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梅雨の合い間の道(東海道を歩く9)

梅雨まっさかりの中だろうがどうしても歩きたくなりました。すこし日常につかれてしまったようです。いろいろな他人の意図と自分の意図に折り合いをつけるような日々。そんな日常から少しでも離れたくて・・・少しでも離れないと自分が自分でなくなってしまいそうな切羽詰まった気持ちからの旅でした。天気が悪いのがなんだ!富士山が見えない?それがどうした!というくらいの気持ちです。

 といわけで前回の歩きでの終点、蒲原を目指します。新幹線を使わずに、しかもそこそこ快適に静岡方面に行くには、意外と選択肢は少なくなります。やっぱり「ふじさん」号で御殿場周りで行くのが安価でそこそこ快適なようです。今回も小田急線経由で静岡に入ります。「ふじさん」号はやっぱり今回も混雑していませんでした。御殿場線、そして東海道線を下る。沼津、吉原、富士・・・ そして、新蒲原駅に降りれば雨がポツポツと降っていました。勇んで向かったもののやっぱり雨は降らないほうがよくて、少しやな予感がしますが歩き始めます。
 このあたり、海岸近くまで崖のように山がせまっていて、その狭い平地の中を東海道は進みます。街道沿いをずっと家が連なっていて街続きになっているので、どこまでが蒲原でどこからが由比なのか?はっきりしないのです。蒲原宿の最寄りは新蒲原駅で、もともとあった蒲原駅は宿場からはなれ街道を上った先。しかも、蒲原駅をすこし過ぎるとすぐに由比宿に着いてしまう。このあたり駅の位置と宿場の位置はずれています。
 この由比宿には「東海道広重美術館」という建物があって、そういえば中山道にも「中山道広重美術館」があって訪れたことがあります。栃木の馬頭という所にもやっぱり広重美術館があります。休憩を兼ねて中に入ります。この日は、浮世絵に表された江戸由来の文様のいろいろを特集展示していました。菊やら亀甲やら・・・文様の名前は知らなくても、見たことのある文様がいろいろと出てきます。ああこれ知っている、これ見たことがある・・・などと思い出しながら眺めるのが楽しいものです。

 通り過ぎてみれば蒲原宿と由比宿は少し風情が異なります。どちらかというと由比宿のほうが素朴な街道風情が楽しめるようです。自動車はバイパス道に流れ、静かに歩ける旧街道筋には、「桜エビ」と書かれた魚屋の看板が立ち並んでいます。ちょうどおなかがすいてきたこともあって、桜エビが食べたい!とばかりに食堂を探すのですが、あいにく生の桜エビを販売する魚屋はあるけれど、食事を食べさせてくれる店は少ないようです。うろうろうろうろ歩いているうち由比駅までたどり着いてしまいました。ここまで歩いて、食堂を一軒見つけました。入ってみれば、これといって変哲のない食堂。桜エビのメニューも定食だけらしいのですが、もちろん一択。桜えび定食を頼みます。
店の人によれば、あいにく、今年は桜エビが不良らしく、通常なら桜エビがはいるはずの小鉢は、しらすとのこと。それでもかき揚げになった桜エビは、極薄のころもになっていて。そのままエビの触感と味わいを楽しめて美味しい。感心しながら完食します。

 さて、由比駅を過ぎれば左手に海が近づいてきます。ここから興津宿までの間は薩埵峠という峠を越える道になります。これまで街道沿いを歩いていて、いちばん好きな郷愁を誘う風景のひとつが、こうした峠越えを前にした街道沿いの風景です。狭い旧道のわきを、これまた小さな旧家が軒を連ねる。前方を見ると、まんなかを通る街道の先のほうはだんだんとせりあがっている。ガイドブックだと由比宿から興津宿の間に西倉沢という間の宿があって、ちょうどこの辺りを指しているようです。
 さらに歩き続ければ次第に人家がとぎれ、道は高度を増していきます。左手の海のさきには伊豆半島が見えます。そしてグリーンがかった海の輝きがきれいで、眺めていて楽しい。富士山でも見えれば最高なのでしょうが、そこは梅雨の合間の晴れというもの。この日も結局は富士山はみえませんでした。このあたり、甘夏の畑がたくさん植えられているようですが、道端のあちらこちらに甘夏が転がっていて、手入れはあまりゆきとどいていないようです。傾斜地のみかん畑で荷物を運ぶためのモノレールが、あちらこちら設置されていますが、多くは打ち捨てられたままになっています。


 薩埵峠を降りると、人けのない集落にたどり着きました。ガイドブックには街道風情が楽しめるとありましたが、それほどぱっとしない集落に感じました。途中には川越えの跡地がありました。曇り空ながらところどころ青空も見えます。海に近いこともあって、左手の空はとても広くなっていますが、ここでもバイパス道が視界を遮っています。遠くには巨大な「駿河健康ランド」という建物がそびえています。
 興津宿のあたり、なんの変哲もない街道沿いの道は趣はあまりないのですが、それでもポツポツと寺社仏閣旧跡が点在しています。これにしても気になるのは、箱根峠を降りて静岡県に入ってから、どちらかといえば神社よりは寺のほうが多く目立ちます。かつての徳川の殿様が仏教を保護していたのかな?と想像しますが、ほんとうのところはよくわかりません。ただ、徳川にゆかりがふかい土地だといっても、たとえば日光とはをかなり様相がことなります。日光の場所で徳川の家康公は、神格化され崇められる対象で、長大な杉並木はその神格化を演出する舞台装置です。けれども、ここ静岡では徳川はあくまでお殿様であって神格化はそれほど感じません。日光の徳川様は神様ですが静岡の徳川さんはあくまで人間。そういえば、これからおこなわれる参議院選挙では、静岡選挙区で、現代の徳川家当主が出馬しています。しかも野党の候補者としてです。

さて、今回の歩きではもう一か所訪れたいところがありました。西園寺公望がかつて住んでいた坐魚荘という建物です。もともとの建物は明治村に移築されていますが、その跡地に、往時の建物と同じものが復元されて立っています。案内されて中に入れば、それほど華美な造作はないけれど、とても整った作りになっている印象をうけました。もともとはこの建物は海岸沿いで、その海岸を楽しむために西園寺はこの地を選んだのでしょう。でも、現代では海沿いに4階建てのビルが建っていて、かつて砂浜であっただろう場所はグラウンドになっていました。2階からは三保の松原が見えるといわれ上ります。たしかに松原が見えます。建物のすきまからほんの少しだけですが・・・この西園寺公望、フランスへの留学経験を持ち開明的な人物。大正デモクラシーの時代には何度も首相を務めています。いまであれば保守リベラルとでも位置付けられる政治家でしょうか?でも、中に掲げられた西園寺の写真は、温厚で穏やかな人物というよりも、やんちゃで鼻っ柱の強い人物という印象を持ちました。70歳のころの写真をみても、若々しくて背筋がぴしっと立っています。
最後の元老と呼ばれた西園寺公望ですが、大日本帝国憲法では、議会を設置しながらも、そのときどきの首相は元老たちが推挙して決めていました。もともとは維新クーデターの立役者たちがいつまでも国家を統制できるようにという意図からです。昭和15年に西園寺は亡くなりますが、国家総動員法ができ戦争に突入したのは昭和16年で、西園寺の死のわずか1年後です。国家総動員法をだまってうけいれたように、市民たちに戦争に反対する意思がない中、戦争の突入を阻止していた一番の抵抗は、首相を推挙する立場を利用した、最後の元老西園寺公望の抵抗だったことは、もっと知られるべきだと思います。

 この坐魚荘から清水の中心市街地まで町つづきです。それほど変化のある町並みではないのですが、ぽつぽつと旧跡が残ります。歩いていると前方に細井の松とよばれる1本松が伸びています。遠くからもはっきりと視界に入ってくるその松の姿がまるで絵に描かれた松で、でも近づけばほんものの松だった。なんていうからくりを面白くながめました。街道は清水駅を通り過ぎて、郵便局を右に曲がると、清水銀座というかつての江尻の宿場の中心です。この日は清水港まつりと称した七夕まつりをやっていて、たくさんの近所の家族連れでにぎわっていました。それぞれ工夫をこらした七夕飾りが飾ってあって眺めているのが楽しい。七夕飾りの多くは、この清水出身のまんが家さくらももこさんの作品「ちびまるこちゃん」をモチーフにした飾りが多いようです。それにしても、このアットホームなお祭りの雰囲気は、まるで「ちびまる子ちゃん」のアニメにそのまま出てきそうな風景です。

 この清水銀座をすぎ稚児橋という橋をわたれば、もう清水のまちはずれです。となりはバイパス道に変わり、まわりは住宅地にかわります。草薙神社の巨大な鳥居を過ぎてから裏道にまわり、郊外住宅地の真ん中を過ぎていきます。清水と静岡の間は小高い丘陵地を挟んでいます。その少しだけ高くなったピークを越えていきます。その間に、ずっと隣り合っている鉄道の線路は静岡鉄道という中小私鉄です。この静岡鉄道は、中小私鉄ながらも小ぎれいな新型電車が行きかっていて活気があって、途中駅からは買い物帰りの客がぽつぽつと利用していて、その光景は首都圏の大手私鉄とそう違いなく、見えます。そののどかな場所は、JR東静岡駅のあたりでショッピングセンターといった近代的な建物がたつ、あまりおもしろくない風景に代わってしまいます。こういった近代的な建物がたつような場所よりも、わたしには、清水銀座の旧い市街地ののどかさのほうが好きですね。

 かつての府中宿の本陣跡は、その静岡鉄道の終点、新静岡駅のとなりにあります。ここまでが本日の行程です。静岡の駅前は久しぶりに都会にでも出たような華やかさで、魅力的です。泊りがけの予定ならこのままふらふらとどこかの居酒屋に入って、酔っ払ったまま宿泊、爽やかな気持ちで翌朝も歩きを続けて、どんなに楽しい旅になるだろうと思うのですが、この日は帰らねばならないのが残念で、口惜しさをかかえながら、帰りの新幹線に乗りました。 

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