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1/31。たったひとつの称号で

自分に限界とか定めちゃうに決まってるじゃん。なにか一つ目指していた通りに行かなかったとして、その原因なんかいくつ探したって、結局改善できるのは自分自身によるものだけなんだからそうやって自分の持ち物精査しているうちに自分のだめなところばっかり理解しちゃうよね。あのとき素直にへり下って頼みごとできなかったから、とか、その頑固さとプライドとか、たくさんの人と並んだ時に私やっぱり顔もスタイルもイマイチなこと際立ってたかなあ、とか、もっとこだわりなくRTとイイねを求めていたら、とか、もっと仕事を選ばないでたくさん働いていたら、とか、世間に好まれないパーツとか全部いじって直しちゃえばよかったのかなとか、もっと言うなら、もっともっと相手に対して諦めをもってただ相手に好まれる言葉ばかり言えたなら、なんて自分がひっくり返るような後悔をしたりもする。その度に、わたしがこの歪な姿と脳みそをしている限りは…言い換えれば、わたしのありのままが歪とみなされる世界にいる限りは、もうこれ以上、どこにも行けないんじゃないかって思っちゃう。卑屈にもなるよ。真面目だもの。それでもそれをわかっているから、心の中にもうひとり私を飼う。どこにもいけない、と思った瞬間に、思考よりも早く光のスピードで、「どこにでもいける。」と言葉にする係。いつも、ものごとは光と陰の側面を絶対にもっていて、その両方から見て初めてそのことの本当の姿がわかるのだから、いつもちゃんとそうしていよう、と思う。だから、どこにもいけない不自由な私のままで、どこにでもいける自由な私として生きて行くのだ。そのための方法なんて、いくらでもある。ただ、ひとつで全部が変わるなんてありえない。ひとつひとつを、すこしずつを、重ねて、重ねて、未来が変わる。愛し合える一人ずつと、一瞬ずつを、織り上げていつか世界の窓にたなびく新しいカーテンにする。そのとき、歪な私はもう、その場所では歪とされてはいないはずだ。

あなたがいてよかったよ。だって、ここ、何も考えていないひとばかりなんだもの。と、愛するあの子がこぼしたのだから、私、何もかも考えすぎながら、重たい身体で誰よりも遠くへ、絡まった頭でいつまでもまっすぐの線を描いていこう。と誓う。どんなに、大多数の人が、何も考えなくても気楽に気持ちよくなれる何かを食いつぶすことを愛と勘違いしていても、絶対にそうじゃないって言い続けたい。本当の幸福が、簡単に手に入るわけない。だから、絶対に蜜月まで一緒にいよう。歩いて行こう。長い長い旅だよ。そのひと足ひと足の重力でたくさんの小さな生き物が死んでいること、その足のうらにはりついた砂のきらめき。

幸福は、上手に嘘をつけるようになることでも、誰かの好みに準じて見目を美しく整えることでも、何万人ものひとにイイネを押されることでも、高級なスーツを着ることでも、そういうことを誰かに共有して憧れられることでも、手に入らない。

幸福とは、夜中の海沿いを缶コーヒーひとつでずっと歩いて、ぽつり、ぽつりと話しながら、遠くの白波をふと眺めて「なんか怖いね」、ってふたり同時に思うこと。この世界のままならなさを、諦めたふりして何一つ諦められないままで、戦っている、あなたと一緒に怯えること。

悲しみを、君のくれる優しさで、蒸留して世界のどこかに描き続けたら、何かが変わるだろうか。わからないけど、この気持ちが、あなたと本当の共鳴を求める苦しみが、その向こうにある希望が、少しでも遠くへ響くのなら、なんだって欲しい。らしくないとか、一番にこだわるなんてくだらないとか、そういう卑屈さも今はもうどうでもいい。たった一つの称号で、また少し見てくれる人が増えるのならば、欲しいに決まってる。たったひとつの称号で、私に似ている君が、世界から、はじかれていなかったんだと解るかもしれないのだから、欲しいに決まってる。かっこよくなんかなくていいから、君と同じみっともない私のままで、愛でゴリ押ししてしまいたい。誰もが認めざるをえない場所に行きたい。もう、「私なんか、」なんて、言いたくない。

今日まで力を貸してくれたみなさん、ありがとうございました。

結果が出る頃には、もしもそこで喜びのニュースがあがらなかったとしても、自力で喜びのニュースを作り続けながらきっとそこに立っていたいと思います。どう転んでも、眩しいものにしよう。私たちが生きて行く明日なのだから。


ありがとうございます!助かります!