105.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第5節「東映ゼネラルプロデューサー岡田茂・映画企画の歩み⑦天尾完次企画映画 京都撮影所編」
7.プロデューサー天尾完次の偉業 京都撮影所編
岡田茂と共に、石井輝男監督『異常性愛シリーズ』、鈴木則文監督を起用して東映ポルノ映画シリーズを生み出したプロデューサー天尾完次は1973年9月に東京撮影所(東撮)企画部長に転進しました。
今回はそれまでの京都撮影所(京撮)時代の足跡をまとめて紹介いたします。作品の前に付けている①などの番号は、天尾がタイトルクレジットに企画として掲載されている作品に公開順で振ったものです。
(1)天尾完次、京撮時代劇映画
天尾完次は、1933年山口県柳井市に生まれ、1656年、早稲田大学文学部卒業後、東映に入社し京都撮影所(京撮)製作課進行係に配属されます。
1958年、進行主任に昇進の後、1962年6月、企画部に異動し企画者補佐として①1962年12月公開『若さま侍捕物帳 お化粧蜘蛛』、➁1963年3月公開『旗本やくざ 五人のあばれ者』、③5月公開『孤雁一刀流』に付きました。
1963年7月、本社企画本部の黒住盛太郎が京撮企画部長、渡辺達人が次長に就任します。
企画本部時代に渡辺は池上金男(後の作家・池宮彰一郎)と脚本を練りクレジットはされていませんが、集団時代劇④1963年7月公開『十七人の忍者』を企画、天尾が企画者として引き継ぎました。
続けて、⑤1963年12月公開『血と砂の決斗』(松田定次監督大友柳太朗主演)、翌週公開の渡辺達人が企画した⑥1963年12月公開『十三人の刺客』(工藤栄一監督・片岡千恵蔵主演)を担当します。『十三人の刺客』は作品的評価も高く好成績が期待されましたが、公開が12月初旬という難しい時期になったこともあり、興行的には振るいませんでした。
1964年2月、東撮所長から京撮所長に復帰した岡田茂は、京撮製作映画の中心を、試行錯誤しながらも時代劇から任侠映画へと転換させて行きます。
天尾は⑦1964年12月公開『幕末残酷物語』(加藤泰監督・大川橋蔵主演)、⑧1965年1月公開『徳川家康』(伊藤大輔監督・北大路欣也主演)など巨匠たちによる本格時代劇に企画者として付きました。
⑨1965年10月公開『大阪ど根性物語 どえらい奴』(鈴木則文監督・藤田まこと主演)では、天尾が進行の頃巨匠作品で共に苦労した助監督、鈴木則文の初監督作ということで、天尾自ら志願して企画を担当します。
その後、⑩1966年1月公開『十七人の忍者 大血戦』(鳥居元宏初監督・松方弘樹主演)、日下部五朗と中島貞夫が企画した現代劇⑪1966年5月公開『893愚連隊』(中島脚本・監督、松方弘樹主演)、⑫1967年9月公開『まぼろし黒頭巾 闇に飛ぶ影』(倉田準二監督・松方弘樹主演)、梅宮辰夫を東撮から呼び俊藤浩滋と企画した⑬10月公開『侠客の掟』(鳥居元宏監督・梅宮辰夫主演)、⑭12月公開『十一人の侍』(工藤栄一監督夏八木勲主演)などを任されます。
そして天尾は、⑮1968年1月公開『忍びの卍』(山田風太郎原作桜町弘子主演)で、鈴木則文監督とともに初めて好色映画に取り組みました。
(2)天尾完次、京撮好色映画
1968年5月、常務の岡田茂は企画製作本部長に就任します。社長の大川博から映画製作の全権を委ねられ、9月には配給や興行部門も統括する映画本部長兼企画製作部長となりました。
岡田の指示を受けた天尾は、⑯1968年5月公開『徳川女系図』の監督として岡田が東撮から呼んだ石井輝男、京撮の若手監督鈴木則文、中島貞夫などと、京撮にてどぎつい好色映画を数多く手掛けて行きます。
〇 石井輝男監督『異常性愛シリーズ』(1968年~69年)全9作
⑯1968年5月公開『徳川女系図』(石井輝男監督・吉田輝雄主演)
⑰1968年6月公開『温泉あんま芸者』(石井輝男監督・橘ますみ主演)
⑱1968年9月公開『徳川女刑罰史』(石井輝男監督・橘ますみ主演)
⑲1969年1月公開『残酷・異常・虐待物語 元禄女系図』(石井輝男監督・橘ますみ主演)
⑳1969年2月公開『異常性愛記録 ハレンチ』(石井輝男監督・橘ますみ主演)
㉑1969年5月公開『徳川いれずみ師 責め地獄』(石井輝男監督・橘ますみ主演)
㉒1969年6月公開『やくざ刑罰史 私刑(リンチ)』(石井輝男監督・大友柳太朗、大木実、吉田輝雄主演)
㉕1969年8月公開『明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史』(石井輝男監督・吉田輝雄、賀川雪絵、小池朝雄、由美てる子主演)
㉖1969年10月公開『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』(石井輝男監督・吉田輝男主演)
〇 中島貞夫監督・テロ映画『日本暗殺秘録』(1969年)
石井輝男作品の合間に天尾は、中島貞夫が企画したオムニバステロ映画㉔1969年10月公開『日本暗殺秘録』(中島貞夫監督・千葉真一主演)のプロデュースを担当しました。
〇 石井輝男、鈴木則文他監督『温泉芸者シリーズ』(1968年~72年)全5作
㉓1969年6月公開『温泉ポン引き女中』(荒井美三雄監督・橘ますみ主演)
㉙1970年8月公開『温泉こんにゃく芸者』(中島貞夫監督・女屋実和子主演)
㉛1971年7月公開『温泉みみず芸者』(鈴木則文監督・池玲子主演)
㊲1972年7月公開『温泉スッポン芸者』(鈴木則文監督・杉本美樹主演)
〇 石井輝男監督、渡瀬恒彦主演『人別帳シリーズ』(1970年)2作
㉗1970年1月公開『殺し屋人別帳』(石井輝男監督・渡瀬恒彦主演)
㉘1970年4月公開『監獄人別帳』(石井輝男監督・渡瀬恒彦主演)
〇 『風俗ドキュメンタリー映画シリーズ』(1971年~1973年)3作
㉚1971年 1月公開『驚異のドキュメント 日本浴場物語』(中島貞夫監督)
㉜1971年10月公開『セックスドキュメント 性倒錯の世界』(中島貞夫監督)
㊷1973年2月公開『セックスドキュメント エロスの女王』(中島貞夫監督)
〇 鈴木則文、関本郁夫他監督『女番長(スケバン)シリーズ』(1971年~74年)5作
㉝1971年10月公開『女番長(すけばん)ブルース 牝蜂の逆襲』(鈴木則文監督・池玲子主演)
㉟1972年 2月公開『女番長(すけばん)ブルース 牝蜂の挑戦』(鈴木則文監督・池玲子主演)
㊳1972年 8月公開『女番長(スケバン)ゲリラ』(鈴木則文監督・杉本美樹主演)
㊶1973年 1月公開『〈スケバン〉女番長』(鈴木則文監督・杉本美樹主演)
㊽1973年 5月公開『女番長(スケバン) 感化院脱走』(中島貞夫監督・杉本美樹主演)
〇 鈴木則文監督『恐怖女子高校シリーズ』(1972年~73年)3作
㊴1972年9月公開『恐怖女子高校 女暴力教室』(鈴木則文監督・杉本美樹主演)
㊻1973年3月公開『恐怖女子高校 暴行リンチ教室』(鈴木則文監督・杉本美樹主演)
㊿1973年9月公開『恐怖女子高校 不良悶絶グループ』(志村正浩監督・池玲子主演)
〇 サンドラ・ジュリアン(1971年~72年)2作
㉞1971年12月公開『現代ポルノ伝 先天性淫婦』(鈴木則文監督・池玲子、サンドラ・ジュリアン主演)
㊱1972年4月公開『徳川セックス禁止令 色情大名』(鈴木則文監督・杉本美樹、サンドラ・ジュリアン主演)
〇 鈴木則文監督ポルノ大作『エロ将軍と二十一人の愛妾』(1972年)
㊵1972年12月公開『エロ将軍と二十一人の愛妾』(鈴木則文監督・池玲子主演)
〇 クリスチーナ・リンドバーグ(1973年)2作
㊹1973年2月公開『不良姐御伝 猪の鹿お蝶』(鈴木則文監督・池玲子、クリスチーナ・リンドバーグ主演)
㊺1973年3月公開『ポルノの女王 にっぽんSEX旅行』(中島貞夫監督・クリスチーナ・リンドバーグ主演)
以上、本ブログ103.「岡田茂と天尾完次の京都撮影所(京撮)刺激性好色映画:石井輝男と橘ますみ」、104.「岡田茂・天尾完次による東映ポルノ映画:鈴木則文(のりぶみ)と池玲子&杉本美樹」参照。
〇 1973年・京撮時代その他天尾作品
天尾は、ATGからの依頼で中島貞夫が監督した㊸1973年2月公開『鉄砲玉の美学』の企画を担当します。
この作品の製作をするために、中島と天尾は、菅原文太、鈴木則文、掛札昌裕、金子武郎と白楊社を設立しました。
ATGの配給ですが、東映からも出資を受け、東映の契約2番館、3番館でも公開されました。
ヤクザの鉄砲玉の切ない姿を描いたこの映画は芸術作品として高い評価を受け、中島監督の代表作の一つとなります。
㊸1973年2月公開『鉄砲玉の美学』(白楊社=ATG製作・中島貞夫監督・渡瀬恒彦主演)
続いて天尾は、これまで『温泉みみず芸者』や『女番長(スケバン)シリーズ』で鈴木則文チームで助監督を務めていた皆川隆之の初監督作品『狂走セックス族』を企画します。
㊼1973年4月公開『狂走セックス族 』( 皆川隆之監督・渡瀬恒彦主演)
この後、㉘1970年4月公開『監獄人別帳』以来の石井輝男で㊽1973年6月公開『やさぐれ姐御伝 総括リンチ』を企画しました。
池玲子主演のこの映画は、前作㊹1973年2月『不良姐御伝 猪の鹿お蝶』で好評だった池が演じた「猪の鹿お蝶」を主人公にした続編です。
㊾1973年6月公開『やさぐれ姐御伝 総括リンチ 』( 石井輝男監督・池玲子主演)
この作品の後、天尾は㊿9月公開『恐怖女子高校 不良悶絶グループ』を企画し、1973年9月、東京撮影所(東撮)企画部長に転進しました。
天尾完次は京撮時代に企画として50作品に名前を残しています。
東映京都撮影所は、時代劇に続き任侠映画、実録映画と名作を作り続けました。
しかし現在、それらヤクザ映画の併映作として人気を博し岡田茂の方針で量産された天尾完次企画好色映画は記憶の片隅に置かれています。
石井輝男監督の前衛的好色作品、鈴木則文監督の東映ポルノ映画、目からウロコが落ちました。
トップ写真:1971年1月公開『驚異のドキュメント 日本浴場物語』左から監督・中島貞夫、撮影・赤塚滋、企画・天尾完次