独創メモ2015.1.29

前回の独創メモから繋がってる感じもあるけど、いろいろと考えだすと止まらないのよね。ずーっと先まで想像してみたりあちこち脱線してみたり、考える暇が有るってのは幸せなことなんだろうなぁ。

で、自分とこのTwitterにも残してたのだけど、一応日本では二十歳で成人を迎え、晴れて社会人!として社会の仲間入りするわけですが、今、成人式から十数年経過してみて思うのは。世で言う社会人てモノはな!って教えられるようなことは社会における常識的なことだろうけれども、人間が生きてくことの活動に密接かどうかはちょっとわからなくて、これまで、常識に沿ってそう生きてきた人たちが多いのかもしれないけど、もしかしたら社会活動・成人活動・大人活動ってのは、もっと違う事も有るかもしれないし、自分が積んできた時を元にして、他の人達と関わり合いながら、人生ってこうかな?こういうことかな?って、カタチにしてゆく中で、あらゆる人にとっても人生が楽しいもので有らねば社会創造は失敗していると思った方がいいんじゃないかなって。同じ地球体の中で、人類共同体みたいな感じで共有しながら、創造してゆくことの活動。社会創造の仲間入りについて考えたりしてました。

で、今のところの考えとしては、人が優しくなかったら、性格良くなかったら、成人やってられないよなぁって。自分だけのモノ・ゴトを自分だけの空間で365日24時間、年がら年中繰り返していたら別に性格とか気にしなくてもいいかもしれないけど、どうしたって人や他の生物と関わり合うから。モノ創って提供することは誰かに触れてもらうことなので、伝わってしまうからな、どうしたって熱が伝わる。あんなしてこんなして創られたモノが社会を巡っている。じゃあ性格良いほうが良いものを創って良い提供ができて、それが伝わったら良く扱ってもらえて、それが巡るのねって思えば、なんかワクワクするので、下手な事しちゃいけませんわぁ。性格良くなろうって、人格良くなかったらこんなこと出来ませんよって自信もって言えるくらいの。良い悪いそれぞれの感覚だとしてもいいよ、歳を積み重ねてくごとに性格良くなってく、人格良くなっていかんとならんなぁって。

良い生産と良い消費で良い循環を創造する。

性格良くなりなさいなんて特に教わったり教えてくれたりしないかもしれないけど、例えば80歳90歳になっても、意地悪しかしないとか、分け与える知恵も能力もないとか、感謝できないとか、恨んだり卑下したり愚痴って、そんな感じになっちゃったら、そこまで到達するまでにかけた年月で修復できなかった・修正しなかったことを恥じるしかないかもって思う。だから、人格良くなかったら社会創造の仲間入りなんてできないわよって感じで、ちょっと強気で自分に喝入れながら人格形成に努めて励んでみるのもいいんじゃないかと、そしたら後々見えてくる社会を楽しめそうだなとも思って、そんな感じで同世代の人達とも共に盛り上がって年齢積んでいけたら、自分が高齢になったときになんらかの成果を感じられるんだろうね。それを見てる人達が後に続いてるなら、その人たちにも楽しんでもらえるような、交ざりたくなる社会創造ができてたらよいなぁって。

人格良くてバカをみることのないように、人格良くて損をすることのないように。偏屈な常識じゃなくて、まともな常識になれば良いでしょうか。

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