回游

 中学、高校の六年間で一番仲の良かった友人が死んだ。訃報は、彼の兄から電話で伝えられた。聞いたことだけはある病名を告げ、過労が原因だろうと語る友人の兄の声は震えていた。俺と同い年だが早生まれのその友人は、まだ二十九歳だった。電話口でしばらく黙っていると、背を叩かれるように少し強く名前を呼ばれた。「大丈夫です」と答えた声が、自分でも驚くほどに冷静だった。ただ、不自然に音が聴こえるほど鼓動だけが重たくて、だというのに息苦しさのひとつも感じなかった。
 葬儀の日どりを伝える声を聞きながら、最後に優都に会ったときのことをぼんやりと考えていた。去年の冬、昔から変わらず寒さには強いあいつは、コートも着ずに、赤と緑のタータンのマフラーを巻いて、待ち合わせの駅で立っていた。あのときの笑顔がうまく思い出せない。当たり前のように近くにいて、何度も見てきた表情だったから、記憶に残すまでもなかったのだろう。
 「いまから行ってもいいですか」と問えば、二つ返事で、「優も待っとるよ」と答えられた。教えてもらった病院の場所は、優都が医師として働いていたのと同じところだった。「すぐ行きます」と答えて電話を切り、ろくな着替えもせずに家を出た。

 森田優都は、真面目で聡明で実直で、なにごとにも努力を惜しまない模範的な優等生だったが、その反面、どうしようもなく不器用で、生きるのが下手な男だった。なにをやらせてもひどく優秀だった裏では恐ろしいまでの努力を重ねているのが常で、しかしそれを決して驕ることはなかった。ひとと喋るのもほんとうのところあまり上手くはなく、知人も友人も多かった彼はそれを相手に悟らせはせずとも、ひとつのことを口にするのに、その十倍のことを頭で考える必要のある奴だった。だから、優都が会話の途中で言葉を探してわずかに黙り込み、ささやかに視線を泳がせる様子を見るのは俺の特権だった。
「千尋」と、優都はいつも少し首を傾げて俺を呼んだ。
 千尋という女のような俺の名前を、優都は俺や俺の親以上に気に入っていた。この名前に、かっこいいという形容詞を使ったのは、いまのところあいつが最初で最後だ。あいつの感性と時間の感覚は、根本のところがどうしても世の中からずれていたし、それが妥当な形で普遍的なものと調和することはありえなかった。それを指摘すると優都はいつも少し不服そうに眉をひそめていたけれど、その独特の時間の持ち方が、俺にとってはどこか心地よかったのも事実だ。

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