なのにマスクを忘れてしまったから、悪いのは自分だけど、悪い先生ではなかったけど、アレは嫌だった。こうして遠い記憶も点と点でいつでも繋がって蘇ってしまう。どうしてこんなにガッカリさせる人が現れるのか、頼りになる大人ってのは、なかなか出逢わないものだなぁというのが、今までの人生での印象である。気心知れるまでは、やや斜に構えて冷やかに対応・接してしまうこともよくある。試し試されているのは一緒なのだが、どうも皮肉さを滲ませる部分があるようだ。これも、世の中の所為、今までの人生の流れから積んだモノ。しかしながら、こうして、自分にも偏った人格を創ることになるわけだから、そろそろ自分を認めてあげて反省して軸を正し、もっと寛大であらねば!と切替えたいところである。

そして、ずーっと気になっていた。「こんな世の中だから・・・」

切替えるスイッチを間違えてはならない。先に歩む人なら尚の事、後世をガッカリ失望させてはならない、希望を見出さねばならない、希望を探さねばならない、希望を示さねばならない、希望にならねばならない、もっと!もっと!

そう、思うようになったのは、あの出来事でもあるし、これまで様々に出逢った人達・世間の出来事が切っ掛けである。忘れようと奥にしまってしまいたいことこそ、ひょいっと出てきて原因や根本となる。あんな風に老いてはいけない、老いる過程で希望を見失ってはならない、たとえ見失ってもどうにか自分が歩んだ道から周囲からヒントを得なければならない。また、同世代にも同じように、この世の所為にして人を巻き込み巻き込まれして罪と関わることのないように見守りたいと思う。原動力になる素材は沢山ある。でも原動力は希望や可能性に繋げることで活きる。もしか、妬みや恨みを抱えたとしても、どうにかして解消し、間違ったスイッチを傾けないように努めたいと思う。



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