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88. 第4章「行け行け東映・積極経営推進」

第17節「少女向けテレビアニメの誕生 前編」

 今を去る1000年以上昔の平安時代、女流作家紫式部による女性向け長編小説源氏物語』が誕生した国、日本。
 女性文学の歴史を有するこの国では、戦前から少女向け漫画が登場していました。

① 日本の少女漫画のはじまり

 大正時代、美人画家竹久夢二叙情画家と呼ばれた高畠華宵蕗谷虹児たちが描いた挿絵が、東京社少女画報』、大日本雄弁会講談社以下講談社)『少女倶楽部』などの少女雑誌に掲載され、少女の間に叙情画ブームを巻き起こします。

『少女画報』1926年9月号 表紙・高畠華宵画 (Wikipedia「高畠華宵」より)

 昭和に入り、北澤楽天は、『時事漫画』(時事新報社1928年11月4日号から日本で最初に少女を主人公とした連載漫画とんだはね子嬢」の連載を始めました。

北澤楽天作画『とんだはね子嬢』『時事漫画』381号(昭和3年12月16日)(さいたま市HP「北澤楽天」より)

 この作品を契機に、『少女倶楽部』や『少女の友』などの少女雑誌を舞台に新たな少女漫画が徐々に生まれてきます。

〇 1908年創刊少女の友実業之日本社
 1932年
、『少女の友』は、専属契約を結びデビューした画家、中原淳一の手掛けた表紙や挿絵が少女たちの評判を呼び、1937年川端康成乙女の港」の中原挿絵叙情画ブームを興しました。
 そして、翌1938年には、挿絵画家だった松本かつぢが少女漫画「くるくるクルミちゃん」の連載を始め、愛くるしいキャラクターのクルミちゃんが人気を集めます。

松本かつぢ『くるくるクルミちゃん』絵葉書

〇 1923年創刊『少女倶楽部』大日本雄弁会講談社
 
一方、大正時代叙情画ブームを作り出した講談社の少女雑誌『少女倶楽部』では、1935年田河水泡の内弟子倉金章介どりちゃんバンザイ」、1940年、同じく田河の内弟子長谷川町子による「仲よし手帖」などの少女漫画が人気を集めました。ウメコ、タケコ、マツコ。三人の女学生の日常を描いた少女学園漫画で、マツコは「サザエさん」のワカメちゃんと同じ髪型でワカメちゃんがそのまま女学生に成長した感じです。

 しかし、それらの少女雑誌の中心は小説であり、まだ漫画は少数、挿絵はあれど、大半は活字ばかりで、戦争が近づくにつれ、漫画や叙情的な挿絵は規制され、中原淳一も『少女の友』から去ります。
 そして、戦争中は、雑誌浄化運動によって他の雑誌同様に少女雑誌も厳しい統制を受けました。

② 月刊少女雑誌の誕生と人気少女漫画の登場

 戦後をむかえ、1946年、戦前から続く講談社少女倶楽部』は、『少女クラブ』に名前を変えます。だが、戦争が終わっても漫画に対する親たちからの抵抗は強く、戦前同様、小説を中心とした構成は変わらず、挿絵などの叙情画が少女たちの人気を集めていました。
 1949年創刊少女光文社 
 1949年、講談社グループの光文社は月刊少女雑誌『少女』を創刊、長谷川の少女漫画「仲よし手帖」が引き継がれます。
 そして、第4号から始まった倉金章介の少女漫画「あんみつ姫」が、少女だけでなく男の子からも人気を集め、大幅に部数を伸ばしました。
 1951年創刊少女ブック集英社
 1951年
には、小学館グループの集英社から月刊少女雑誌『少女ブック』が発刊され、松本かつぢフィフィちゃんの小鳥」松本に師事した上田としこの「ボクちゃん」などが掲載されます。
〇 1953年『少女クラブ』手塚治虫「リボンの騎士」連載開始
 学童社の月刊少年誌『漫画少年』の「ジャングル大帝」や光文社少年』連載「アトム大使」などで人気を集めた手塚治虫は、宝塚歌劇のファンで、1953年講談社少女クラブ』にて、少女漫画「リボンの騎士」の連載を始め、人気を呼びました。
 小説など読物が中心の『少女クラブ』も、徐々に漫画の割合を高めて行き、1957年から連載を始めた上田としこフイチンさん」がヒットします。
〇 1954年創刊『なかよし』大日本雄弁会講談社
 そして、1954年12月講談社は『少女クラブ』の妹誌として、現在まで続く月刊少女雑誌『なかよし』を創刊、人気スターのプロマイドなどの付録が人気を呼びながら、1958年からは漫画中心に置くようになりました。
〇 1955年創刊『りぼん』集英社
 
少女漫画の人気の高まりを受け、1955年9月集英社は、『少女ブック』の妹誌として、これも現在まで続いている月刊少女雑誌『りぼん』を創刊し、上田としこの「ぽんこちゃん」がヒットします。

 戦前から続く講談社少女クラブ』に、戦後、光文社少女』、集英社少女ブック』、講談社なかよし』、集英社りぼん』と月刊少女雑誌が創刊され、漫画人気の高まりと共に少女雑誌における少女漫画の占める割合が拡大。少年漫画と共に少女漫画もこれらの月刊誌を中心に大きく羽ばたいて行きました。
 漫画家では、戦前から活躍する倉金章介長谷川町子、戦後の上田としこ、そして手塚治虫などの漫画家が少女漫画の先駆けとなります。

③ 手塚治虫に続く若手漫画家の少女漫画進出

 これまで明るいコメディ中心だった少女漫画に、『リボンの騎士』でストーリーを導入した手塚治虫に続き、トキワ荘出身の若手漫画家たちなどが、少年漫画ばかりでなく少女漫画の世界でも様々なジャンルの作品を生み出して行きます。
〇 石森章太郎
 1955年学童社漫画少年』「二級天使」でデビューした石森は翌1956年講談社少女クラブ』にて「まだらのひも」「幽霊少女」を掲載し、その後も『少女クラブ』で多くの作品を描きました。
〇 藤子不二雄
 1951年毎日新聞連載「天使の玉ちゃん」でデビューした藤子は、1955年光文社少女』にて「ゆりかちゃん」の連載を始め、翌年連載の「光公子」など少女漫画では『少女』を中心に活躍します。
〇 赤塚不二夫
 1956年、貸本出版社曙出版嵐をこえて』でデビューした赤塚は、翌1957年集英社少女ブック』お正月増刊号にて「荒野に夕日が沈むとき」を掲載。その後も少女漫画では『少女ブック』を主に活動しました。
 つのだじろう
 1955年学童社漫画少年』「新桃太郎」でデビューしたつのだは、1958年集英社りぼん』掲載「ルミちゃん教室」が人気を呼びます。
〇 水野英子(みずのひでこ)
 1955年
、15歳で集英社少女クラブ』の1コマ漫画を描き、漫画家デビューした水野は「赤ッ毛子馬(ポニー)」を発表後、同誌にて、1958年1月「銀の花びら」の連載が始まり、3月からトキワ荘に仲間入りしました。

 そして、トキワ荘出身の漫画家だけでなく、後に大御所となる若手漫画家たちが次々と少年漫画や少女漫画に進出してきます。
〇 松本零士
 1954年、高校1年15歳の時、学童社漫画少年』蜜蜂の冒険」で漫画家デビューした松本は、1957年光文社少女』「黒い花びら」から同誌で執筆を続け、翌年からは講談社少女クラブ』にも掲載、少女雑誌を中心に活動しました。

 その中でも、戦後興った貸本ブームでデビューした若手漫画家たちは、少女雑誌に移り、その後人気漫画家になって行きます。
〇 高橋真琴
 1953年、貸本出版社榎本法令館奴隷の女王』で貸本漫画デビューした高橋は、日の丸文庫あかしや書房などで貸本少女漫画を手がけます。
 1957年光文社少女』「悲しみの浜辺」で雑誌デビューを飾ると翌1958年、同誌にて「あらしをこえて」の連載を始め、一躍人気漫画家となりました。
 高橋は、少女を緻密で装飾性が高く、華やかな色彩で描き、その大きな瞳の中に多くの星を入れ、少女漫画特有の表現スタイルを完成させます。
 高橋の描くキャラクターは漫画を離れ、文房具やファンシーグッズとして少女たちに今も愛されています。
〇 ちばてつや
 1956年、17歳の高校生だったちばは、貸本出版社日昭書店復讐のせむし男』でデビュー、高校時代は貸本の執筆を続けました。
 1958年、高校卒業後、集英社少女ブック』で「舞踏会の少女』、講談社少女クラブ』で「リカちゃん」と同時に発表。この後、両誌で同時に連載を受け持ちますが、やがて講談社と専属契約を結び「ママのバイオリン」の連載を継続します。
〇 横山まさみち
 1950年藤玩具出版の赤本『ウサギのかごや』で漫画家デビューした横山は、1956年光文社少女』「少女探偵シルクちゃんハットちゃん」で雑誌デビュー。そのまま『少女』などの少女雑誌で活躍し、1961年頃から貸本劇画の世界に移りました。
〇 牧美也子
 1957年、貸本出版社東光堂のバレエ漫画『母恋ワルツ』で漫画家デビューしたは、その年、光文社少女』「白いバレエ靴」で雑誌デビューします。翌1958年に『少女』にて初連載のバレエ漫画『青い十字架』、その後代表作「少女三人」の連載が始まりました。1961年松本零士と結婚。1967年にはタカラ初代リカちゃん人形を監修します。
〇 わたなべまさこ
 挿絵画家のわたなべは、1952年、貸本出版社若木書房すあまちゃん』で漫画家デビュー。1957年から集英社少女ブック』にて「やまびこ少女」の連載をはじめ、少女雑誌に活動の場を移しました。1959年に同誌連載の「白馬の少女」、1961年集英社りぼん』連載「おかあさま」がヒットします。
〇 横山光輝
 高校時代、学童社漫画少年』などに投稿していた横山は、卒業後、神戸銀行など会社を転々とするサラリーマン生活を送りながら、1955年、貸本出版社東光堂音無しの剣』で漫画家デビューしました。その年、光文社少女』で「白ゆり行進曲」の連載を始め、雑誌デビュー。1956年に会社を退職し、光文社少年』にて連載を開始した「鉄人28号」が同誌連載中の手塚治虫鉄腕アトム」に負けない人気を博します。「鉄人28号」は、ニッポン放送でラジオドラマ(1959年)、日本テレビ系で実写テレビドラマ(1960年)、フジテレビ系でテレビアニメ(1963年)とメディア展開され、巨大ロボット物の先駆けとなりました。

④ 横山光輝『魔法使いサリー』魔女っ子シリーズ誕生

 その後、横山は、人気漫画家として、少年誌、少女誌にてSF,時代劇、ミステリー、バレエ、母子物など様々なジャンルで数多くの作品を発表し、「伊賀の影丸」などのヒット作も生まれます。
 1966年2月からTBS系で放映が始まった米国の人気テレビドラマ『奥さまは魔女』を見ていた横山は、魔法を使う明るい少女のドラマを思いつきました。早速、金髪メッシュの魔法の国の王女サニーというキャラクターを考え、集英社りぼん7月号から連載が決まります。
 女の子向けアニメの企画を探していた東映テレビ部次長の渡邊亮徳は、「魔法使いのサニー」新連載の予告を見てすぐさまテレビアニメ化の話をもちかけ、許諾を受けました。
 しかし、テレビ放送にあたり「サニー」という名前が先に商標登録されていることがわかり、登録元の「ソニー」に使用許可を求めましたが断られてしまいます。そこでタイトルを『りぼん』11月号より「魔法使いサリー」に替えました。ちなみにその号からサリーちゃんのライバルとしてホンダのスーパーカブから命名した小悪魔カブも登場します。
 そして、12月からNET系にて東映動画制作『魔法使いサリー』(1966/12/5~1968/12/30)が放映を開始しました。

1966年10月発行 社内報『とうえい』第104号

 日本初の少女が主役のテレビアニメ魔法使いサリー』は、渡邊の狙い通り大ヒットし、2クール半年の予定が8クール2年間も続き、第18話からはカラーになります。

『魔法使いサリー』©光プロ・東映アニメーション

 「マハリク マハリタ ヤンバラヤンヤンヤン」、「マッホーのマンボ」、「ぼくたちわんぱくトリオだぞ」、「おやつがほしけりゃ パパパのチョイナ」。
 女の子ばかりでなく男の子の人気も集め、その主題歌も大ヒット。当時子供だった世代の人たちの記憶に今も残っています。

『魔法使いサリー』よっちゃんの弟わんぱくトリオ ©光プロ・東映アニメーション

 茶髪の魔女っ子『魔法使いサリー』。今につながる東映少女ヒーロー物の歴史はここからはじまりました

『魔法使いサリー』 ©光プロ・東映アニメーション

 また、横山光輝とは、その後、『仮面の忍者 赤影』、『ジャイアントロボ』、『バビル二世』といった東映少年向けヒーロー作品でも人気を博しました。
 少女向け作品は少女が主人公の作品がほとんどですが、少年向け作品は少年と同じくらい青年が主役の作品も多いですね。

 次回は、月刊から週刊に代わる少女漫画誌の歴史と『魔法使いサリー』に続く東映少女ヒーローアニメ作品をご紹介いたします。

 タイトル写真『魔法使いサリー』©光プロ・東映アニメーション