見出し画像

フェルール記 -1


挨拶

ホスルの僕、主の福音の下に選ばれ召されたフェルールより、
この福音は主がホスルを伝い私たちに授けたもので、ホスルの人生と我々の生き方についてその御名を広めそして全ての異教人へと恵を授けんとする御心を私が引き継ぎここに記すものです。
主とその御子たる世界に愛され、そしてまさに召されんために生きる全ての民へ。よき命を授からんことを。

人生の意味と目的

ホスルはフェルールをリーベルへ呼び出し話した。

 「世はまさに乱れている。民誰もが自らが何者であるかを見失ったように見える。それは悲すべきことだ。蟻は自らを蟻と知らない。しかし、蟻としてどう生きるべきか知っている。他の生き物も同じようである。全て生き物は生きる由を知っている。故に知っているということは知らず生きるのである。では君はどうだ。」

 「私も何故私が生きているかわかりません。しかし、主の為にこの身を捧げようと意志を持っています。」

 「主に身を捧げることは無目的に成らない。人の心は無意味になり得ないからだ。意味を持たない血肉と精神にはそれ以上の価値を持たない。宙の中で息をする我々をなぜ主は生み出したのだろうか。」

 「主は我々をただ息をするために生み出したのではない。我々の存在にはもっと深い目的があると信じています。」

 ホスルはフェルールに告げた。

 「目的とは何か。私たちはただ生まれ、生き、そして死ぬ。野に栄える草と同じだ。その間、世界にどのような意味をもたらせるだろうか。
我々の使命とはより大きなもののことだ。それは愛を学び、智を深め、他者への慈悲を実することにある。真の目的は、光を見つけ、それを空間に広めることだ。しかし、人はその光を見つけることができずにいる。その光を見つけられるのか?」

 「私には光は見つけられるのだと信じています。自分の宇宙と向き合う旅を通じて他の宇宙に触れることができる。他と自己を自らの目によって見ることが出来るようになった時、人は初めて主が創造なされた自らの真の姿を知ることができる。それこそが祈りであり学びであり、真理に近づくことが出来るのだと思います。」

「だが、その旅は針山を進むようなものだ。時の悪魔が人を惑わしやがて道を見失うだろう。正しい道を歩むことができるのか?」

そのようにホスルはさらに深く尋ねた。

「正しい道を歩むためには、常に道を見つめ続けることです。そして道とは常に宇宙と宇宙の間にあります。自らの宇宙を開き、そして他の宇宙を認め、そして常にこの世を学び、信じ続けようとすることが必要なのです。
人生の意味と目的とは、どこかに存在するものではなく、自らの宇宙を正しく捉えた時、初めて見つかるものなのです。
しかし私にはわからないことがあります。蟻が生きる由を知らず果たしているとするならば、目的を探さんとすることは我々の本当の生きる由から離れる行ではないのでしょうか。」

「主は私たちに考えそして悩む力を与えた。赤子は自らの由について迷うことはありませんが、育つことによって悩むことができる。人は与えられた力を使うことこそが力を与えられた由であって、その先に存在を超越した意味を得ることが出来るのだ。」

ホスルは静かに微笑んだ。


解説

フェルール記のこの部分は、人生の意味と目的に関する深い宗教的・哲学的な探求を示しているとされています。
人間の存在の目的
フェルールとホスルの対話は、人間の存在の意義と目的を探求しています。フェルールは、人生の真の目的は愛を学び、智恵を深め、他者への慈悲を実践することにあると語っています。これは、人間の生き方は自己中心的な存在ではなく、他者との関係の中で意味を持つという考えを反映しています。 内なる光の探求 テキストは、人間が自らの内なる光、つまり真の自己や潜在能力を見つけることの重要性を強調しています。フェルールは、自己の宇宙と向き合い、他の宇宙に触れることによって、人間は真の自己を発見し、真理に近づくことができると語っています。
試練と誘惑の克服
人生の旅には試練と誘惑が伴いますが、フェルールは正しい道を歩むためには、自らの宇宙を理解し、他者を認め、学び続け、信じることが必要だと述べています。これは、内面的な旅と自己の精神的成長を通じて、人間がより高次の存在に到達することを奨励しています。
目的の探求の正当性
ホスルの疑問、「目的を探さんとすることは我々の本当の生きる由から離れる行ではないのでしょうか」という問いに対して、フェルールは、人間が考え、悩む能力を持つこと自体が、人生の目的を探求するための力であると答えています。これは、人間が自らの存在を深く理解し、その中に意味を見出すことが重要であるという考えを示しています。
総じて、フェルール記の前半部は、人間の存在とその目的についての深い探求を提供しており、自己探求の重要性、他者との関係性、内面的な成長の必要性を強調しています。このテキストは、読者に対して、より深い自己理解と宇宙に対する理解を求める旅へと誘います。
メタファーとしての宇宙
ここでの「宇宙」は、単に物理的な宇宙を指すのではなく、より広い意味での存在、生命、そして宇宙全体の秩序や原理を象徴している可能性があります。これは、人間の存在が宇宙というより大きな文脈の中で理解されるべきであることを示唆しています。 内面世界としての宇宙 「宇宙」はまた、個人の内面世界、つまり心の中に広がる無限の可能性や思考の深淵を指しており、この解釈では、各人が自らの内面にある「宇宙」と向き合い、探求することが、自己理解や真理への近づき方とされています。
精神的・哲学的な宇宙 「宇宙」という用語は、精神的、哲学的な観点から、存在の本質や人間の位置づけを考えるための枠組みを提供しています。この宇宙は、物質的な現実を超えた、より深い意識や精神性の領域を表しているとも考えられます。
相互関連性としての宇宙 テキストでは、「自らの宇宙を開き、他の宇宙を認める」という表現が使われています。
個々の人間がそれぞれ独自の宇宙を持ちながらも、他者との相互関係の中で意味を見出し、成長することを示唆しています。 このように、「宇宙」という用語は、フェルール記において多層的な意味を持ち、物理的な空間を超えた、人間の存在、内面的な探求、精神的な成長、および相互関連性の概念を含んでいると解釈されているのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?