午後八時の音がする

 物心ついたころからずっと、夕飯ということばが嫌いだった。夕飯の時間、食卓という場所、家族が揃う空間。そのどれもが吐き気がするくらいに嫌いだ。母は料理の上手いひとだったし、出来合いばかりの最近の食生活ではたまにあの手料理が恋しくなることもあるけれど、大学に入って一人暮らしをはじめてなによりうれしかったのは、午後八時に自分を夕飯に呼びに来る母の声が決して聞こえてこないということだった。温かいスープや焼き立てのグラタン、花がきれいに活けられたダイニングテーブルよりも、冷たいおにぎりやスーパーで半額になったお惣菜、「いただきます」をだれにも聞かれない狭い机のほうが、俺にははるかに幸せだった。
 実家にいた頃、夕飯の時間に、家にいて食卓に顔を出さないことは許されなかった。眠っていても叩き起こされたし、食べ物の匂いにすら吐き気を覚えるほど気分が悪い日さえも、料理に一口も箸を付けられないまま黙って席についていた記憶がある。この家にいる限りは、この時間にこの場所に集まることが義務で、そうせざるを得なかったからそうしていて、「いただきます」と手を合わせた後から俺はいつだって早くこの場を離れたいと思っていたし、このことに限っては兄貴たちも同じだっただろう。一番小食だったのは長兄の洋だったけれど、彼が食卓についている時間は恐ろしく短かった。そして彼だけが、「ちゃんと食え」と眉をひそめる父の叱責に無言で背を向けて皿を下げ、自室に帰っていける強さを持っていた。俺と渉に、それはできなかった。俺たちは、父が自分に視線を向けるたびに一瞬呼吸を止めていたし、席を立ったときに父が自分を呼び止めるのではないかという想像に毎日怯えていた。文句を言われないように食べて、文句を言われないように片付けて、そっと自室に戻る。そうしてようやく肩の力を抜いて、今日はもうこれ以上父と関わらなくてすむことを願いながらドアに内鍵をかける。代わり映えのしない毎日とは、そういうものだった。
 父がいない日も母は俺たちを食卓に呼びに来たけれど、洋が顔を出すことは滅多になく(そもそもあいつは、昔から本当にろくに飯を食わなかった。)、俺も夕飯を食べにダイニングには下りたものの、食卓では常にヘッドフォンを手放さなかった。母がそれになにも言わないことは知っていたし、渉とは同じ家に住みながら何年も言葉を交わさずに過ごしてきていたから、いまさらだ。そこは父がいる空間より多少は気が楽だったけれど、家族の食卓という意味ではひどく歪んでいた。俺たちの食卓は、誰にとっての居場所でもなかった。父の強制がなければ、かたちとしてすら形成されることのないもの。そして、父の強制があるからこそ、俺も兄貴たちも厭っていたもの。夕飯の時間は嫌いだった。夕飯や食卓ということばが、温かな家庭の代名詞として使われていることに、嫌悪を通り越してずっと虚無感を覚えていた。

*

 高校時代、部活の先輩の家で夕飯をごちそうになったとき、その食卓があまりに温かくてどうしようもなく苦しくなったのをよく覚えている。箸を持った左手が少し震えた。先輩と、その両親と、先輩のお兄さんが楽しそうに会話をしていて、客人の俺にもひっきりなしに話題を振ってくれて、こんな泣きそうな顔をここで見せるわけにはいかないと、呼吸を飲み込んで必死に笑った。だから、せっかくふるまってもらった料理の味はほとんど覚えていない。「美味しかったです」と先輩のお母さんに告げたときも、その罪悪感で声が揺れかけていた。
「ごめんね、潮。無理させてただろ」
 そのあと、先輩は俺を自分の部屋に招き入れて、申し訳なさそうな顔でそう言ってきた。そこでどうにももう笑えなくなってしまって、何度も「ごめんなさい」と謝った。泣いた、かどうかは覚えていない。先輩はなにも言わずにそこに居てくれた。俺は、あんなふうに温かい場所には居られないようになっているんだと思ったとき、苦しくて、情けなくて、だれよりも信頼している先輩の好意を無下にしてしまった自分に心底腹が立った。
「慣れてないことが難しいのは当たり前だよ。おまえが謝ることじゃない」
 あのとき、俺をまっすぐ見ながらそう言い切ってくれたあのひとに、俺がいままでどれだけ救われてきたかはきっと言葉にするべきではない。先輩は、こういう家で育ってきたんだ、と実感した。納得した気もした。どうしようもなかった。なにを責めればいいのかもよくわからずに、やっぱり「ごめんなさい」と呟いて、先輩を困らせてしまったことも覚えている。

*

「うっしー、今日夕飯食って帰んね?」
「おー、おっけ。どこにする?」
「俺ラーメン食いてえ」
「それすげえアリだわ、地味に久しぶりだし」
 サークルの練習が終わったあと、同じパートの同期に声をかけられた。断る理由もなく快諾したけれど、楽器をケースにしまう手にすこしだけ汗をかいた。そのことに気付くたび、自分のことが少し嫌になる。今日は、どうにもだめな日だ。頭も口も勝手には動いてくれないから、考えなくてはいけない。
「どこの行く? うっしーおススメある?」
「こないだ松島が行ったっつってたのどこだっけ、気になってんだけど」
「あー、あれな、ちょっと待って」
 自分の指がケースの留金を弾く音が鼓膜を揺らして、それと同時に友人は立ち上がってどこかに小走りで駆けて行った。どんな空間であったとしても、自分がそこにいることを許されているのにひどく安心する。毎日まいにち、そんなことばかり繰り返して過ごしている。これは強制ではないのだとわかっていながら、断ることは、いまでも怖い。戻って来た友人の足音を左耳で聞きながら、ケースを持って立ち上がった。
「場所聞いてきた、駅の方だって」
「おー、サンキュ」
 他愛のない会話も、ただここにいることも、きっとあと何年もしないうちに無意識で出来るようになる。だけど、きっとそうなったあとも、夕飯や食卓という言葉にノスタルジーを感じるようにはなりたくなくて、あの場所をそんなふうに思ってしまうのはきっと昇華でもなんでもないただの逃避で。もう、あのときの息苦しさをそのまま思い出すことはできないけれど、首を絞められていた感覚だけはずっと残っている。
「あー、俺も次の定演乗りてえ」
「そうだなあ」
「うっしーはほとんど確定だろ。中高吹部じゃねえくせになんでそんなうめえんだよ、チートだろ」
「そりゃあ、だって俺だもん」
「言っとけ」
「いってえな!」
 肘で肩を小突かれて、大げさに呻いて見せれば笑い声が返ってくる。大丈夫、これで大丈夫とひとつ呼吸をおいた。いつも通りだ、声色も雰囲気も表情も、日の暮れた暗い帰り道も。白いガードレールの向こう側を、エンジンを吹かせてバイクが走り去っていった。姿が見えなくなっても、音はかすかに聴こえてくる。
 八時五分前。右腕の腕時計が示す時間に、少しだけ耳の奥で金属音が響いた。ほんとうのところ、ひどく不器用なのは昔から変わっていないけれど、聴こえないふりだけは少しうまくなった。
「——あー、まじ腹減った」
「それな」
 視界の端をちらつく街灯の白色から目を逸らして、呟いた言葉には軽い相槌が返ってきた。こいつもこいつと食べるラーメンも、灯りの少ない夜の帰り道もわりと好きだけれど、夕飯も「いただきます」も午後八時も、俺はたぶんずっと嫌いだ。俺は俺のために、いまでもそういう意地を張っている。

2014.09.14

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