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過去2回の薬物逮捕、度重なる解雇。それでも僕は諦めない【前半】

※この記事は薬物乱用の危険性を理解・周知していただくために書いたものです。違法薬物の所持・使用等の行為は、法律で厳しく罰せられる犯罪行為であり、薬物の乱用は、本人の身体や精神に大きな悪影響を与えます。

※登場する人物名、場所名などは仮名です。

 待ち合わせ場所に指定された駅の出口でSさんを待っていると、白シャツに紺色のスーツを身に纏い、荷物がパンパンに詰まったビジネスバッグを持ったSさんが現れた。髪も小綺麗にセットされ、ごく普通のビジネスマンといった感じだ。とても違法ドラッグに溺れ2回の逮捕歴があるようには見えない。Sさんのことを知っている周りの人達も「イメージと全然違いました」と皆口を揃えて言う。
 現在一般企業に勤める40代のSさんは、入社後に過去の犯罪歴が会社に知れてその会社をクビになった。そしてその一連の出来事がきっかけで当時Twitter(現X)で世間を騒がせた人物でもある。
 しかしSさんは、逮捕されようとも理不尽な解雇や内定取り消しがあっても、人生一度たりとも自暴自棄になったことも人生を諦めたことはない。その反骨精神の源は一体なんなのか。生い立ちから現在に至るまでのSさんの生き方に迫った。

恵まれた環境で育った幼少時代

 Sさんは自然と歴史的名所が多く残るとある街で、代々続く内科医の父と音楽家の母の元三兄弟の長男として生まれ、何不自由なく育てられた。Sさんの両親は共通の趣味である音楽で意気投合して仲良くなり、両親とも東京への思いが強かったとSさんは言う。
 「誰でも依存症になり得ます。よく機能不全家族だからとか言われるんですが、そのパーセンテージが多いのは事実ですが、だからといって自分は大丈夫とか思って欲しくないんです。自分のように家庭にも恵まれて家族5人揃ってご飯を食べて、学校でイジメられることもなく、現役で名門大学に合格して、22歳まで問題ない人生を送れていた、そんな僕でもなるんですよ」とSさんは訴える。
 小、中学校時代はその後の高校時代や大学時代と比べるとあまり成績は芳しくなく、行きたくない高校に行くことになった。しかしその高校での経験こそがその後の人生を狂わせる第一歩となっていたかもしれないと、Sさんは当時を振り返る。
「私立大学の付属なのでとても優秀な子たちが集まるんですよ。そこで僕は第一志望も第二志望も落ちて、第三志望の全く行きたくなかった男子校に行くことになり、落ちこぼれになりました。当時は今と似たようなちょっとおどけたような面白いやつって感じだったんですけど、その時はもの凄くショックでした。ただ、高校に進学して初めて味わったのが成功体験だったんですよ。いきなり学年2位になって張り出された紙の学年2位のところに自分の名前があったんです。あんなに気持ちのいいものは無かったですね。ドーパミンが出まくった感じです。そこでちょっとちやほやされたり、先生からも特別扱いされたりしました。まるで学校の頂点を取ったような気分でした。部活でも舞台の上で人から拍手を浴びたりしました」
 高校時代にちやほやされた快感は、生涯忘れらない感覚となった。
「3歳からピアノを習っていて、15歳でギターを始めた僕は高校時代ギターの虜になりました。その頃ラルクアンシエル(L'Arc-en-Ciel)やルナシー(LUNA SEA)などビジュアル系ブームが来ていて、高校の時にシャムシェイド(SIAM SHADE)、ジャンヌダルク(Janne Da Arc)、ラクリマ・クリスティ(La'cryma Christi)などが流行っていて、とにかく難しいのをいかにして上手く弾くかということに夢中になっていました。僕はそれが弾けたので大学に入って自分の腕を試してみたくて。どこで勝負するかといったら東京だと。東京にルナシーやシャムシェイドが出ていた町田The Play Houseというライブハウスがあったので、そこに出たいと思いました」
 音楽で勝負したい一心のSさんは、東京しか眼中になかった。
 「高校2年くらいで名門校は目指せるレベルになって、『家を継がないのは分かった。東京に行きたいなら東京に行きな』と親に言われました。色々東京の大学を見て回ってSランクのX大学を見た瞬間、ここだと。ここ以外大学じゃないと思って。とにかく雰囲気が良くて、大学のイメージをそのまま体現したような大学はあそこしかないと思いましたね」
 X大学に一目惚れしたSさんは、X大学進学を目指して一直線に突き進んだ。
 「めちゃめちゃ勉強しました。X大学は私立なので数学と理科がいらないんですよ。なので担任が数学の先生だったのでお願いして、『僕はX大学に行くので数学の勉強をしません。英語の勉強をさせてください』とお願いしたら『分かった』と言ってくれました」
 高校3年になったSさんは、土日も朝から図書館に並んで夜まで勉強、平日も朝3時に起きて勉強してそれから学校に行くという生活をしていた。その努力の甲斐もあり、念願のX大学に一発合格したSさんは入学式で初めて嬉し泣きをした。

理由の分からない突然の涙

 大学に入り、勉強はするもののほぼバンド中心の生活だった。サークル内では、ヤバいやつが来たと1年生の頃から注目された。
「青春は凄く輝いていましたね。大学に入ってバンドをやる人は皆、もてたいと思ってやるのですが、自分達はそうではなく、とにかく難しい曲を弾きたい、他のバンドには出来ないことをやりたい、シャムシェイドやルナシーは好きだけど彼等とは違ったことをやりたいと思ってやっていました。1年生のころは週に3日間深夜スタジオに入ってセッションして曲を作る作業をして、2年生の時はサークル内でトップの実力になり、町田The Play Houseのレギュラーになりました。有名なライブハウスに出始めて、高校では勉強で頂点だったのが音楽まで加わって、さらに今とは違って当時はビジュアルもそれなりで女性からもてていましたので、何も悩むところがない、自分は成功していると思いました。いつもマズローの5段階欲求を元にしているんですが、大学の時はこれが全部成立していました。とにかくサークルが大好きで、ベストバンド賞をとったり、曲やCDも作って、やりたいことは全部やって、大成功でした」

 しかし、その全てがうまく行っていた生活は一気に崩れ去る。ちょうどサークルを引退するという大学3年生の12~1月辺り、最後の冬合宿が山形で行われた。
 新幹線で東京駅に戻って来て皆と別れ一人になったその瞬間だった。中央線のホームに登るエスカレータの手前で、ギターを担いだまま突然泣き崩れた。溢れ出す涙。今考えると皆と別れるのが悲しかったのかもしれないが、確たる理由は分からなった。合宿の時も新幹線で戻る時も違和感はなかった。理由の分からない突然の涙だった。泣き続けて10分くらい経ったところで恥ずかしさに気づいたSさんは、涙を拭って中野の自宅まで戻った。


マズローの五段階欲求

3,000円のシアワセ

 それから特に大泣きするなどといったことは無かったが、夜になっても眠れなくなり、眠れない夜が1週間くらい続いた。焦りを覚えたSさんがネットで調べると不眠症の症状と一致していたので近くの精神科を訪れた。医者から睡眠薬を処方され、それを飲むと簡単に眠ることができた。
「人間の脳ってこんなに簡単にチューニングできるんだと思いました。あんな1週間とか眠れなかったのに、たった1錠で眠れたわけですよ。人間の脳ってこんな簡単に変わるんだと。薬って生きやすくしてくれるんだ。楽だなぁと思って。しばらく睡眠薬を服用する生活が続きました。でもやっぱり辛いんですよ。サークル引退してからもライブハウスは行っていたんですけど辛いんですよ。それで大学4年生になってフラフラと繁華街を歩いていたら、「ハッピー」という看板が目に入りました。ちょうどその時一番求めていたものでした。それでその看板があったお店の店員に『ハッピーになれるものがあるんですか?』と聞いたら、『ありますよ』と液体の合法ドラッグを渡されました。2回分で3,000円。それを買って家に帰って店員に言われた通り、液体の半分をグレープジュースに入れて飲みました。すると視界がグルグル回りだして、気持ち悪くなって吐きました。それから色んなものが飛び出してきました。テレビなんかに出ている人もね。何がハッピーだよ、って思いました。これはヤバいと思って、ちょっと落ち着いた時に病院に行ったら、医者に『どうしたの?』と聞かれました。『合法ドラッグをやりました』と言うと、『合法だからといってやったらだめだよ』と言われ、点滴を打たれました。すると今度は多幸感に包まれて、凄いウキウキルンルンで病院から当時住んでいた家に戻りました。次の日残りの半分を使いました。そして気づいたら大学4年生の時に合法ドラッグの使用障害になっていました。でも、とにかく幸せになれたんです。
 と、Sさんはとても幸せそうな表情を浮かべて語った。
「それから2日に1回くらいの頻度で合法ドラッグを使用していました。
とある有名な常設店に行くと種類が豊富にあって、おばちゃんが『あれいいよ、これいいよ』と色々と教えてくれるんです。そんな暮らしを半年くらい続けていました。

人間は裏切るけれど、薬は裏切らない

 そんな生活の中でも大学院には受かることができた。
「10月が大学院試験だったんですが、受かったらもう勉強をしなくていいので、ライブの時以外は毎日合法ドラッグを使用する日々でした。食後にやると吐いてしまうので食べないんですよ。だからどんどん痩せて行ったんですが、当時ビジュアル系バンドをやっていたのでどんどんスマートになっていくのが嬉しくて。憧れていたジャンヌダルクとかのようになっていくわけですよ。それもあってやめられなかったですね。楽しいわ、幸せになれるわ、1日空ければ勉強もできるわで、こんなに合っているものないなと思いました」
 当然ながら合法だろうと良いことばかりなわけはなく、薬物使用による歪もあった。Sさんの場合それは鬱という形になって現れた。
 通っていた精神科では医者に嘘をついていたため睡眠薬の他、抗うつ薬や抗不安薬などが処方された。合法ドラッグに併せて様々な薬が多用されるという状態になったSさんの精神状態は遂に限界を迎えた。
 大学4年生の12月、助けを求めて母親に電話をかけた。
「もう死にたい」と言うとSさんの母親はすぐにSさんの元に駆けつけた。そして父親の繋がりがあるN病院に行くことになった。しかし誰もSさんが合法ドラッグでそうなったということを知らなかったため、薬物依存の治療ではなく、通常の治療で1週間程入院しただけだった。退院したSさんは1週間くらいするとすぐにまた、合法ドラッグを使い始めた。再び鬱になるという心配は全くなかった。
「また合法ドラッグをやり始めた時、これから勉強しなければいけないという時でした。さらに、合法ドラッグのせいで音楽が駄目になっていました。前は8時間練習していたのが丸一日練習しないう日もあったりしたので下手になっていて、『なんだよ。お前らしくない』と言われました」
 その状況に焦りを感じたSさんは本屋に足を運んだ。するとそこで見つけた『薬ミシュラン』という本に書かれていたリタリンという薬に注目する。リタリンは最強の精神賦活薬と書かれていた。これは元気になれる、絶対に勉強が捗る、そう思ったSさんは以前行ったことのある精神科に行った。
 すると医者から言われた言葉は「リタリン?あんなの絶対だめだよ」だった。しかし人間駄目と言われるとやりたくなるもの。「絶対やってみたい」となってしまったSさんはリタリンを出してくれるクリニックを探して、リタリンを処方してもらった。
 本に書いてあることを疑うという発想はなかった。
 「作家さんの書いたことだから素晴らしいと。また、人間は裏切るけど薬は素直に従ってくれるので。人間の感情は読めないけれど、薬は大体どのくらいで効いてくるとか分かりますからね」
 リタリンで初めて覚醒する感覚を覚えたSさんは、次に本で薦めていた鼻で吸う方法を試してみた。そこから鼻で吸うようになった。最初は家でやっていたが2時間くらいで切れるため、外に行く時もリタリンとそれをすり潰すためのピルクラッシャーを持ち歩くようになった。その頃は1か所の病院では足りなくなり複数の病院に行って薬をもらうようになっていた。

初めての違法薬物

 大学院に入ると周りはエリートの集団だった。X大学の大学院の国際関係だったため論文は全て英語で書かれていた。Sさんも英語は得意だったが、周りの生徒のように、ネイティブやネイティブレベルではない。授業で読む3.40ページほどの英語の論文についていけないSさんは教授に罵倒された。
 GW直前の2004年4月27日、この日Sさんは課題である英語の論文が読み切れなかったことが理由で教授にもの凄く怒られた。そのショックはリタリンで落ち着かせられる度合を遥かに超えているとSさんは思った。
 Sさんは再び本屋に行った。すると今度は『人間改造マニュアル』という本を目にする。
「一番初めに覚醒剤は素晴らしいと書いてあり、MDMAを2錠飲めば世界がハッピーになる。と書いてありました。僕は早速本に書かれていた東京のとある場所に行きました。そしてそこにいたイラン人に『MDMAが欲しい』と伝えると、付いておいでと言われました。言われるがまま付いて行くと別の場所に連れて行かれ、そこでMDMAを渡されました」
 Sさんが初めて違法行為をした瞬間だった。しかし既に合法ドラッグをやっていて、リタリンも本来の摂取方法ではなく鼻から吸うなどして用法用量を守っていなかったSさんにとって、それが違法薬物になった瞬間もその差はあまり感じず、捕まったらどうしようという感覚などは全くなかった。
「それより幸せになるほうが優先でした。家でMDMAを半分試したのですが半分じゃ全然効きませんでした。なんだこれと思って、ふと頭によぎったのが、イラン人から買った時の「何欲しい?シャブ?」という言葉でした。そしてすぐ翌日にまた行きました。「お前また来たのか。何欲しい?シャブ?」よし、付いて来いって言われて付いて行きました」
 そうしてSさんは2004年4月28日、初めて覚醒剤の味を知った。
「本に鼻から吸うといいと書いてあったので、CDケースに覚醒剤を置いて、テレフォンカードで線をスーッ、スーッと引いて。それを千円札に巻いて吸ったら、最初は鼻の奥に痛みを感じて、10-15秒位経った後、髪の毛が逆立つような刺激に襲われて、全身が暑くなり、眼は見開き、眠気は消えて、全身が快感に包まれました。その後鼻の粘膜で吸収し切れなかったと思われる覚醒剤が喉に流れ落ち、喉に苦味を感じました。しかし、その苦さは私にとって、覚醒剤がキマった事を意味する儀式のようなものになり、それすらも快感でした」
 キメた状態で作曲をするといいものが出来上がっているようにSさんは感じた。しかし後で冷静になって曲を聴いてみると、キメた状態で作曲をしたものは最低な仕上がりだった。
 私も実際にキメた状態の時に作った曲と、そうでない時に作った曲を聴かせてもらった。私は音楽の素人なので実際にどの程度の差があるのかは判断しかねたが、キメて作ったと言われた曲はキメめずに作った曲に比べてエッジが弱かった。
「キメて作った曲をバンドメンバーのところに持っていくと『なんだこれは?』と言われるんですが、自分では何でこんな良いものをと思ってるんです。よく、キメている方が音楽制作にいいんじゃないかと聞かれるんですが、エリック・クラプトンやジミ・ヘンドリックスとかのように僕は天才ではなく凡人なので全く役に立ちませんでした」

 覚醒剤は音楽には役立たなかったが、勉強にはとても役立った。
「使って勉強をしたら教授に褒められたんです。『よくやってるね』って。覚醒剤最高!って思いました」
 しかし、夏休みに入り毎日使用するようになると、Sさんに異変が現れた。運動会をやっていた隣の小学校の生徒達が「今から〇号室のSさんを逮捕します」「これから警察官がトイレの水を汲みに行きます」と叫んでいるのが急に聞こえて来た。所謂幻聴というやつだ。朝起きた途端突然それが聞こえてきて焦ったSさんは母親に電話をした。
「ヤバい。隣の小学校の生徒たちが叫んでいるんだけど」と伝えた。
「パニックで家にいられなくなって、病院に行きました。そして点滴を打ってもらうんですが、壁にバンドのボーカルが幻視で見えるんですよ。点滴を受けながら『お前なんでそこにいるんだ』ってずっと指をさして言っていました」
 点滴が終わるとSさんはなぜか真っすぐ交番に突入した。
「誰かが僕を探しています」と警官に伝えたが、変な人だと思われだけで終わった。家に帰ると地元から駆け付けた母親がいて、「ゆっくりしなさい」と言われたが、薬が効いている状態だったSさんは朝まで一睡もできなかった。
「母親は何も知らないので、息子が変になったとでも思ったのでしょう。相当心配だったでしょうね」

屈辱の実家生活

 次の日、以前行ったことのあるN病院に訪れた。すると「うちは無理だから」と言われ、K病院を紹介された。そこで統合失調症と診断された。そしてその時なぜか薬物の反応が分かる血液検査もされた。
「その結果が出ると、突然病院のナンバー2が来て、『やった?』と聞かれたので僕は素直に『はい』と答えました」
 Sさんは一番厳しい病棟に入れられた。薬物依存の治療を行っていないK病院でSさんはただひたすら強力な薬を沢山投与され、一日中ボーっとしていた。
「そこからは監視される毎日です。病院でも覚醒剤使う人というのは偏見にまみれているんです。毎日大量に強い薬飲まされて、『なんでですか?』と聞いたら、『いつ殴りだすか分からない』と言われました。そんな感覚で飲ませてくるんですよね。でも僕は人なんか殴ったことないし、覚醒剤で大量殺人とかって普通はないし、でも世間ではそう見るんだなと」
 Sさんの母親もすぐに飛んできた。そこで初めて息子が薬物をやったということを知ったのだった。
「信じられないというような顔をしていました。目も合わせてくれませんでした。母親としては信じられなかったんでしょうね。ただ最後に『頑張ってね』と声をかけられたのを覚えています。母親に会った時は、まだテンパっていたし、薬を飲んでいてボーっとしていたので特に何も感じませんでした。ただ後になって冷静になった時、ヤベーわって思いました。ついにバレたといった感じでしたね」
 父親からは特に何も言われなかった。
 しかしこんな状況でもポジティブ精神を発揮するSさんだった。
「入院してるうちに楽しくなってきましたね。同じ薬物依存治療で入って来たユウジ君と意気投合したりして。ユウジ君は最後暴れちゃって隔離されてしまいましたが、僕は予定通り3か月で退院しました」
 この一件でSさんの両親はSさんを親の目のあるところに置いておかないと駄目だと判断し、Sさんを一度地元に連れ戻した。
 実家に連れ戻されたSさんは、夜寝る時も父親と母親の間に挟まれて川の字になって寝させられた。24歳になっていたSさんにとってはそれが苦痛だった。そのため、ひたすらその状況から脱出する方法を考えた。
 とにかく真面目にやっているふりをした。まるで早く刑務所を出たい人がやるように。そして、親に散歩に行って来るなどと言ってとにかく活動的なふりを続けた結果、なんとか父親からもう一度東京に出ることを許されたが、母親は猛反対だった。

【後半内容】

  • 一回目の逮捕

  • 快楽のための薬から、生きるための薬に

  • 二回目の逮捕

  • 10年以上務めた会社の解雇

  • 過去を振り返って


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