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#124 他方の選択をリスペクトできる人間でありたい。~フィナンシェに揺れるNFT界~

本コラムは、音声配信プラットフォーム・Voicyでお届けした内容をテキスト用に整形しています。AIによる編集・校正が入ってます。最後にVoicyリンクもあります。テキストでサクッと読みたい方に。

改めて…。
異なる道を選択する人に対しても、リスペクトを忘れてはならんなと。自らの選んだ道が絶対的に正しいわけではない。他者の選択を冷笑することなどもってのほか。多様な選択を尊重したいと思います。これは、特定の誰かを指しているわけではなく、一般的な価値観として大切にしたいことです。

具体例を挙げれば、現在盛り上がりを見せているフィナンシェがあります。僕たち「ZUTTO MAMORU」もこの流れに参加し、3月にはコミュニティをオープンし、4月にトークンリリースを予定しています。

NFT界からフィナンシェへの移行が進む中、様々な意見が交錯していることも認識しています。このような動きに対し、喧々諤々の議論が盛り上がっていることも知っています笑。

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議論はいつだって有益との考えですが、僕自身はフィナンシェに進む立場です。これから「フィナンシェ、フィナンシェ」と一層騒がしくなることをお許しいただきたいと思います(トークンリリースが実現した際には、ぜひご支援を〜🙇‍♂)。

そうは言っても、”フィナンシェを選ばない”NFTプロジェクトのファウンダーの決断も、また選択です。リスペクトです。彼らの選択もまた重要であり、そういった多様な判断を尊重する姿勢を持ち続けたいと改めて感じています。

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言うまでもなく、フィナンシェに参加することが絶対ではありません。各々が自分のポジションで語り、時にその中に攻撃性のようなものが見え隠れします。これは「一般化のワナ」という概念で説明ができるかもしれません。

この用語は哲学者・苫野一徳さんが提唱したもの(たぶん)で、「自分が体験したこと選択したことを正義だと思って、それを一般的にもそうだろうと思い込んでしまう落とし穴」っていうのかな。説明がムズいですね…。

たとえば、「男はこうあるべき」「教育はこうあるべき」といった一般的な主張は、僕たちが個人的な経験や信念から導き出したものです。

僕も”男をやっている”ので、「男はこうあるべきだ」像を持っています。また2児の父親として、教育に関して自分なりの考えを持っています。しかし、これらはあくまで個人的な観点であり、それを”自分は〇〇だから、一般的に〇〇である”としてしまうのは、”ワナ”にハマっていることに他なりません。

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僕はかつて新聞記者として15年間サラリーマン生活を送りました。その間、先輩や上司から「記者とはどうあるべきか」といった教えを受けてきました。たとえば、「記者は足を使ってこそ価値がある」や「夜討ち朝駆けしてこそ、ニュースが取れる」といった、記者魂に関する説法を受けたことがあります。

これが良いか悪いかはさておき、「自分がこれまでに経験し、こうしてきた仕事のやり方こそが正しい」と自分の個別の体験を一般的な価値観に昇華してしまうのが「一般化のワナ」です。個人の体験をもとに一般的な真理だと思い込む傾向が指摘されます。

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この「一般化のワナ」には本当に注意が必要。内々に抱える分には問題ないですが、攻撃性を帯びて外に発信されると、問題が複雑化します。たとえば、Xのポストでよく見かける「〇〇をやらない人は損しています」というような発言(テンプレなの?)は、僕のタイムラインにも頻繁に現れますが、正直、好きじゃない。そういう発信をしていること自体が、損をしていると僕は思ったりします。

だから自分のやっていることを一般化しない、また他方にも目を向ける、その視点が本当に大切だと思っていて、先日こんな事もありました。僕のVoicyチャンネルにネガティブなコメントがきました(滅多にないことです)。

「フィナンシェ」をテーマにした配信に対して、「NFT界隈はみんなお金が欲しいだけですよ」と。これはまさに「一般化のワナ」の典型例かなと。

コメントをくださった方は、自分自身がお金を求めているから、他の人も同じだろうと想定しているのかもしれません。お金を求めること自体は悪いことではありません(僕だって欲しい!たんまり欲しい!!)。自分の価値観が他人と同様のものとするのが不適切だと。

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「一般化のワナ」は誰もが陥いる思考パターンであり、僕自身も自分の経験や考えを正しいと信じ込む傾向があると自覚しています。

ただ肝心肝要なのは、”その刃を振りかざさない”ってことだと思うんですよね。自分の価値観に収まらない他方の価値観をちゃんと尊重する、この態度を見失わずに生きたいもんだなって思います。

苫野さんも指摘するように、「一般化のワナ」を意識することが大切です。
「一般化のワナにハマっているかも」の意識が、価値観の”押し付け”の回避につながります。

”やりたくてもできないこと”ってあるじゃないですか…。経済的な理由とか、時間的な理由とか、身体的な理由とか、タイミングとかいろんなことがあって、本当はチャレンジしたいのにできないことって、沢山あるじゃないですか。

その背景のところまで慮(おもんぱか)る気持ちを持てば、軽々に「これをやらないヤツはおかしい」とか「損をしてる」とか、そういう攻撃性って出ないと思うんです。

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「中庸」という言葉には、中立に近いニュアンスが含まれていますが、それ以上に「穏やかでバランスの取れた生き方」を意味する側面があります。極端な思想に傾倒することなく、穏やかに、そしてバランスを重んじる生活を目指すことが、この言葉が伝える教えです。

「中庸の精神」を大切にしたいものです…。


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