ツクヨミと僕。
苦手なスピリチュアル系ネタなので、話にオチはないのですが、ふとした事から、三神のひとり月讀命の事を深く知りたいと思ったので、ノートに覚えがきします。
僕のスピリチュアルが不得意な理由は冷静かつ論理優先な思考に由来してると納得できる。
情熱的にならない。
なるようにしかならない。
こうだからこうなる。
逆らわずに受け流すのが最善である。
自然に逆らう事への疑問
僕は建築士の資格を持っている。
建築士といえば、家を設計して作り出すのが仕事だ。
でも、僕は建築士として建てるより解体屋として壊す方が好きなのである。
自然に返す解体処分が精神的に腑に落ちる。
世界は曖昧でできている
測量の資格を取った後に気づいた事もそうだが、自然は常に絶対でありいい意味で曖昧である。
地上に記した測点(杭やピン) は地震や災害で簡単に動いてしまう。
座標値は変わらないが、そこにあったものはもう同じ場所に存在しない。
敷地の境界や国境も人間が勝手に定めたものでありそこにはもともと線など存在しない。
海岸線もそう、どこまでが海かなんて数百年もすれば簡単に変わるかもしれない。
**すべてどうでもいいのだ。 **
かたちあるものも法律もそもそもの話からすればすべてデタラメであり。そんなものは一過性のルールに過ぎない。
設計や測量の技術もそう。GPSなどなくても、場所や位置がわかったしCADがなくても正確な測量はできた。
僕が建築設計をやりたいと思わなかったのは、不自然を無意識に避けていたからである。
人前で飄々とした態度なのもわかる。
自分の性格を無理やり変えてもうまくいくわけない。僕は僕を受け入れよう。
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