「普通」という苦痛

初めてnoteで文章を書く。

1999年、2月26日。わたしは生まれた。
生まれも育ちも東京の田舎、可もなく不可もない、中途半端な場所で20年生きた。

幼稚園年少のころの将来の夢は「いちご」。年中は「ぶどう」。
わたしはこの回答をした時の自分をよく覚えている。記憶している限りでは、「いちごやさん」「ぶどうやさん」になりたかったのだ。
いちごやさんやぶどうやさんを見たことはないだろうに、八百屋のような店構えでパックのいちごやぶどうだけを売っている風景が、そのころ何故か頭に張り付いていたのであった。
それがどうやら屈折して伝わり、幼稚園の成長記録にはっきりと「いちご」「ぶどう」と記されてしまった。今思えば当時の先生は若干トリッキーである。
その頃まわりの児童はというと、仮面ライダーやプリキュア、野球選手やお花屋さんなどが多かった。その中でひとり、「いちご」という謎の将来を夢に掲げたわたしは、「普通」ではなかった。

しかし、わたしの人生の中で個性のピークはおそらくこの年少年中のあたりで、これ以降、わたしは自分自身の「普通」の生活に、「普通」の人生に、大いに悩まされることとなる。

わたしは小中学生のころ、自分は特別な存在だと思っていた。
自分は人にはない魅力を持っていて、将来はその個性を生かしたクリエイティブな仕事をするのだとなぜか純粋に思い込んでいた。

小学校のころの学芸会では全部の会の主役を演じたり、運動会の応援団をしたり、いわゆる目立つのが好きな子供だった。
一方で、文章を書くのも好きだった。求められていることを読み取って書くことが得意だったから、国語の授業などではそれっぽい作文をいくらでも書くことができた。
特に印象に残っているのは、五年生の時、読書感想文を書くことになり、当時本を読むのが嫌いだったわたしは図書館にあった本をパラパラめくり、適当なページだけ2、3ページ読んで読書感想文を完成させたことがあった。
すると後日担任の先生が、「藤浪さんの、とてもよかったからコンクールに出したいんだけど、読んだ本どれか教えてくれる?」とたずねてきた。わたしは思わず吹き出してしまった。当時23歳でお兄ちゃんのような存在だった先生に、「先生、ウチあれ読んでないよ。適当に”ここだ!”ってところちょっと読んで書いただけ」と打ち明けると、先生はすごく驚いて、困った顔をしていた。
あの読書感想文がその後コンクールに出されたのかはわからないが、とにかくこのエピソードはわたしにとって大きな自信になった。

中学にあがると、容姿に対するコンプレックスがわたしを苦しめるようになった。
とにかく自分の顔が嫌いで、トイレの大鏡の前に友人と並ぶだけで劣等感で辛くなった。今思えば、自分は可もなく不可もない、そこらへんにいる顔をしていると思うのだが、まあ確かにひとつひとつのパーツを考えるとどれもあまり可愛くはない。
重たい瞼をこじあける小さな目、鼻幅の広い鼻、ガチャガチャの歯並び。極めつけに体系はガリガリで一向に胸は膨らまなかった。
多感な時期に女性としての魅力がまったく備わらず、徐々に自信を失っていった。そうして「誰と誰が付き合った」とか「あいつらヤッたらしいよ」というような色恋沙汰とは無縁なレールを走り始めてしまったのであった。

しかし中学校でも文章を書くことだけは褒められた。交通事故の経験を綴った作文が市で表彰されたり、学年のビブリオバトルに選出されたりした。
そしてその頃、わたしはネット上で夢小説を書き始めた。もうその頃にはケータイ小説なるものが普及していて、わざわざ自分のホームページをレイアウトして、そこに小説を置いていくという夢小説のスタイルは古かった。同じジャンルで書いている人は2,3人しかおらず、あとは昔に書かれたものが博物館のようにネット上のランキングページに並べてあるのだった。
しかし意外にも読者は、コンテンツが廃れてもなおその博物館に入り浸っているようだった。
わたしのサイトは段々と読者を獲得していき、ランキングもみるみるうちに上位にのるようになった。こんな風に会ったことのない、年齢も性格も分からない不特定多数のひとに自分の生み出した文章が読まれることは、自分が特別なように感じられて、すごく嬉しかった。

思えばこの頃から、無意識に、半ば意識的に、「普通」に対して嫌悪を抱いていた。
それは個性の強調ではなく、「普通」からの異常な逃げだった。もがいてももがいても「普通」の枠から飛び出すことのできない未来がはっきりと見えていた。
その後中学卒業から大学にかけて、自分が気味の悪いくらい「普通」であることを痛感するのだが、その経験談は今回はあえて割愛しよう。
とりあえず今回は、文章を書くのが好きであるからここに記すことにした。このことだけを綴っておく。

これから少しずつ、自分のことを書いていこうと思う。
もしこの文章を読んでくれる人がいるのなら、他愛もない「普通」のひとの人生を、少しのぞき見するくらいの気持ちで見てほしい。
その過程で、わたしは自分の「特別」なところを見つけたい。

「結局は普通が一番幸せだよね」
こんなセリフを言えるようになりたい。「普通」ではない人が言う言葉。「普通」が自分から切り離された、むこうの島にある人の言葉。

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