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ピコピコ中年「音楽夜話」~オザケン、コーネリアス、そして予備校暗黒期の終焉

その日、予備校の授業が早めに終わった。

いつもであれば友人K君と連れ立ち、1994年当時仙台駅前のアーケード街の地下にあった「Dream」という名の、「夢」と呼ぶには退廃ぶりが過ぎるヤンキー漫画のバトル会場にでもなりそうなゲームセンター(ちなみに友人K君との共通認識では、Dream=漫画「AKIRA」に出てくる金田少年らのたまり場”春木屋”のイメージだった)に向かうところである。

しかし、その日は違っていた。

自分とは違う授業を受けていたK君を待つことなく、サラリーマンで混み合う吉野家で一人黙々と並・卵・みそ汁を食し、さっさと帰りの仙山線(仙台ー山形間の電車)に乗り込んだ。

ほどなくして動き出す電車。イヤホンを付け、ウォークマンのスイッチを入れる。耳元で流れだす小沢健二「愛し愛されて生きるのさ」。流れていく車窓の風景を、まるで愛おしいモノでも見つめる仏像のようなアルカイックスマイルを浮かべながら眺める私。

♪ 家族や友人たちと 並木道を歩くように 曲がり角を曲がるように 
僕らは何処(どこ)へ行くのだろうかと 何度も口に出してみたり
熱心に考え 深夜に恋人のことを思って 誰かのために祈るような
そんな気にもなるのかなんて考えたりもするけど ♪

「愛し愛されて生きるのさ」曲中の語り歌詞

「そうだ。今日は終点の山形駅まで乗っていこう。そして散歩しながら帰ろう。」

♪ いつだって可笑(おか)しいほど誰もが誰か愛し愛されて生きるのさ
それだけがただ僕らを悩める時にも未来の世界へ連れてく ♪

「愛し愛されて生きるのさ」歌詞

何となく「そうするべき」だと思った。その行為が、今の自分のこの気持ちに一番正直だと思ったのだ。降りるべき北山形駅を乗り過ごし、わざわざ終点の山形駅で降り、そこそこの距離を寄り道しながら歩いて帰る。

一頃前、小沢健二「天使たちのシーン」にココロを支えられていた鬱々な時期には思いつかなった発想である。まさに「愛し愛されて生きるのさ」に後ろから押してもらった、予備校暗黒期の終焉を告げる小さな決断だった。

「月がとっても青いから、遠回りして帰ろう」という昔の歌があるが、月が出ているどころか頭上に広がるのは、天高く馬肥ゆる秋の高く澄んだ青空。

お空がとっても青いから、遠回りして帰ろう。何なら、自分の母校を小中高と巡りながら帰るのもいいかもしれない。あの駄菓子屋さんはまだやっているだろうか。いや、あえて通ったことのない道だけで帰るのもいいかもしれない。南野陽子に似た初恋のあの子に偶然出会ったりしたらどうしよう、などなど。

とにかく、その気分はとてもとても晴れやかで。

ひょっとしたら、1999年にノストラダムスが予言するように全人類が滅亡してしまうかもしれないけれど。ひょっとしたら、1浪しても志望校に合格できないかもしれないけれど。だとしても、決定的な「その時」が訪れる時までは、精いっぱい愛し愛されて生きていけるように頑張ろう。

そんな、世のシガラミというシガラミが体中に巻きつき絡んだ中年のオッサンが真顔で書くにはこっぱずかし過ぎる、火の玉ドストレートなポジティブな気分を胸に山形駅に到着したのだった。

そして、意気揚々と自宅までの長い道のりを歩きだした。

ウォークマンから流れる曲は、かつて小沢健二とフリッパーズギターを組んでいたコーネリアス「(You Can't Always Get) What You Want」に変わっていた。

どこか同名のローリングストーンズの曲を思わせるオサレなロックナンバー。小沢健二の2ndアルバムが発売される前に発売された1stソロアルバム「THE FIRST QUESTION AWARD」の収録曲である。

♪ You Can't Always Get What You Want
手を振り言葉残し
You Can't Always Get What You Want
見晴らしのいい場所へ動こう ♪

「(You Can't Always Get) What You Want」歌詞

小沢健二の1stアルバム「犬は吠えるがキャラバンはすすむ」を聴いていた頃と、2ndアルバム「LIFE」を聴いている頃では、不思議なことに曲の聞こえ方や脳内に去来するイメージが違っていた。

音楽とは、ロックとは、何と不思議なものなんだろう。

こんなにもココロの有り様に影響を与え、或いは影響され、聴くだけでRPGで言うところのバフ(ステータスアップ効果)がかかってしまう。かの大国で、大勢のヒッピー達が「ロック」という音楽をガソリンにして、伝説のロックフェスを生み出してしまったのも頷ける。

今なら道行く綺麗なお姉さんに「お綺麗ですね」ぐらいの声掛けは簡単にできそうなぐらい脳内は無双状態だった。実際には声掛けなんて大それたことができるわけもなく、仮にできたとしても「あっ…あっ…あの」というコミュ障DTモロ出しのキョドり具合を露呈しただけだったろうけれども。

何だか、どれだけでも、どこまででも歩くことができるような気持ちで、私は山形駅前をガシガシと歩いていったのだった…。

☆オザケン、コーネリアス、1994の衝撃

小沢健二「愛し愛されて生きるのさ」、1994年初秋に発売された2ndアルバム「LIFE」の収録曲である。

フリッパーズギターを解散し、初のソロアルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」を聴き倒していた私にとって、2ndアルバムの「LIFE」は「大事件」だった。

発売日、購入前にレコード店で視聴した時には「オザケン、どうしちゃったんだよ!!俺たちのオザケンはどこに行っちゃったんだよ!!」と心の中で叫んでしまったほどである。それほどまでに1stと2ndアルバムは別物に思えた。

例えが少し悪いかもしれないし、不快に感じる方がいるかもしれないので事前に謝罪の意を込めながら語り続けるが、1stアルバムは躁鬱病の「鬱」状態、2ndアルバムは躁鬱病の「躁」状態とでも言えば伝わりやすいだろうか。

日常の何気ない風景の中に生まれ育っていく、ゆるやかで温かな人間同士のつながりを感じながら「神様を信じる強さを僕に…」と呟いていた東大出身の哲学的思考を好む青年(1stアルバムのイメージ)が、急に「ラヴリー♪」「仔猫ちゃん♪」とウキウキでぼくらが旅に出る理由を語りだしたのだ(2ndアルバムのイメージ)

正直戸惑った。単なる1リスナーにしか過ぎないのに、あまりにも「天使たちのシーン」を「自分の歌」のように感じていたために、裏切られた…とすら思ってしまったのである。

しかし、ここで音楽の持つ「強大な力」が発動する。

期待していたオザケンのニューアルバムである。個人的にどんな印象を抱こうが、とりあえず聴き続けた。すると、LIFE=生活と名付けられたそのアルバムは、本当に私の「生活」を塗り替えていってくれたのだ。その結果が、前述の「山形駅からの寄り道帰宅」なのである。

まさに私のココロ模様も

それで life is comin' back 僕らを待つ
oh baby lovely lovely こんなすてきなデイズ

小沢健二「ラブリー」の歌詞より

すてきなlifeがカミンバックしてくれたのだ。

他にも「LIFE」は名曲揃い。後に渋谷系の経典のごとく扱われることとなるわけですが、語るまでもない名曲「今夜はブギー・バック」(まぁ、これはまた別の記事でスチャダラパーについて取り上げる時に、語らざるを得ないけれども)や、今もなお青空にジャンボジェットを見つける度に脳内で流れてしまう「ぼくらが旅に出る理由」などなど。

当時オザケンが歌っていた「仔猫ちゃん」とは、女優の深津絵里さんのことであるという下世話なゴシップを知ってなお、そんなことはどうでもよくなるぐらいに輝いている名盤である。

対するコーネリアス。
いや、まぁ、勝手に「対させて」るだけですけれども。

1stアルバム「THE FIRST QUESTION AWARD」の中では「Raise Your Hand Together」が好きでした。

何て言うか、フリッパーズギターの「オサレ」な感じを正当に引き継いだのはコーネリアスなんだろうな、フリッパーズギターの中の「オサレ」担当な人だったんだろうな、とか思いながら。

「The Love Parade」では、ピチカート・ファイヴの野宮真貴さんがコーラス担当されてたり、他にも渋谷系の「定番」と化していた「元ネタのオサレな洋楽曲(ソウル、R&Bが多めだった記憶)」盛り沢山の曲達。

その後、METAFIVEとかイイ感じだったのに、まさかまさかの東京オリンピックで過去のロキノン誌上でのイキリ発言が問題となり、あんなことになってしまうとは、当然のことながら1994年のこの時は想像もできないけれど、こちらもオザケン「LIFE」と並ぶ名盤である。

…。

はい。

いかがだったでしょうか。一人ハイテンションでお散歩した過去を綴っただけの今回の「音楽夜話」(笑)

この後、何とか無事に浪人生活には終止符が打たれ、晴れて大学生活が始まりました。モラトリアムの甘美な沼にどっぷりと浸かっていた大学時代。音楽夜話的なお話が多すぎて、どう書いたもんだろうかと今のところ全くのノーイメージで御座います。

ゆっくりとひっそりと断片的にでも続けていこうかしらん。それではまた次の「音楽夜話」でお会いしましょう。

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