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肩書きを変えたワケ

普段どうやって収入を得ているの?

とよく聞かれるのですが、近頃は基本的に週2〜3くらいのペースで日雇いの仕事をして金銭を得ています。

株も仮想通貨も土地転がしもやっていないし、親から何か資産を受け継いでいるわけでも、何かちゃんとした事業をしているわけでもなく、貯金もありません。

それでも、ストレスにならない範囲で無駄な支出を極力カットすることを数年続けていたら、シェアという形態ではありますが、形式上は、宮崎市街地の庭付き一戸建てに住み、車を持ち、妻も子どももいるけど、なんとか暮らせていけてます。ちなみにローン等の借金は今のところ1円もありません。

普段からとにかくスケジュールに余白の多い生活をしているので、色んなおいしい&楽しい仕事が舞い込んできます。

“相手にコントロールされない対等な関係性”を前提に、派遣会社にもいくつか登録してお仕事を紹介してもらっていて、紹介された仕事のうち、面白そう&割りがいい仕事だけをチョイスしてこなすようにしていますが、やりたくない仕事はいくら人が足りていないと言われても、やらないようにしています。

また、僕がいつも暇そうにしていることを知っている友人からも、たまに単発の仕事を紹介されたり、雑用を頼まれてお小遣いを貰ったりもしています。

「あいつはきっと暇してるだろう」と周りから広く認知されることで色々とおいしい仕事が入ってくるという旨みを知ってからのここ2〜3年は、
仕事が入った時は「フリーター」、長期間仕事がない時は「ニート」というポジションに安住しており、『ニュートラルニート』(「ギアが入っていないときは常にニート」の意)という肩書きを気分よく使っていました。

しかし、どうやらこのままいくと少々問題があるようなのです。

というのも、ニートもフリーターも、ここ日本国では「34歳まで」と定義付けられていて、現在34歳の僕がこのまま来年の誕生日(6月28日)を迎えてしまうと、もはやニートともフリーターとも名乗れなくなってしまい、世間一般的には一体何者なのか説明のし難い状況になってしまうのです。

出典:Wikipedia
ニートは35歳からは無職?フリーターは?


定年したわけでもなく、のらりくらりとその日暮らしのような生き方をしている35歳以上の人々は、国からその存在を認められていないということなのでしょうか?まったく、世知辛い世の中だぜ!

そんなわけで、35歳の誕生日を迎える前に何かしら方向転換を図らなければと考えた僕は、ドラクエの「遊び人を極めると賢者になる」という設定をなぞるのって面白いじゃんと考え、今後は肩書きを『余白学者』と名乗ることにしました。

つい最近まで「ニート」と名乗っていた人物が「学者」と名乗りを変えるだけで、世間は自分とどう接し方を変えてくるのかが、とても楽しみです。
 
 
「別に肩書きにこだわる必要なくね?」

と考える方もいらっしゃると思いますが、肩書きは、一言で自分の活動領域や核となる部分を人に伝えることのできる便利なツールなので、僕自身は重宝しています。

その上、今やっていることが果たして本当に自分のやりたいことなのか、合っていることなのか、と自問自答して棚卸しする際にも便利で、
「つまり一言で言うと自分とは何?」という問いに対する答えが肩書きであるとも考えています。

普段から現在の身の丈を自分自身で測るような癖をつけることはとても大事で、惰性で古い自分のままでいると、ふとした時に「あれ、なんか身体重いな、しんどいな」となる瞬間が訪れてしまうので、それを予防する目的も含んでいます。


振り返ってみると、この数年の間に、僕は肩書きを6回も変えていたことに気付きました。迷走ブレブレ!

『余白学者』という肩書きは今はしっくりきていますが、「この肩書きは自分には合わない」と感じる時がまた来るかもしれません。


少し話は逸れますが、よく会社などでは

「5年、10年先を見越して、中長期ビジョンを策定しろ」

というようなことを言いますが、
今の自分が一生懸命未来の計画を立てたところで、数年後の自分の興味は他所に移ってしまっているかもしれないし、自分や組織を取り巻く環境の変化や、テクノロジーの進歩などの外的要因を受けて、最適解はどこか別のところに移っている可能性が極めて高いはずです。

それなのに、過去に策定した計画に縛られて、それを愚直に実行しようとすることは、それこそ愚かな行為だと思ってしまいます。摩擦が多すぎます。

方向性だけやんわりと決めて、柔軟性を持ってやり方を都度考えながら最適解を導き出す、そんな余白を意識したやり方が、計画策定においても必要であると僕は普段から考えています。(あら、また余白が出てきましたね。こんにちは)


まぁ何が言いたいかというと、

将来に渡って今の肩書きや貫いてきたキャラクターに固執することは得策ではないし、その都度変えていく方がむしろ合理的なんじゃないの、ということです。



割と有名な話で、葛飾北斎は生涯を通じて30回以上の改名をしたそうです。

参考:  北斎、改名するたびに真の飛躍!

もしかしたら彼も、根本には僕と同じような考えがあったのかもしれませんね。


【最後に】

11/1~11/14の間で東京を舞台に新しいチャレンジをしてみることにしました。

僕には、「余白の多い生き方をする人たちを世の中に増やしたい」という野望があるのですが、今回はその活動の一環です。

詳細については下記リンクにありますので、興味のある方はぜひチェックしてみてください↓

https://seekshop.official.ec/items/14179936


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