ノーマスクとニセ科学の構造
ノーマスクの主張は毎日性懲りなしに流れます。
さすがになぜ?どこから?こんなエネルギーが生じているのか、そろそろ不自然に感じるほどになりました。
そう思いませんか?
何がなんでもノーマスクを社会に受け入れさせたい、そんな暗い情熱はいったいどこから生まれてくるのでしょう。
〇マスク論争の決定版??
Twitterでこのように銘打たれた記事があります。
(記事リンクありがとうございました)
さて、お礼を言うのはリンクさせて頂いた事についてです。内容に関してコメントさせて頂きます。感想ですが
となります。
別の言い方をすると、これは感染の原因をマスク一つに集約させている訳です。
医療従事者はマスクの他にフェイスシールドも着けてないでしょうか?
手洗い消毒は何のためにしますか?
検証結果、つまりここから言える事は
マスクだけで感染が防げるかどうか
だけです。
が、こんな事を検証する意味ありますか?
↑ここが不自然な点です!
つまり、意味がない事を実験し、報告している訳です。
それを科学の手続きを使って行っています。
これは科学の経過の一つで、結果は何も出ていません。
STAP細胞があります、と言ってる状態で未検証です。
ここからマスクの意義に関する何の結論も出てきません。
マスクの効果について語る場合
以後の経過はこうなります。
これは実験計画法における計画立案の瑕疵で、効果を測定する因子が絞り込まれておらず、結果に影響する他の因子が無視されているため、効果測定ができない。
大変に実験の計画品質が悪い。
取得データは何の役にも立たないだろう。
データの精度が悪すぎるからである。
効果が検出できない実験計画なのでマスクの効果も検出される訳がない。(むしろそれが目的??)
さて、ここでも不自然な点があります。
この実験や測定データの処理をする間、報告者は以上の瑕疵についてチラリとでも頭に浮かぶ事はなかったのだろうか?という事です。
もしそんな事があるとしたら
手続き型の教育を受けていてその延長でしか物事が考えられないため、最初に決めた実験または測定を忠実に行わなければいけないという固定観念が強かった
この分析方法で行わなければいけない枷があった
単に状況をまとめただけで他の研究の参考にしてもらうためのもので、結論を導くのが目的ではないと考えている
のどれかではないかと思います。1.は論外として現実的なのは2.もしくは3.ですが、問題なのは2.です。
さらに言えばマスクは役に立たないという結論に導く必要があったので、呼吸器以外からの感染経路は意図的に無視され、存在しないものと思い込ませる報告を作ったという事です。
こんな事をする意味があるとすれば
直接的な利害関係がある
功を焦り、結論を急いだ
と思われますが、1.と考えるのが自然です。2.については報告者としては気になるので、仮に結論を急いだ場合でも、注意事項を一筆添えて不名誉を回避するだろうと思われるからです。
話を戻しますが、利害関係があるとしてそれは何かという事です。このような報告、つまりマスクは不要という結論を出せば誰に何のメリットがあるのか。
ノーマスクを主張する方々が研究資金を拠出する、何かの便宜を図るなどしてこのような報告を次々と作らせていると考えればつじつまはあいます。事実は知りませんが他に腑に落ちる動機もありませんし、利益を享受する人もいないように思えます。
そこまでの直接的な関係がなかったとしても、どこからか資金が出て研究励行する空気が作られているかもしれません。
引用記事を見ていただければ分かるのですが、こういった研究報告が複数の国で何件か行われている訳です。
このように科学の手続きを利用して、体裁上だけのマスクは効果なしという話題と実績を積み上げているという事です。
要注意なのは、報告提出までならでたらめでも何でもできるあるいは結論の曖昧なものを放り込めるという所です。
結論に言及しない研究成果として提出する事も可能だからです。
ですが、こちらを根拠に、ノーマスク派の人はマスクは効果がないという報告がある!と主張する事ができるようになります。
一般の人にはそんなことは言えない内容だろう、という事は分かりません。
いかにも専門家風の本格的なグラフの装飾を突きつけられて首肯してしまうだけでしょう。
しかし、この測定の瑕疵は装飾ではなく根本的な計画に遡った出発点、基礎にあります。基礎に問題があるが、見た目は小奇麗な高級マンションのようなものなのです。
見る人がみればそもそもがおかしい、話にならない代物なのです。
見る人が、と書きましたが、見た目にだまされない人なら誰でも分かります。
反対に見た目や肩書、体裁にだまされる人なら研究者や医療従事者、学者でもひっかかっています。
これが馬鹿にならないのです。
現在のノーマスク主張の広がりを見れば分かると思います。
日本有志医師の会であるとか医療従事者(仕事で衛生防護しているのに!)がマスクは効果がないと言い、そのようにふるまうのが科学的に公正な態度である、と自己評価を持ち上げる道具に使っているのです。
本当の賢明さとは何なのか悩んでしまう現実です。
たとえば接触感染。
アメリカのデータを見て思うのは、欧米の方は汚染された手でパンをちぎって食べるという事です。これはマスク関係ありません。
子供のコロナ感染で嘔吐下痢が多いのは手で掴んだものを食べるからかもしれません。特に小さい男の子は発達上の理由で指で道具をうまく使えないと言われる事もあります。
何度も書いたように感染研は当初から便のPCR検査を推奨していますし、大人も胃腸感染は少なくありません。それどころかウィルスの腸内滞在期間が長期に及ぶことまで判明しました。
しかしながら、真に憂慮すべきなのは、いわゆる識者と呼ばれる人たちや学者、専門家専従者にもこんな「ご都合主義で作られたニセ科学」の疑いがあるものを自ら信じ込んでしまう人が多く、その人たちの意見で世の中が進む事です。
一度社会的地位、科学的地位を得た報告は、それを背景にした主張に根拠を与えます。保身的な発信者はこういったものに流されやすいのです。これは知能の問題というよりは性格の問題です。
賢明な人たちは原発事故でこの世界の有様に目を覚ましたと思いますが、すでに過ぎ去った事として流してしまっているのか、人間の生み出す過失や作為に無感覚で容易に無批判に持ち上がってきた話題に流され操られてしまっています。
そんなものなのだろうと騙されています。
言っては悪いのですが、
こんな事にも気が付かない人たちがデータだとか数値にのぼせて無検証に騒ぐので、不毛なマスク議論が頻発するのです。
こんなものを科学だとか訴えれば気分を害する人が出てくるのは当たり前です。
現状は、ノーマスク派に世論が操られつつあるのではないでしょうか。
こういった世論操作はありうるものとして意識した上で、批判的に報告を検証すべきと思います。
論文や報告ならなんでもストイックなもので公正だなどと思ってはいけません。
簡単にニセ科学を信奉して判断を誤ってはいけないのです。
そんな姿勢は公正でもなければかっこよくもありません。
自分がさぼって話題にのっかって行ってるだけなのです。
己の中の科学がない証拠だと思います。
むしろそんな心理を利用して操られているのでは???
こういった誤った主張を始めてしまったばかりに次々と言葉を連ねている人がいますが
この次々と出てくる言葉も問題ばかりなのでいずれ取り上げるかもしれません。もう引っ込みがつかないのかノーマスク主張は根拠が不明確なものが多いとか、特定の話題に根拠不在の主張をぶらさげる事が多く、執拗に繰り返されます。
以上です。ありがとうございました。
サポート頂けると嬉しいです。