ひとりぼっちは面白い

NHK教育番組の「みんななかよし」というのが子供の頃あって、学校の道徳の時間に見たりしていたのだった。
小一~小三ぐらいの時だから1973~75年あたり。

(当時まだ学校にビデオデッキはなく、放送時間は決まっていたので、時間割の「道徳」がたまたまそこに合致していたということなのだろうか。他の学級でも見せてただろうからちょっと不思議)

それで、子供というのは真面目な歌詞ほどわざと逆にして歌って面白がったりする生き物であり、
この番組の主題歌をこんな風にして歌っていた。

原詞:(作詞・北川幸比古)

 口笛吹いて空き地へ行った
 知らない子がやってきて 
 遊ばないかと笑って言った

 ひとりぼっちはつまらない
 だれとでもなかまになって
 なかよしになろう

替歌:(たぶんおれの兄)

 口笛吹いてオナラを放(ひ)った
 知ってる子がやってきて 
 ケンカしようと怒って言った

 ひとりぼっちは面白い
 だれとでもケンカをして
 絶交しよう

(ここまでで続きは歌わない。テキトー。)

ところで。
この歌については、それこそ無数の人がブログなどで、
最後の一節の「知らない子」の行方について語っている。

 口笛吹いて空き地へ行った
 知らない子はもういない
 みんななかまだなかよしなんだ

大抵は、この「知らない子」と知り合えないまま、彼はどこかに去って行ってしまった、と「誤解」していたというものだ。

しかし、おれははっきり覚えているのだが、この「知らない子」という歌詞については、当時から、ちょっとカッコいい「言い方」として「もういない」と言っているんだな、と気づいていた。

そしてその言い方の、やや「気取った感じ」について、東京から押し付けてくる(とそこまで言語化はしていなかったが)ようで、なんかやだなーと思っていた記憶がうすらぼんやりとある。

(田舎の子供は、中央からやってくる都会的な文化というものには、やや屈折した思いがあるのだ)

だから、非常に多くの人がしていたという「誤解」については後から知ってなるほどなーと感心したのだった。
しかしそうなると、最後の一行は「排除」の後の安堵を表しているみたいでけっこう怖くなる。だけどそれはそれで真実かもしれない(NHKが道徳教育として流すはずのない内容になってしまうが)。

しかし「ありきたり」だ。

そんなことを考えながら、さっきの替え歌の方に戻ると、

 ひとりぼっちは面白い

これはけっこういいフレーズだなー、と今更ながら思ったりするのだった。

この歌詞を口走った子供(おそらく二歳上の兄)も、何か深いことを考えて作ったわけではない。
ただ単に歌詞をひっくり返していったらこうなったというだけのことだ。

だけど、いいではないか。
あまりない言葉の組み合わせがスパークしていて、孤独を跳ね返す強さがある。

心の中に、何か「言いたいこと」や「表現したい欲望」があって、それが外に現れてきたものが創作物だという考えかたは、それこそ戦後民主教育の拠って立つところでもあるだろう。

しかしなんというか、先生の言うことを聞かないというか、不道徳(さっきの「排除」の思想とは違うよ)なやり方かもしれないが、真っ当な表現をずらす、骨抜きにする、ひっくり返す、そういうアウトローなやり口に、おれは活路を見出したい。
そんな気持ちが、最近ChatGPTを使っていてもふつふつと湧いてくるのだった。


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