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研究者の足跡vol.0  新中善晴さん

『研究者の足跡』とは、大学院生、研究員などの研究者に取材をして、なぜ研究者になり、どのような過程を経て現在に至るかを記事にしました。
「研究」と向き合い、挑み続けてきた研究者たちの姿を見て、研究者の目指す人も、そうでない人も、「研究」をする経験の素晴らしさを感じてもらえると嬉しいです。

初回は担当する山本が学部生時代に取材をした京都産業大学研究機構職員の新中善晴さんです!京都産業大学の神山天文台とともに彗星の研究をした学生時代と、現在に至るまでの研究員生活を感じてください。

本記事は以下PDFでも公開されています。

https://drive.google.com/file/d/10Cf8Yy7V9A20KYK7Kn5s9huGkUico3VW/view?usp=drive_link

神山天文台の設立とともに駆け抜けた学生時代

本学で 4 年生の卒業研究で彗星に出会い、大学院生時代も彗星研究にひたむきに続けてきた。その 後は研究員として海外、国立天文台で研究経験をつみ、現在も京都産業大学の職員と研究者の 2 足 のわらじを履く新中善晴のこれまでの道のりを振り返る。

幼少期と大学入学まで

 現在は神山天文台の職員として荒木望遠鏡の管理をしながら、研究をしている新中さんだが、幼少期は家にあった星や宇宙の図鑑をみる程度で、とりわけ天文関連のことに関心があったわけではなかった。広島県出身の新中さんは大学からは一人暮らしをしたいという理由で関西にある本学、京都産業大学に進学を決めた。

彗星研究、河北教授との出会い

 現在でも続けている彗星の研究に初めて触れることになったのは大学四年生の卒業研究でテーマを決めるときだった。しかし、この時も新中さんは彗星研究をしている河北教授(現神山天文台台長)の研究室に希望して入ったわけではなかった。新中さんの希望していた研究室は当時人気の研究室だったので入ることができず、たまたま河北教授の研究室に入ることになった。

 彗星のことをまだよく知らない新中さんは河北教授に面白そうな研究テーマを提示してもらい研究を始める。新中さんは河北先生に毎日学校に来て研究をするように指示をされ、言われるがままに研究を続けた。研究が進むにつれて、意欲が沸いてきてそのまま大学院に進学することを決意。それまで就職活動も行っていたが、何とか大学院の試験を突破して本学の大学院に行くことが決定した。10月には学部四年生にしてアメリカでポスター発表を行った。その後も卒業研究を続けて大学生活を終える。

海外経験と大学院修士時代と大学入学まで

 2009年4月には本学の大学院理学研究科物理学専攻に入学し、卒業研究の時に行った内容をより多くのデータを用いた研究を行った。大学院ではドイツ、プエルトリコなど様々な国の学会発表を経験し、次第に海外に行くことへの抵抗はなくなっていた。さらに、研究を続ける中でさらに研究にのめりこみ、大学院博士課程に進むことを決意。修士課程から博士課程に進まず就職をする人も多い中、新中さんは大学4年から興味を持った彗星研究で博士課程まで進むことになる。そして、修士課程二年のとき、2010年に神山天文台が設立される。

装置開発の始まりと挫折

 博士課程に入ってからは彗星観測のデータ解析だけでなく、実際にそのデータを取得するための装置開発を始めた。荒木望遠鏡は現在では様々な観測装置が付いているが、神山天文台設立時は、望遠鏡本体と天体を見る際に必要な最低限の設備しか備わっていなかった。そこで、ハワイ大学88インチ望遠鏡(UH88)で利用の後、国立天文台ハワイ観測所に保管されていた装置を荒木望遠鏡に取り付けることになる。異なる望遠鏡に装置を取り付ける際には、取り付ける望遠鏡に応じた改良が必要だった。新中さんはその改良を通じて、観測装置について学んだ。博士論文として、この装置を用いて天体を観測することで、研究結果を出そうと考えていた。そして、博士課程2年のときに荒木望遠鏡に装置の取り付けが完了する。しかし、観測をして結果を出すのは時間がかかりすぎると感じ、観測装置に関する研究に一度区切りをつけることにした。この時は2年間挑み続けたことに対して結果が出ないことがわかり、辛い思いをすることになった。

アイソン彗星到来とともに再び彗星研究へ

 博士課程2年の秋ごろに装置開発以外の研究を始める。そんな時、アイソン彗星が到来する。彗星はいつ接近するかわからず、観測できる機会が限られているので、自分の研究スケジュールに合わせて新しい観測データを得るのが難しい。しかし、アイソン彗星はかなり観測条件の良い彗星だった。そこで修士課程まで行っていた彗星研究を再び開始する。ハワイのすばる望遠鏡での観測なども行い、その時得たデータを解析して博士論文を投稿。条件の良い観測をできないことなどから常に人材不足な彗星研究の分野で、数少ない若手研究者の誕生であった。

現在でも彗星の到来時は観測を行っている。事務作業 、観望会の業務や荒木望遠鏡の管理と並行して研究を行っている。

海外での研究員生活

 博士課程を2015年に修了し、博士の学位を取得。その後は、博士研究員として国立天文台、ベルギーのリエージュ大学で研究を進める。神山天文台にいたころよりも多くのデータを扱った研究を進めた。ベルギーから帰国後は、引き続き国立天文台でデータの解析をつづけ、その成果を査読論文としてまとめた。また、国立天文台では小惑星フェートンの偏光観測を指揮するなど、研究の幅を広げていった。その後に、河北教授から神山天文台で研究をしないかと声をかけられた。

再び研究者として神山天文台へ

翌年に研究員として、3年ぶりに神山天文台に帰ってきた。このときも荒木望遠鏡、ハワイのすばる望遠鏡などで得たデータを用いた研究をした。そして、2019年からは研究機構の職員として神山天文台の望遠鏡や各種機器の管理や天体観望会などの公開業務を兼任しつつ、研究も続けている。
 これまで新中さんは、大学や研究機関のような研究者に囲まれて生活してきた。大学職員という立場での仕事は経験のないものだったため、今でも社会勉強中だという。大学4年から始めた彗星研究で研究生活をスタートし、積極的に海外での研究経験を積んだ。研究を進める中で徐々に彗星に熱中して、今もなお研究者の道を歩み続けている。

研究紹介!彗星の研究とは?

取材・編集
弘前大学理工学研究科 山本峻

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