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WAKAZE podcastリリースにつき、所信表明

本日podcastをリリースしました。

簡単にですが、なぜ今podcastをやるのか、何を伝えていきたいのか、記してみようと思います。


まずはpodcastというメディアについての個人的な考えから綴ることにしましょう。

いつしか、”耳”の時間のシェアの奪い合いがビジネスシーンでもよく語られるようになりました。youtubeやNETFLIXなどの動画コンテンツにおける時間のシェア(≒アテンション・エコノミー)の競争が過熱する中で、”耳”の時間はまだ未開拓であること、またAirPodsをはじめとするコードレスのイヤホンの普及により、機器を耳につけながら生活することが徐々に一般的になりつつあることなどが注目される理由でしょう。club houseが急激に注目を集めたのも、記憶に新しいかと思います。

さて、私自身を振り返ってみても、実際にpodcastを聞く時間は増えていますし、作業中などでも”効率よく”情報に浸れるので、そこに対する利便性も感じています。しかし「時間を無駄にしない」という機能的な理由だけでpodcastというメディアを消費することに対しては、大きな違和感を抱きます。

コンテンツというものは、メディア形式による特性を内包したものでなければならない。

それは映画や音楽、小説などにおけるものでもそう思います。podcastだからこそ活きるコンテンツや、そこでしかできない表現方法があると信じていますし、その可能性を感じています。効率が良いからではなく、podcastだから良いコンテンツ。その姿と、私たちが伝えたいことの一致があるように思えたため、今回はpodcastをはじめることにしたのです。


今回、私たちはWAKAZEとしての造りの思想などを伝えられる機会・場を、自分たちで持ちたいと考えていました。
ある意味で、造りの思想というものは、我々はすでに酒というモノのプラットフォームを媒介にして表現していることです。そういったことを改めて伝えるとなった時、酒を飲むという体験=非言語的なコミュニケーションに加えて、言語的な表現があることによって、それぞれを補い合い、より強固なものとして伝わることができるのではないか。そういった考えからスタートしました。

そして言語的なメディアという枠組みの中で考えた結果、今回はpodcastという形式を選択したことになるのです。

テキストと音声の違い。それは様々なところに表出しますが、私が魅力を感じている点は
①言語以上のものが伝わること
②一回性が存在すること
この2つに集約されるように思っています。

当たり前ですが、podcastを文字起こししたものを読むのと、元のpodcastを聞くのでは体験がずいぶん違います。前者は文字通りの情報を得るためにあり、後者ではその人の発話から文字以上の思想や感情を伺うことができるのは、いうまでも無いことです。

また我々は常に一回性に晒されています。もちろん私達は過去に戻ることもできないし、未来に行くこともできない。自分たちの現在はただ一回限りのものです。同じく会話というものも、その時の一回限りのもの。

会話が始まるまでは自分が話そうと思ってすらいなかった事柄が、話の流れによって引き出されてくる。そういった偶発性、一回性を生み出せるのはコンテンツとしての魅力としてはとても大きいと考えています。

また、その場限りだからこそ、会話が長引くにつれて、その人のコアな部分が様々なトピックを通じて浮かび上がってくるような作用を持つとも考えています。

私がこのpodcastでやりたいことは、音声メディアという形式を活かして、言葉を用いて、「食・都市」の次の世界についてのプロトタイピングをすること。それに付随して、私たちやそこに近い人達の思想や姿勢を伝え、共感する人を発見すること。

第一回目はWAKAZE CTOの今井翔也さんを招き、酒造りから食についてまで、さまざまなトピックを横断した会話を届けます。このあとは、併設レストランWAKAZE TOKYOのシェフを招いて各月のメニューについての紹介や、様々なゲストを招いて多角的に「食・都市」のこれからを発見していくことを考えています。

長くなりました。得てして、こういった表明は自分自身に対する言い訳じみたところがあります。ただ根幹にあるのは、自分たちが燃えるトピックをそのままの熱量で表現してみたい、ということ。ぜひ聞いていただければ幸いです。ワクワクするようなコンテンツを届けられるようがんばります…!(マイクは改善します…。)

それでは。

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