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「痩せろ、デブ」ってルッキズムの奴隷が言ってた

[ルッキズム=外見至上主義]

ほんとに外見について、とやかく言う人が多すぎる。
私を、あなたの評価軸で、勝手に評価しないでください。

外見について、やたらと口を出す人達はルッキズムの奴隷である。

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そんな、常に他人の外見をジャッジするひとたちは、

痩せているかどうか、顔が整っているか

など、自分の偏った評価軸を勝手に人に押し付けて判断する。
「ブス」
「デブ」
などと暴言を吐く人がネット上でも日常生活でもたくさんいる。
それに加えて、外見に関係のない人格まで否定してこようとする人さえいる。

人を評価するための項目が、外見オンリーなのかもしれない。


そういう発言をしてしまうのは、発言する前に頭の中で一度考えるクセを持っていないからだと思う。

良心がある人は、発言する前に、それが言っていいことかどうか審査する関所みたいなものが頭の中で機能してるけど、

無礼な人たちは、その関所がぶっ壊れている。
(もしくは、人生で一度も良心が構築されたことがないのかもしれない)
だから、悪いことだとも思わずに、ペラペラと見た目について失礼な言葉を垂れ流してしまう。


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そういう人に会ってしまったとき、わたしは
「こいつは、ルッキズムの奴隷だ〜。はやく逃げろ〜。」って心の中で思うようにしている。

個人の場合だけでなく、複数人グループの方がややこしいかもしれない。

複数人が同じ価値観(外見至上主義)を共有している環境(グループ)にいるときは、精神的につらい。
そういう環境に身を置くと、自分の外見をジャッジされ続ける。自分を否定され続け、悪口をハネのけられずに、ついには世界の全員がそう思っていると勘違いをして、自分自身を否定してしまう状態が続く。


「もっと可愛くならなきゃ」

「もっと、もっと痩せなきゃ」と


そんな時は、そのグループから距離を置いて、もっと自分のありのままを受け入れてくれるグループに移ったほうがいい。絶対にあるから。

そのほうが精神衛生上いい。


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たとえば、先月インターネット上でこんなことがあった。


ツイッターの筋トレを趣味とするアカウント界隈で、話題になっていて

多くの人たちが、ある女性を非難していた。

〔着痩せテクを紹介するプロの女性〕
https://www.instagram.com/kinglilydesigner/?hl=ja
(この方は創造性があって、とても素敵なかたです。)


この方が伝える着痩せテクに関して、ツイッターの筋トレアカウントで非難があつまった。

彼らは、何がそんなに気に食わなかったのだろう。

それは、誹謗中傷の域に達していた。
「着痩せテクの前に痩せろ」という声がたくさんあがっていた。
「痩せようとしないのは怠惰だ」とも。
「努力せずに小手先で問題の解決をはかろうとする姿勢が気に入らない」だとか。

「消費カロリーと摂取カロリーを計算して食事をすれば自然に痩せるのに、それすらできないのは可愛くなりたいと思う権利すらないでしょ」だとか。


他にも擁護しているようで、実際は勝手に自分の評価軸に当てはめている意見もあった

「誰だって理想の自分に辿り着くまでの過程の期間はあるんだから、その間、少しでも自分をよくみせる努力をすることって素敵だと思うけどな」とか。

いや、それって今の状態は認めないってことじゃん。失礼だよね。
このかたが、痩せたいと思っていない可能性もあるのに、なんで痩せようとしてる前提で言えるの?
もしこの方が痩せたいと思ったとしても、言うべきことじゃないよね。
[痩せる=完全な善]なの?ほんとに?ダイエットと筋トレでしか世界が見れないの、つまんなくないの?


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ふくよかな女性であることは、すてきな個性だし長所だと私は考えている。
そんな尊い女性をそんな簡単にあなたの独善的な価値観で否定していいわけないじゃん



あなたが、理想だと感じる異性や同性の外見はどんなものだろうか?

理想とされる外見、体型などは、国によって全然ちがうし、時代によって変容していくものだ。
絶対的な理想の外見なんてものは存在しない。変化し続けている。

そんな、あやふやなものなのに、
自分で判断する能力がないから、メディアなどが先導した理想の外見をそのまま自分の価値観として受け止めている人達がいる。

それが当たり前の絶対的に正しい価値観だと勘違いして、勝手にその評価軸に他人を当てはめて、世間で理想とされる基準に満たないヒトを非難する。


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私は人の外見について、否定的な意見をするような人とは距離を置くようにしている。

人の外見をジャッジすることは、絶対に推奨される行為ではない。


外見を褒めることも、はばかれる時だってあるのに。

それは、一方的に自分が相手を判断するということだから。

(例えば、国が違えば褒め言葉が褒め言葉として機能しなくなる。顔が小さいね!という褒め言葉は、宇宙人のように奇妙な姿だと捉えられる国もあるし。肌が白い!という褒め言葉は、不健康だと受け取られる国もある。)


この社会の意識の歪みが、今の若い女性を摂食障害に陥れているとおもう。自分について肯定的になることを社会が許していないのかもしれない。


外見について、なにか否定的なことを言われたら
「もっと可愛くなって見返してやる」
「もっと痩せよう、あと10キロ」

と今の自分を否定するんじゃなくて、こう思ってほしい。


「ルッキズムの奴隷が来たぞー、はやく逃げろ〜」って

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