おぼえていますか

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 俺たち兄弟にとって父がかみさまであるのなら、二十八歳の真夏に夭逝(ようせい)した兄はなんであったのだろうと、いまでもよく考える。洋が死んだと連絡を受けた日、実家の庭には芙蓉の花が咲きほこっていた。その恐ろしいほどの白さも覚えている。少し、呼吸ができなくなった。失われたものはひどく内側にあったような気分に陥っていたのだろう。兄は、たしかに俺にとってなにものかであったし、おそらく実際にあらゆるものであった。そのことを、ずっと知っていたような気もしたし、あのとき初めて知ったようにも思える。誤解を恐れず言うなれば、彼は父よりも「かみさま」だった。人格を捨象した、純粋に信仰の対象とのみされる概念であったという意味で。洋が死んでそのからだが灰と骨だけにされたとき、俺は彼が人間だったことを思い出した。そして同時に、やはり彼はそれだけでひとつの概念——ほかに、なんと言おうか。つまるところそういったものであると実感した。俺には、これ以上うまくは言えない。俺たち兄弟はだれひとり、自分の内側の感情をことばに乗せて表現することに向いてはいない、そもそも。
 少し、俺に似合わない話をしようと思う。兄について。二月生まれの洋と四月生まれの俺は、学年こそ二つ違うものの、年齢は一歳と少ししか離れていない。そして、弟である俺にとって、洋は生まれたときからずっと近くにいる存在だった。彼がウィーンのホテルでピストルの引き金に指をかけた、あの八月四日まで。父も、洋も、天才と呼ばれるに相応しい人間であることは確かだ。(俺も、と言うのは気が引けるけれど、勇気を出すのなら、おそらく。)しかし、いつも目の前にあった兄の背中は、気付けば才能そのもののそれだった。——俺はこの感覚をどう書けばいいのだろう? 坂川洋という男は決して性格として存在感がなかったわけではないし、彼の奔放さはむしろその真逆だった。だというのに、そこには固有の人格というものは、言うなれば、彼自身が「歩む道を選んできた」という強固な声は、あの怖ろしいまでに美しいクラリネットの音色からは聞き取れない。(その点で彼は俺たちの父とは対照的な存在だった。父は強いひとだ。どんな茨も闇も、自分の音だけを頼りに歩くことができる、強いひとだ。)洋が歩んだ道、彼の人生、すなわち彼の音楽に彼の意志はない。そこにあるのは、人間的な感情も道徳も苦悩もなにひとつ混ざりこまない、あるがままに純粋な才能という概念ただひとつだ。洋がクラリネットに口付けるとき、ことばを持つのは洋自身ではない。——その旋律に乗せて、俺たちは才能そのものが発することばを耳にするのだ。あの、強烈で、恐ろしく、倒錯を呼ぶ音。「傾城」と称された眩暈のするうつくしさ。
 それを無機質な詰まらないものだと切って捨てるのは、理論的には簡単だ。事実その美しさに呼吸を止めるだけの感性を持たない人間に、洋はその言葉を幾度も投げかけられていた。「人間味があるほうが上だっつのが嘘だろ」と言い放った彼のことばに、俺たちはなにひとつ反論ができなかったのを覚えている。
 まったく、その通りだ。彼の才能には、「彼」というラベルすら必要ではない。

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