閉伊川の流れには淵が多く、恐ろしい伝説が少なくない。小国川との落合に近いところに、川井という村がある。その村の長者の奉公人が、ある淵の上にある山で樹を伐っていたところ、斧を水中に落としてしまった。主人の物なので淵に入ってこれを探していたところ、水の底に入っていくと物音が聞こえる。この音をを追って行くと岩の陰に家があった。奥の方で美しい娘が機を織っていた。そのハタシに彼の斧は立てかけてあった。これを返してほしいといって、振り返った女の顔を見ると、二、三年前に死んだ我が主人の娘だった。「斧は返すけれど自分がこんなところにいると人に言わないでください。その礼としてはあなたの生活は良くなり、奉公をしなくてもすむようにしてあげる」と言った。そのおかげかどうかわからないが、その後、胴引(どうびき）などいうばくちで不思議と勝ち続つづけて金が溜まり、ほどなくして奉公をやめ家に引きこもって中ぐらいの農民になったけれど、この男はすぐに物忘れをして、この娘の言ったことに気をつけることなく、ある日同じ淵のほとりを過すぎて町へ行くときに、ふと前の事を思い出し、一緒にいた者に以前こんなことがあったと語ったところ、やがてその噂は近郊に広まってしまった。その頃から男は生活が再び傾き、また昔の主人に奉公して年を経た。家の主人は何と思ったのか、その淵に何荷ともなく熱湯を注ぎ入れたりしたが、何の効果もなかったということである。
○下閉伊郡川井村大字川井、川井はもちろん川合の義であろう。