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コミカライズとは「翻訳」だ 少し長めの前口上

僕はコミカライズをいくつか手がけてきたのですが、
出版社からいただいたお仕事以外でも、個人的にもいくつかコミカライズを描いています。誰に頼まれたわけでもないのに。とにかくコミカライズが得意だし、好きなのです(笑)。

このページをご覧になっている漫画家志望の方はきっと自分で考えたオリジナルのストーリーを自由に描きたいと思っていることでしょう。

でもいざそれを実行に移そうとする時、「すごく素敵な物語を思いついたのに、どうやったらこれを漫画にできるんだろう?」と困惑し、1ページも進まない、なんて残念なことになっている人はいませんか?

僕は既存の文学などを漫画化してはいますが、あなたは「あなたの物語」を自分でコミカライズしていくのです。

これから僕が紹介していくコミカライズの手法は、きっとそんなあなたにもヒントになってくれると思います。

また、漫画を描く人以外にも、例えばシナリオを書く人や小説を書く人、あるいはとてつもなくややこしい論文やら資料なんかの情報整理術として役立つ、なんてこともあるかも。多分。そうだといいな。

というわけで、まず「僕の考えるコミカライズとは」をお読みください。少し長いですが。


コミカライズとはいうまでもなく「ある題材を漫画で描いたもの」のことです。

漫画の発達した日本では、このコミカライズの文化も長く深く、あなたもこれまで多くのコミカライズを手にしたことだろうと思います。

有名な文学作品は実はマンガでしか触れてないよ、という人もいるかもしれませんね。
そしてすでにストーリーの出来上がった文学を漫画にするのはオリジナルの漫画を描くより簡単だろうと思ってるかも。

僕も実はそんな風に考えている一人でした。

しかし実際この仕事に携わるとそんな考えはずいぶん浅はかなものだったんだな、と今は考えています。


文学のコミカライズはちっとも簡単では無いし、オリジナルの漫画を生み出すこととはまた違った技術と難しさがあって、これらは比較できるものじゃ無いんだ、ということに気づいたのです。

そして僕がいくつか文学作品をコミカライズしてきて断言できることがあります。
それはコミカライズは「翻訳」なのだ、ということ。

翻訳とは外国語のものを自国語に移し変える作業のことですよね?
例えば同じストーリーを英語の原作から日本語の文法に落とし込むことがそれほど簡単なことでは無いことは、きっと誰でもわかるでしょう。


例えば一人称は「俺」にするのかそれとも「僕」か、あるいは「私」の方が良いのか。

シャーロックホームズの「The Sign of the Four」を「四つの署名」にするか「四人のサイン」とするかそもそも「Sign」の定義は?などの問題で翻訳家たちはずっと悩んできたわけです。


国が違えばコトバのニュアンスも使い方も、英語と日本語なんて文法もまるで違う。それをなんとか共通項を自国語に見出して(半ば無理やり)語り直しているのが翻訳だろうと思うわけです(プロの方が読んだら相当怒られそうですが)。


コミカライズも実はそうなんです。


文章というメディアを一つの「国」と考えて見ましょう。
その国の”コトバ”は、例えば日本語ならアイウエオに始まる五十音と漢字、カタカナ、時にアルファベット、そしてそれらを運用する文法のみです。それだけを使ってあるモノをあなたに伝える。

漫画というメディアもまた独立した別の「国」です。
「漫画の国」の”コトバ”は、絵(吹き出し含む)、コマ割り、セリフに用いる言語、そしてそれらを運用する文法のみを用いてあるモノをあなたに伝える。


つまり(文学の)コミカライズとは、「文章の国」のコトバという外国語で語られていたものを「漫画の国」のコトバに移し変える作業なのです。

それぞれの「国」の”コトバ”は文法も違えば微妙なニュアンスも違う。語順も違ってたりするので、例えば


「彼は彼女に出会って一瞬で恋に落ちた」


なんてシンプルな「文章の国」の”コトバ”で描き出されたモノを「漫画の国」の”コトバ”で描くのはわりと難しい、なんてことになるわけです。


試しに上の文を漫画にして見てください、人物設定やら場面設定、コマ割りは必要か?登場人物のそれぞれの表情は?などなど、考えなきゃいけないことは山ほどあります。ね?そんなに簡単なことではないでしょう?

文学のコミカライズではこんなことは頻繁に起こります。

原作では割とシンプルに語っている場面や会話でも、それを漫画として描こうとすると原作には書き出されていない情報がたくさんあって、

そのために

”それほど重要ではないが無いと話が続かない、しかも数行しか原作には無い場面”

に数ページ費やすなんてこともあるし、

その逆に、

原作では数十ページかけて描いているある重要な場面

が漫画の絵とセリフとコマ割りを駆使すれば見開き2ページで済んじゃう、

なんてこともあるわけです。

すると、すでにストーリーがあるから簡単に漫画にできるだろうなんて、とてもじゃないが言えないことはわかってもらえますね?


オリジナルのストーリー漫画はそれがオリジナルであるがゆえに、物語を生み出す苦しみはもちろんあるにしても作者は好き勝手に漫画を描いていくことができます。

しかし文学のコミカライズは原作のストーリーをページ数も制限された中で語り直す、というまた別の難しさ/楽しさ、があるのです。


この、コミカライズは「翻訳」である、ということに気がついてから僕はその魅力に取り憑かれてしまったわけです。
そしてこれは僕の能力に向いている、と。
こうして僕はいくつものコミカライズを手がけ、今ではそれを僕の看板として掲げています。


これから僕が語る「コミカライズの描き方」を、”コミカライズとは翻訳だ”という考え方を念頭に読み進めてくだされば、あなたの理解も深まるんじゃ無いかと思って、こんなにだらだら前口上を書いてみました。
読んでくださってありがとうございます。


さて、この章では僕はあえて、”文学の”コミカライズとは、と書いてきました。
しかし僕は今までにロシア大統領プーチン(人物伝)、ケインズの経済学やコーラン(宗教書)、果てはランボーの詩集、

といったそもそも「ストーリー」の無いものもコミカライズしてきたわけですが、それはまた別の話になります。

それはまた別の機会に書いてみたいと思います。しかしそこでもおそらく「翻訳」というキーワードは出てくるとは思いますが。


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