L'art est le plus beau des mensonges.

 耳が音を拾いすぎて眠れないときがある。時計の秒針、コンセントの内側がじりじりと鳴る音、自分の服と布団の衣擦れ。時間が過ぎるのを待つしかないことをわかっていても、頭の奥が冴えてしまって、だけれど他のなにかに気を逸らすほどの思考も戻ってこない。考えることを半分諦めたままベッドから起き上がったときに、時計を見上げたような記憶はあるけれど、それが何時を指していたかはよく覚えていない。ただ、できる限り音のない場所に行きたくて部屋を抜け出した。自分の足音が頭の浅いところに響いて呼吸が揺れる。
 壁に防音加工を施されたリビングは、昔からその場所自体が家族共用の音楽室のように使われていて、ドアを締め切ってしまえば外からの音はほとんど入って来ない。どうにも眠れない夜を、グランドピアノの陰に据えられたソファの上で寝転んでやり過ごすことは何度もあった。そのつもりで重いドアに手をかけて体ごとその内側に滑り込んだとき、ふいに流れ込んできた和音の響きが、その場所に先客がいることを視覚よりもはるかに直截に潮に伝えてきた。
 意識よりも先に耳がとらえたピアノの音が、だれの指先から零れるものなのかを考えいたるまでにしばらくの空白があった。音の主は潮の足音に気付いてか、ほんのわずか手を緩めはしたものの、演奏を辞めるでも弟に声をかけるでもなくすぐに鍵盤に視線を戻した。ほんとうは悩むまでもなかったのだ。この家に住んで、ピアノを弾くのを聴き慣れない人間はひとりしかいない。電気も点けず譜面も置かず、わずかに顔を伏せたまま、渉はとめどなく音を継いでいた。
 ここは、リビングに置かれたグランドピアノの前につねにだれかが座っているような家だ。どんな言葉や態度よりもピアノの音のほうが雄弁で、愛情や娯楽よりもその音のほうが自分自身の中心に近いところにあった。その、事実質量のある黒い楽器の巨大な存在感に、家族というつながりを仮託して育ってきた。それでいて、潮は渉がピアノを弾くところをあまり見たことがない。兄弟三人とも、生まれて初めて覚えた楽器はピアノであって、才能の差も技術の差もあれども人並み以上には十分弾ける。コンクールで賞を取った経験も、多かれ少なかれ全員が持っている。その中で、渉は必要とされるときを除いてあまり自らそれに触れることがなかった。弾けばそれなりに弾けるのは本人も周囲も知っていたことだったけれど、「得意ではなくて」と苦笑するばかりで、人前で披露することもほとんどない。いくつか潮の記憶にある音の中では、彼はいつでも味気ない練習曲ばかりを繰り返し弾いていた。
 この、黒くて重たい、それ自身は寡黙な楽器のために空間を開けられた、ただ暗いだけの部屋に音が浮かんでは立ち消えていく。たしかに、渉のピアノは特別うまいわけではない。ピアノ以外に人生を捧げた人間が戯れに弾くにしては情趣を感じる、程度の感想だ。だからこそ耳をふさぐ理由も見つからなくて、潮は閉めたドアの内側に立ち尽くしていた。
 月の光が余韻をたずさえて無味の暗闇に溶けていったあと、渉はやはり潮になにを言うでも視線を向けるでもなく、なにひとつ不在の譜面台を眺めてから、もういちど鍵盤の上に手を置いた。手のひらの、大きなひとの音がする。遠く離れた音同士を、焦りもごまかしもせずひとつにまとめあげる音だ。それは渉の吹くトランペットに少し似ていると思った。どちらが先であったのかは知らない。六歳年上の兄は、潮が物心ついたときにはもうトランペットとともに語られる存在だった。
 渉が真夜中の呼吸を引き連れて弾き始めた曲を、潮は知らなかった。頭の中に流れ込む音符に、意識よりも先に名前がつく。音がただ音である世界に生きたことがなかった。潮ですらそうなら、渉はきっとなおさらだ。渉の生きるところに、この音はどう響いているのだろうと思う。洋の音楽がなによりも純然と音楽そのものであるとするならば、渉のそれは存在に近い。あるいは世界だ。それは、願いや祈りとは独立して、たしかにそこに在るものだ。ただ、厳然として。質量をもって。
 浮ついた聴覚が一瞬だけ和音の輪郭を見失ったとき、そこに音を見た気がした。名前に分断されない、連続体としての音。音楽。ひとつひとつの音が、固有の名前を持って押し寄せるものが、すべて境界を失ってひとつのこととなったとき、それを世界と呼ぶのだと思う。渉の音楽が、そうであるという意味においての。渉の音楽を美しいと称するとき、それは世界をそう呼ぶときと同じ感情を内含する。決して個体の総和や平均のみで表しきれない、連続体としてのつながりをもった有機物。息を吹き込んでいるわけでもない指先とペダルが生む旋律に、たしかにこの男の呼吸を感じる。
 畢竟、音楽の向こう側にしか自分自身の姿を映せないことに関して、この男たちと同じ血が流れていることを知っている。この音に背を向けられないという事実からずっと逃げ続けてきた。いまでもそうだ。音楽から逃げることが、自分自身から逃げることと同じだという、とうの昔からわかっていたはずの事実から眼が逸らせなくなる。呼吸が出来ているのは真夜中だからだ。音楽以外が、世界以外が、ここにないからだ。
 鍵盤から両手を降ろし、ペダルから右足を離したあとに、音の余韻を引き継ぐように渉が小さく息をついたのが聴こえた。渉は、新たに曲を続けるわけでもなくピアノの前から離れるわけでもなく、ただその場所で静かに瞼を閉じている。自分がここにいることが、彼の邪魔をしているのではないことは潮にはわかっていた。それほどの存在にはなりえない。渉が、ほとんど他人に聴かせることのないピアノの音色を潮に聴かれることに躊躇がないのは、彼にとって潮がなにものでもないからだ。その事実をずっと絶望のひとつに数えて生きてきていたというのに、どうしてか、この場所からは逃げ出せなかった。
「代わろうか」
 ドアの前から一歩も部屋の中に近付けないところで立ち尽くした潮に、温度も関心もなく放たれた言葉が、いやにまっすぐ耳に届いた。喉の奥がひどく乾いて、ただ、音に酔った残響だけが頭の内側で交錯していく。鼓動は落ち着いていた。余計な感情は、ひとつもなかった。
「——どうせ、もうろくに弾けねえよ」
 それだけ、言葉にすることにひどく時間がかかったような気がする。渉はそれを肯定も否定もしなかった。自分の声が、渉の音に塗り替えられた世界を背景に押しやって、ようやくいま立っている場所に呼吸を取り戻す。夢であったとは思わない。けれど、確固たる現実であったというまざまざとした実感もなかった。そういう場所でこの男は生きているのだということを、再び知っただけだ。
 リビングをあとにしたときも、時計に目をやったような気がする。けれどやはり時刻が思い出せなかった。夜が、まだ続くのだという自覚だけがたしかだ。視界も、思考もまともにはたらかないのに音だけが消えない。音のない世界だけを知らない。厳然として続く世界の中で、それを美しい嘘だと信じきれないからこそ、瞼を閉じて耳をふさいで、ただ眠ることが許されないのだ。
 眠る場所を探さなければならないと思った。あのピアノの音が、自分と同じくらい、それを探していることも、ここがそういう家で彼らがそういう人間だということも、ほんとうのところ、とうの昔から知っていたから。

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芸術とは最も美しい嘘のことである。
(Claude Achille Debussy)

171029

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