行雲流水の出会いと別れの中で
ちょっと前にここに来た当初の記事をいくつか読んだ。半年ほど前にぼくが書いたものだ。
驚いた。とてもポジティブな雰囲気でエネルギーと希望に満ちていて高揚感があった。とても同じ文章を書いている人物だとは思えない。
この半年でずいぶん擦れてくたびれてしまった。ぼくはもともとクールな男で通しているほど少し斜に構えたところがあるけれど、ここは海外、そして新しい環境を迎えるに当たっての高揚感が少なくとも数週間はあったのだろう。
一般に、目に映るものに目新しさがなくなって、非日常が日常になると高揚感はなくなる。高揚感がなくなれば、冷静になって、それまで見えていなかった嫌なところや、当初気にならなかったけどやっぱり不便だと思うことが次々と主張し始める。いろいろ気になる時期がやってくるわけだ。
僕の場合、その時期が少し前に終わって、ないものはないのだから仕方ないと頭と心で完全に受け入れたのがつい最近。できるだけ良い面に目を向けるようにして、ここでの生活も(少なくとも一時的なら)悪くないかなと思わなくもない。住みたいかと言われるとNO、そういう仕事だと思って受け入れている。
それで、最近友人・知人のちょっとした帰国ラッシュが始まっている。少し前に隊員が任期短縮、いっしょにユニオン島へ遊びに行った台湾人も最近帰国、今日町でネコのエサを買っていたニック(台湾人)も今月末に帰国、台湾人ボランティアとして1年の任期で来てるリーも来月末に帰国。
そしてセントビンセント在住6年、中国語を教えているベティも来年の5月頃ついに台湾へ帰ることを決意していた。
この娯楽のない国に6年も住めるなんて(彼女は車を運転しないし泳げないのでビーチにも興味ない)、相当変わってると言われていたけれど、「そろそろ、何かを変える時期だと思ったの」とぼくに語った。
ぼくとベティは誕生日が1日違いで、同い年という奇妙な縁がある。
来年は契約は更新しないというのは30歳で、ここでの仕事に一区切りつけるということなんだろうと思う。節目として分かりやすい。
台湾のJICA、ICDF(international cooperation development fund)は1年任期のボランティアとは別にベティのように台湾文化振興の一環で中国語を教えるということもやっているらしい。だから職場は外交関係にある途上国に限らず、ドイツなどのヨーロッパ勤務もある。
当然ベティもそれを狙っていたのだけど、なにせヨーロッパだからとても競争が激しい狭き門なのだそうだ。なので、とりあえず経験を積むという意味でこのカリブの辺境の国来たわけだけど、どういうわけか6年もいてしまったという。
台湾ボランティアの場合は、次この国でボランティアしてみないかという勧誘を受けるそうだけれど(ここが多くの国民に経験してほしいとしてるJICAとは異なる)、ベティもたぶんそういうのがあったんだろうし、あるんだろうと思う。人気の職種かどうかはともかく、人気の勤務地ではなさそうだ。
あまり詳しくは聞かなかったし、踏み込めそうもなかったけれど、「とりあえず1回帰る」と言っていたから、たぶん結婚とかその他のキャリア以外のライフイベントを意識してるんだろうと思う。邪推に過ぎないけれど。
30歳ってそういうのを強く意識するポイントなんだろうなと思う。
ぼくの周りの人も、20代のうちは色々経験して30歳からは専門を絞る!みたいな人が多い気がする。身の振り方を考え直す良い節目なんだろう。
以前、東京で出会ったタイのお嬢さんは「私たちはね、20代のうちはとにかく遊ぶの。自分の人生を全力でね。それで、30歳になったら次の幸せを見つけるのよ。つまり、急に結婚したり子どもつくったりし始めるの。なんだかんだで32歳くらいかな、みんな。だから途上国なのに晩婚で少子化のペースが早いのよ」と言っていた。
ぼくもなんとくここまで生きてたら住所不定無職29歳独身になってしまったわけだけれど、今年結婚した妹から新しい住所と新しい苗字でのフルネームが送られてきて結構おどろいた。
そうかそうか、変わらないものってないんだなと、自分は変わってないと思っていても周りは知らず知らずのうちにどんどん変わっていくんだなと当たり前のことを思った。
もうすぐ、特別なことなど何もない週末の何気ないパーティも人数が減って寂しいものになってしまうのかと。
最近の週末は見事に強い雨に降られることが多いからみんな外出しないけれど、ちょっと無理してでもそういう機会をつくるべきかもなと思った。
ひょっとしたらもう会えないかもしれないし。人生のほんの一瞬、交わっただけになってしまうかもしれない。
ぼくたちのここでのアジア人マイノリティとしての奮闘は「人生で一瞬交わっただけ」で、何年か後になって「そういえば昔ね…」という話で終わるような関係じゃないと思う。もっといろんなことが、これからもできると思う。
(台湾遊びにいったとき、泊めてくれるとか泊めてくれるとか泊めてくれるとか…)
ぼく10年くらい前にフィリピンに英語留学に行って、そのとき知り合った人たちとは今でも交流があって、かわいがってもらっているんだけれど、それができているのは、なにもしなければ疎遠になっていく繋がりを、誰かが繋ぎ止めてくれいたからだろうし、それってたぶんちょっと無理してでも何かした/やってるってことだろうし。
ハローもグッバイもサンキューも言わなくなって、こんなにもすれ違ってそれぞれ歩いてい…かないようにちゃんとコミュニケーション取ろう、行雲流水の日々の中でも、こだわるとことというか、執着するところは見誤らないようにしないとなと、ふと思った。
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