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118.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

第8節「洋画部の躍進 角川映画との連携 後篇」

12.薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子、角川三人娘大活躍

 まずは薬師丸ひろ子主演の正月映画『里見八犬伝』の大ヒットで始まった1984年
 薬師丸を始めとする原田知世渡辺典子角川三人娘と称された3人の美少女がスクリーンで大活躍しました。

 正月の薬師丸の後、3月に公開された角川アニメ第2弾少年ケニヤ』にて原田がヒロインのケート役の声を担当します。

1984年2月発行 社内報『とうえい』第283号

 大林宣彦とアニメの今沢哲男が共同で監督し、東映動画が制作したこの作品は、東映が配給し6億5000万円配給収入配収)を上げました。

 ただ、同時期に公開された、東宝製作配給『ドラえもん のび太の魔界大冒険』配収16億5000万円徳間書店博報堂共同製作『風の谷のナウシカ』配収7億4000万円には及ばず、また、高畑勲がプロデュースし宮崎駿が監督した『風の谷のナウシカ』のような高い評価を得ることはできずに終わります。
 ちなみに、『風の谷のナウシカ』は東映動画出身の原徹が設立したアニメ制作会社トップクラフト(後にスタジオジブリに改組)が制作、東映洋画が配給した作品でした。

 続いて渡辺典子が、赤川次郎原作の井筒和幸監督『晴れ、ときどき殺人』に主演します。この作品には、これまで松田優作が主演した『蘇える金狼』などで角川映画プロデューサーを担ってきた黒澤満東映ビデオ取締役)が参加、東映セントラルフィルムが制作協力しました。

1984年4月発行 社内報『とうえい』第285号

 5月、同じく黒澤満がプロデュースし東映セントラルフィルムが制作協力した池田敏春監督『湯殿山麓呪い村』(永島敏行主演)との2本立てで、東映セントラルフィルム配給にて東宝みゆき座系で公開されると3億9000万円の配収を記録します。

1984年5月発行 社内報『とうえい』第286号

 7月には、薬師丸ひろ子主演の片岡義男原作『メイン・テーマ』(森田芳光監督)と原田知世主演の赤川次郎原作『愛情物語』(角川春樹監督)が同時公開されました。

1984年6月発行 社内報『とうえい』第287号

 『メイン・テーマ』では薬師丸の相手役野村宏伸がオーディションで選ばれ、映画デビューしています。
 『愛情物語』は角川春樹自らが監督し、マンツーマンで原田を指導しました。

 この両作品で角川は、ビデオ業界の慣例を破り、劇場公開と同時に角川ビデオ製作のビデオ販売を実施します。先行予約販売を行うと、両作品で5万本を超える申し込みが来ました。

1984年6月発行 社内報『とうえい』第287号

 薬師丸原田主演の角川映画2本立ては、東映洋画配給部が配給、東宝スカラ座系でロードショー公開されると配収18億5000万円1984年度日本映画配収第2位となる大ヒットを記録します。

1984年7月発行 社内報『とうえい』第288号

 薬師丸が歌った主題歌、南佳孝作曲『メイン・テーマ』はオリコン年間チャート13位、51万枚を超える大ヒットとなり、原田が歌う『愛情物語』の主題歌も32万枚のセールスを記録しました。
 歌もヒットした薬師丸原田はトップアイドルとなります。 

 角川は、この7月、5日に矢野徹原作のアニメ映画『カムイの剣』の製作発表を丸の内の東京会館で行いました。

1984年7月発行 社内報『とうえい』第288号
1984年7月発行 社内報『とうえい』第288号

 11日、続けて同場所にて渡辺典子主演赤川次郎原作『いつか誰かが殺される』(崔洋一監督)、18日、原田知世主演森村桂原作『天国に一番近い島』(大林宣彦監督)、25日、薬師丸ひろ子主演夏木静子原作『Wの悲劇』(澤井信一郎監督)と3作の製作を発表しました。

1984年7月発行 社内報『とうえい』第288号

 いつか誰かが殺される』は、東映角川の共同製作した映画で、黒澤満がプロデューサーを務めセントラル・アーツが制作協力した作品です。
 同じく角川東映が共同製作の真田広之主演『麻雀放浪記』(和田誠監督)と10月東映の配給で公開されます。
 この2本立て興行は配収5億1000万円と堅実な成績を残しました。

1984年9月発行 社内報『とうえい』第290号
1984年9月発行 社内報『とうえい』第290号

 続いて12月薬師丸主演『Wの悲劇』、原田主演『天国に一番近い島』は、正月映画として東映洋画配給にて日比谷映画系で同時公開され、配収15億5000万円1985年度日本映画配収第4位という期待通りの大ヒットを飾ります。

1984年12月発行 社内報『とうえい』第292号

 1984年はまさに角川三人娘が大活躍した年でした。

 ちなみに『いつか誰かが殺される』『Wの悲劇』は黒澤満セントラル・アーツが制作協力し、調布のにっかつ撮影所で撮影されています。『天国に一番近い島』は、プロデューサーを東映坂上順が担当し、にっかつ撮影所をベースに大半をニュージーランドロケで撮影しました。

13.薬師丸ひろ子の独立、東映洋画配給部自主製作開始

 『Wの悲劇』の大ヒットで1985年の幕を開けた東映は、3月角川アニメりんたろう監督『カムイの剣』(原作・矢野徹:声・真田広之)と平田敏夫監督『ボビーに首ったけ』(原作・片岡義男:声・野村宏伸)を2本立て公開します。

1985年2月発行 社内報『とうえい』第294号

 プロジェクトチームアルゴス、マッドハウスが制作した角川アニメは、残念ながら配収2億1000万円と振るいませんでした。

 そして、東映洋画配給部は、この年から角川春樹が独自に映画配給を行うことを決定したため、この作品をもって角川との配給契約休止します。

 また、同じ3月、『Wの悲劇』の演技で俳優として高い評価を得た薬師丸ひろ子は、角川春樹事務所から独立し個人事務所を設立しました。
 フリーとなった薬師丸の次の主演映画をめぐり、ここから邦画各社による争奪戦が勃発します。

 独自路線を歩み出した東映洋画配給部は、岡田茂の指示で自主製作に乗り出し、4月、第1弾として松田優作主演で夏目漱石原作・森田芳光監督『それから』の製作を発表しました。

1985年4月発行 社内報『とうえい』第296号

 続いて8月洋画配給部自主製作第2弾として、薬師丸主演映画『野蛮人のように』(川島透監督)の製作発表を行ないます。
 結局、薬師丸は付き合いの長い東映洋画配給部の正月作品に主演することが決まり、大学の夏休み期間中に撮影に入りました。

1985年9月発行 社内報『とうえい』第300号

 9月、薬師丸が去った角川は、東宝との共同で、原田知世主演の赤川次郎原作『早春物語』(『Wの悲劇』澤井信一郎監督)と志穂美悦子主演のつかこうへい原作『二代目はクリスチャン』(『晴れ、ときどき殺人』井筒和幸監督)の2本立てにて自主配給に乗り出します。
 『早春物語』は、黒澤満がプロデューサーを担当しセントラル・アーツが制作協力して製作され、『二代目はクリスチャン』は、『蒲田行進曲』の撮影時に東映京都撮影所京撮)の佐藤雅夫つかこうへいが映画化を企画したことから始まった映画で佐藤がプロデューサーに立ち東映京都撮影所京撮)が制作協力しました。
 この角川映画自主配給2本立て12億5000万円の配収を記録する大ヒットとなります。

 東映洋画配給部自主製作第1弾『それから』は、角川が映画に進出した時から角川に協力してきた20世紀FOXの古澤利夫が設立したサンダンス・カンパニーが企画した作品で、黒澤満セントラルアーツが制作協力した作品です。

1985年10月発行 社内報『とうえい』第301号

 11月に公開すると興行的には配収3憶5000万円、大ヒットはしませんでしたが堅調な成績を残しました。

1985年11月発行 社内報『とうえい』第302号

 この作品での松田優作の演技と森田芳光の演出は、第59回キネマ旬報ベスト・テン第1位に選出されるなど数多くの映画賞を受賞、高い評価を獲得します。
 『それから』は、洋画配給部第1弾製作作品として輝かしい成果を残しました。

1985年11月東映洋画『それから』夏目漱石原作・サンダンス・カンパニー企画・黒澤満、藤峰貞利(古澤利夫)プロデューサー・筒井ともみ脚本・森田芳光監督・松田優作主演

 これに続いて12月には洋画配給部自主製作第2弾、薬師丸ひろ子主演『野蛮人のように』が東映洋画配給部の配給で丸の内東映パラス系にて公開されます。

1985年11月発行 社内報『とうえい』第302号

 この映画も古澤サンダンス・カンパニーが企画し、黒澤セントラル・アーツが制作協力した作品で、柴田恭兵薬師丸の相手役を務めました。

1985年12月発行 社内報『とうえい』第303号

 1年ぶりとなる薬師丸の主演映画は、東映セントラル・アーツ、ウィングス・ジャパン共同製作の仲村トオル主演『ビー・バップ・ハイスクール』(那須博之監督)と同時上映され、配収14億5000万円、この年の日本映画配収第2位となる大ヒットとなります。

1985年12月東映洋画『野蛮人のように』サンダンス・カンパニー企画・ 伊地智啓、瀬戸恒雄、黒澤満プロデューサー・川島透脚本監督・薬師丸ひろ子主演

 年末には大ヒット感謝パーティーが開催されました。

1986年1月発行 社内報『とうえい』第304号

 井上陽水が作詞作曲し薬師丸が歌った主題歌「ステキな恋の忘れ方」も25.1万枚のセールスを記録します。

大人の俳優へと転身をめざす薬師丸ひろ子

14.角川映画への制作協力

 東映洋画配給部は、角川映画との配給契約を休止しましたが、『早春物語』など数多くの角川映画の制作に協力してきた黒澤満セントラル・アーツ東京撮影所東撮)の坂上順は引き続き、角川映画の制作を手がけました。
 1986年4月公開の東宝が配給した野村宏伸主演の角川映画キャバレー』(角川春樹監督)は坂上がプロデューサーとして参加し東撮協力しています。 

 8月東映洋画配給部は、翌1987年の正月公開作品として薬師丸主演『紳士同盟』(小林信彦原作・那須博之監督)の製作を発表しました。

1986年8月発行 社内報『とうえい』第311号

 今作品もサンダンス・カンパニーの企画で、セントラル・アーツが制作協力してにっかつ撮影所にて撮影されます。

1986年12月東映洋画『紳士同盟』小林信彦原作・藤峰貞利企画・黒澤満、坂上順、青木勝彦プロデューサー・丸山昇一脚本・那須博之監督・薬師丸ひろ子主演

 12月ウイングス・ジャパン代表の長谷川安弘企画で黒澤セントラルアーツが制作協力した小泉今日子主演『ボクの女に手を出すな』(中原俊監督)と同時公開すると配収9億5000万円と大ヒットはしましたが、前作までの勢いはなくなりました。

1986年12月東映洋画『ボクの女に手を出すな』東映、バーニングプロダクション、ウィングス・ジャパン共同製作・河村光生企画・黒澤満、伊藤亮爾、紫垣達郎、遠藤茂行プロデューサー・斎藤博、中原俊脚本・中原俊監督・小泉今日子主演

 『紳士同盟』の後、薬師丸は東映洋画配給部作品から離れ、松竹など他社作品で活躍します。

 角川映画では、その後1987年3月東宝が配給した原田知世主演『黒いドレスの女』(崔洋一監督)と野村宏伸主演『恋人たちの時刻』(澤井信一郎監督)の両作品にて、黒澤満がプロデューサーとして担当しセントラル・アーツが制作協力しました。
 また、1988年8月東宝配給で公開されたつみきみほ主演『花のあすか組!』には東撮佐藤和之がプロデューサーとして参加、東撮にて制作されるなど、制作面での協力は継続して行きます。

 そして、東映洋画配給部は、超大作角川春樹監督『天と地と』(榎木孝明主演)で再び角川とタッグを組みました。
 カナダでの大型ロケーションを敢行、「赤と黒のエクスタシー」のキャッチフレーズで大々的な宣伝キャンペーンを行います。
 1990年6月に公開すると興行収入92億円のビッグヒットを記録しました。

1990年5月発行 社内報『とうえい』第354号

 続いて洋画配給部は、翌1991年3月榎木孝明主演の角川映画内田康夫原作『天河伝説殺人事件』(市川崑監督)を配給公開します。 

1991年月発行 社内報『とうえい』第362号

 この作品は、配収4億9000万円と今一つの成績に終わり、ここで東映洋画配給部角川春樹との仕事は再び休止しました。

 洋画配給部は、1977年の『人間の証明』以来角川春樹との様々な映画で重要な役割を果たし、大躍進を遂げます。
 松田優作主演『それから』以降、自主製作にも乗り出し、黒澤満セントラル・アーツの協力で数々のヒット作を生み出しました。

 次回は黒澤満セントラル・アーツを紹介いたします。  

トップ写真:『野蛮人のように』『ビー・バップ・ハイスクール』初日館前風景・渋谷東急レックス前・左から川島透監督、柴田恭兵、薬師丸ひろ子、清水宏次朗、中山美穂、石井博康、仲村トオル、那須博之監督