独創メモ 2014*12*7

似たような環境、状況、思い、経験があったから、ソレに反応した!のではなくて、ソレを見聞きしたことによって生まれる・気づく反応をしたい!と最近は思っている。どうしても、年月を積むごとに、それまでの記憶や経験や知識や歴史のほうが勝ってしまう。見聞きしたソレによって生み出される自然な感覚や素直な感情が薄れてゆくようでもあり、新鮮さがなくなってゆくことを知る怖さもある。もっと自然な反応を覚えたい・発見したい・驚いて感動したいと思いながら、自分の歴史と葛藤する感じでしょうか。

毎日記憶を喪失して新しいモノに出会い感じることなんて、人間の機能としては無いようなので、日々の時の進みと共に新しい反応を示す訓練とか努力が必要になるのだと思います。これまでのモノがひょいっと出てきて増してゆき積んでゆくことで感を深めるのも勿論良いのだけど、それが普通の機能だとするならば、新しい反応によって開いてゆく広げてゆくようなこともしたくて、外や他との出会いによって起こる未知なワタシを発見追求したいと思っているようなのです。

自分以外の者の表現を鑑賞して出会う事、コレがいまのところ訓練として最適だと思っています。映画やドラマやお舞台を見て、音楽を聴いて、絵や写真や美術品や展示を見て、文字や文章を読んで、そうしてまったく経験したことのない状況や文化からソレらを見聞きしたことによって、まるでソコに居たかのように、まるでソノ人達と関わっていたかのように、前のめりに前のめって感じて陶酔してみたい。瞬間的に感じられることもあれば、繰り返し鑑賞することで感じることもあれば、数時間の鑑賞によって感じられることもあって、時間が長引けば長引くほど葛藤する難易度も増してゆくようだ。どこまで、つんのめって深みを知るか、そのモノよりも超越した感に到達できるものだろうか、新たな発見からの展開があるのかどうか。
そういう追求。

日々日常の中で、その時々の出会いからスタートする、自分の過去や経験や歴史に捉われずにソコからスタートして感じてみよう!という思いで、人間人生の中でどれだけ可能なのかという挑戦でもある、かな。それでも、どんなに陶酔しきったとしても、我が身はこの身体1つの我が身で在るこの現実に切り替えられるワタシでもありたい。そうして、ファンタジーと現実を行き来して楽しめるような技をもって愉しんであげたい、楽しませてあげたい、などと考えています。
訓練・挑戦・成果の愉しみ。

みんな、日々どんな、訓練や挑戦をしているのでしょう。

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