バーソロミュー

 幼い頃、僕の家の庭にはメロンの木が生えていた。三階の僕の部屋の窓からてっぺんの葉に触れられるほど大きく太い木で、春にはオレンジ色の小さな花をたくさん咲かせ、窓を開け放しておくとケーキの上の砂糖菓子みたいな橙色と鼻を通るハーブの匂いで、部屋のそこかしこを埋めてしまう。それを両手いっぱいに掬い取って、庭で手を振る妹に向かって窓から身を乗り出し放ってやると、彼女は降り注ぐオレンジ色の真下で嬉しそうにくるくる回った。雪のように舞う橙色にまみれて踊るサリーの姿を見るのが好きで、僕はママに怒られたって、部屋の窓を閉めることはしなかった。何遍かに一度サリーがそこで歌をうたう瞬間が、大通りの桜並木よりも断然好きだったのだけれど、それはひと春に一度(運が良ければ二度、あるいは三度)くらいのものだった。僕がブラボー、と拍手を送ると、サリーはむくれてそっぽを向いてしまう。彼女はママにそっくりな自分の甲高い声を嫌っているから、それを手放しで賞賛する僕に口を尖らせるのだ。それでも僕は三階から手を叩く。そうして、ああ今年もこのまま春が終わると思うのだ。花のなくなったところから膨らんでいく、果実の甘みを舌下に描いて。
 しかしメロンの季節になると、枝は太陽を受けててらてらと光る濃い緑色の葉ですっかり覆われてしまい、内側で生っているはずのメロンの実を、僕は一度たりとも見ることができなかった。生い茂る枝は庭から登るには高すぎて、三階の窓から飛び移るには少しばかり遠かった。葉と葉のわずかな隙間からあの黄緑色の姿が覗けないかと、僕は夏が来るたび古ぼけたオークの窓枠から身を乗り出して、暴力的に白光りする夏の大気の中に目を凝らしていた。なにをしているの、危ないでしょうと庭からこちらを見上げたエプロン姿のママが叫ぶ。その隣では妹が麦わら帽子を被って立っていた。白いワンピース、ほどよく焼けた小麦色の脚、半袖の隙間から覗く真っ白な二の腕。エベニーザー、危ないじゃない。妹の緑色の二つの瞳は、ママが僕に向ける声を見つめていた。まるで、彼女のまわりでだけこの鬱陶しい水蒸気が結露してびしょ濡れになってしまっているかのように、サリーは頬から滴り落ちる汗を腕で拭う。三階から見下ろしていたその光景を、僕はずっと覚えている。エベニーザー。僕を呼ぶ声だ。僕は木の葉に中指を触れる。サリーが庭に撒いたホースの水が僕の斜め下で空気の中を踊っている。芝の葉先で震えるようにバランスを保つ、小さく丸い水の粒を自分の指の上に思い描いて、僕は窓を閉めた。
 あれはメロンの木なんだぜ、エベニーザー。そう教えてくれたのは兄貴のバーソロミューだった。春色の柔らかな太陽の下、まだ彼の半分ほどの背丈しかない僕の手を引いて、見上げたって見上げきれないほどの、オレンジ色の花が咲いた大きな木を指差して。
「あの花が全部落ちて風に吹かれて消えちまったあと、あそこに生るものがなんだか知ってるか」とバートは僕に問うた。僕は「知らない」と答えた。あの木に実が生るとしたら、花の橙に負けず劣らず鮮やかな赤色の実だと思っていた。あの頃の僕の片方の手にだってゆうゆうと二十個は収まるような、夕焼けの色をした果実たち。僕はそれをバートに語ることはしなかったけれど、彼はきっとある程度まではわかっていたんじゃないかと思う。バートの瞳も緑の色をしていた。僕はまばたきをする。僕には見えない僕の二つの目は、きっとやっぱり緑色だっただろう。太陽を受けて鈍く光る、あの葉っぱを見上げていたから。

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