コミカライズの「アレンジ」について 魅力的なプロット作りの基本③

さて、ここまでの作業で、すでに僕は「原作の桃太郎」を一度も見ていません。
最初に”骨”を取り出した時点できちんと原作の要素を取り出せることができれば、こうして原作の細かな表現にとらわれずプロットは書き出していけるのです。



しかし、「こうして原作の細かな表現にとらわれずにプロット作成していく」ということはつまり

自分独自の「アレンジ」を施す

ということになってしまいます。


このアレンジを、「なぜやってしまうのか、原作通りにやれ」と怒り出す人も少なくありません

アレンジを施す理由は制作者によって様々あるでしょうが、僕に限っていえば、


・ページ数が限られているため
・僕自身の生理的なもの

と、なるでしょうか。


ページ数については言わずもがなですよね?
長編小説を190ページ程度の漫画にするには、大幅なアレンジをしなければまず描ききれないということです。


短編や中編小説についてもそうです。原作通りのプロット通りに漫画にすると、今度は逆にページが足りない、ということになって、これも困ってしまうので、多少の水増しが必要になってきます。(しかし、個人的には短編・中編の方がコミカライズにもっとも向いているとは思ってますが)


では生理的なものって何?ってことですが。


もう一度「桃太郎」の物語を考えてみましょう。

この物語には不可解な要素がたくさんありますね?

おばあさんのきびだんご、とか、鬼がどんな悪さをしていたのか、とか、そもそも桃から生まれる子供ってどうよ、とか。

これら「不可解な要素」が僕の生理的なところに引っかかるわけです。なんか気持ち悪いな、と。


これらの不可解な部分をほっておくと、原作をいざ漫画にしようとする時、「ん?」と疑問が湧いてプロットが作れなくなってしまうことがあるわけです。何しろ納得がいっていないわけですから、「鬼退治のために旅をする桃太郎」が生き生きと動き出さない。


この不可解な部分を「自分なりに」解決してやることでプロットが再び進み始めるのです。

例えば僕がこの物語でもっとも不可解なのは「鬼側のキャラ設定」が全くないことです。


「原作通り」にするならそのまま素直に、突然桃太郎が鬼退治にいく!と宣言してお供たちを引き連れ鬼ヶ島に乗り込みやっつける、とだけ描けばいいのですが、僕はそれが「生理的に引っかかる」わけです。


原作のテーマが勧善懲悪ならば、鬼たちの設定をうんと怖く、悪い奴にしなければなりません。それらを描くためには、原作にない場面やエピソードを作ることになります。そうしないと桃太郎の健やかさや正義感が描けないからです。


すると、その「鬼のキャラ設定」は僕が原作に「アレンジ」を加える、ということになるわけです。


またプロットを作成していく上で「キャラが勝手に動き出す」こともあるので、それらもアレンジが加わっていく理由の一つでしょう。

例えば、
おそらく第2章の旅の途中での仲間を作るパートは、
「犬・猿・キジ」などという、明らかに濃いキャラが出てくるわけですから、彼らと桃太郎のやり取りはそれだけで「原作にない場面」が噴出するでしょう。
それに家来たちそれぞれのやり取りなども随分とアドリブ混じりの愉快なものになっていくでしょうね。
そうなると彼らを家来にしていくエピソードをそれぞれ”章”として独立させるかもしれません。

それに第3章の鬼ヶ島での戦いは大スペクタルなので、こちらも結構なボリュームになるのは必至でしょう。


少年マンガならばそれぞれの要素を引っ張りまくって20年くらいの長期連載にはなるでしょう(笑)。


しかしプロットを作る際に、筆が乗ってしまってあまりに長くなった場合は、ページ数と相談しましょう。

「こんなプロットが(1章)30ページで収まるかな?」

と考えれば、どの部分が無駄なプロットなのか、チェックして削る、という見直し作業が可能になります。



さて、こうして「物語」をコミカライズする際には必ずといっていいほどアレンジを施していくわけですが、このアレンジをあまりに色濃くやってしまうと、それはまさしく原作を無視した乱暴な改変になりかねないので、注意が必要です。


桃太郎が生まれた桃は実は小型の宇宙船だったのだ、とか
おばあさんのきびだんごに怪しげなドラッグのような成分が含まれていて…とか
鬼のキャラ設定に変に人間らしさを加えてしまって実は彼らにも同情すべき点が多々あって…

などとやってしまうと原作から大きく離れてしまいます。


どうしても大幅にアレンジを加える場合は、

どうしてもそれをやらねばならない(自分なりの)必然性と、
読者の批判はあって当たり前だ、という覚悟

が必要になってきますね。


そして何より原作と原作者へのリスペクト。

あくまでも原作のエッセンスにかなっているかな?と自問自答しながらアレンジしていくことが大事でしょう。


ちなみにそうはいっても、僕もこれまでのいくつかの作品で相当なアレンジを加えています。


まんがで読破 シャーロックホームズ緋色の研究


ドグラ・マグラ萬画版


などは特にそうですね。
これらは「原作至上主義者」からはかなり嫌われるだろうな、と自覚しながら描いていた作品です。
興味ある方は、ぜひ原作と読み比べてみて、原作をどのようにアレンジしたのかな?そしてそれはどんな理由でアレンジされたんだろう、などと考えながら読んでいただけると嬉しいです。


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トーエ・シンメ

マンガ家。主な作品「まんがでわかるプーチン」 まんがで読破「雇用・利子および貨幣の一般理論」「シャーロックホームズ緋色の研究」/「モルグ街の殺人」「コーラン」「地獄の季節」(構成・ネーム・キャラデザ担当)

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