「裸玉」本編

「いま、ぼくは机に向かい、とある漫画原作の賞に出す予定の、この文字原稿を自室のノートパソコンで書いている……」
こう書くと、この漫画の作画担当さんはどんな構図でぼくのことを描写するのか?上から見下ろした感じか?それとも足元から見上げた感じか?その角度からだと、靴下の柄が派手なのですこし困る。
そもそもこの地の文は、どんな形で漫画のなかに出てくるのだろうか?たぶん四角のナレーションみたいなやつだとは思う。
わざわざこういうふうに今のぼくのことを書いたのは、これからするのが昔のぼくの話だからだ。
あいにく、この原稿は5000字を超えちゃいけない。だから、さっさと四年前のあのことをぶちまけてしまおう。

社会科準備室。
「つまり、うちの高校の中で部活に入ってないのはお前だけだ」
ぼくは先生に詰められていた。冴えない男子校の中では、眩しすぎるくらいに綺麗な女性だった。
「でも、先生も部活の顧問してないじゃないですか」
「してるが。将棋部の顧問」
「うちにあったんですか、将棋部」
「なんと、部員ゼロ人」
「それ、部として成立してないでしょう」
「だから昨日、校長に怒られたとこだ」
『部員がいないなら廃部で。そしたら野球部の副顧問やってもらうよ』
ぼくは校長の足元で、野球部のユニフォームを涙目で洗っている先生を想像した。
「嫌でしょうね」
「というわけで急遽、部員を募集中だ。お前入れ」
「嫌ですよ。放課後はパソコンをイジるか物語を作るのがぼくの日課なんです」
「じゃあ、こういうのはどうだ。将棋部に入って、わたしと一局指せ。それでお前が勝ったら、ひとつだけなんでも言うことを聞こう」
「なんでも、ですか」
「言っとくが、わたしはかなり強いぞ。安定してるから教師を続けてるだけで、今からでも女流棋士になれるくらいには……」

「じゃあ、先生の裸を見せてください」

先生はぎょっとしていた。ぼくは真剣な顔をしていたと思う。色んな意味で。
男子校の生徒なんてそんなもんだ。作画担当さんには、このコマに精一杯裸体を描きこんでくれればと思う。
「限度があるだろ、いやしかし……」
「先生はかなり強いんですよね。まさか負けるのが怖いんじゃ」
「勝負は連休明けの一週間後、この社会科準備室でだ」
先生は強く言い切った。

ぼくは家のパソコンにAIの将棋ソフトをダウンロードして、一番下のレベルと対局してみることにした。
気付いたらぼくの駒が全部なくなっていた。
「勝てる気がしない……」
ベッドに倒れこむと、乱雑に押し込んであったガジェットケースが目に入った。
「もしかして」
がちゃがちゃと中をまさぐると、ペンが入っていた。
「これと……」
机の上に目をやると、スマホとスマートウォッチ、それから将棋AIが動いているパソコンがあった。

一週間が経った。
「嘘だろ」
先生の、玉の周りの駒が全部なくなっていた。
種明かしすると、ぼくの胸ポケットに差さっているペン。こいつには、高性能なカメラが仕込まれている。いわゆるスパイカメラというやつだ。
これの動画データをスマートウォッチに送信し、スマホを通じて自宅のパソコンに転送。画像解析によって駒の位置を特定して、将棋ソフトで最適な一手を割り出す。
それが同じルートを通って、ぼくのスマートウォッチにこっそりと映し出される。3二金。
後はできるだけ格好良く、駒を動かす。
パチョ。情けない音がした。
「これで詰み……駒の動かし方はクソなのに、なんだこの強さ」
「ウッ」
「あらかたネット将棋あたりで指してたんだろうが、こんなの聞いてないぞ……」
「それより先生、約束、忘れてませんよね」
「あ、ああ。明日!明日見せるから。負けると思ってなかったから、今日は下着が可愛くないやつなんだ」
「約束ですからね」
翌日、先生は一枚の写真を持ってきた。
「どうだ、可愛いだろう。これは幼稚園に入る前だったかな」
「赤ちゃんの頃の裸じゃないですか」
「わたしの裸には違いないだろ。これで約束通りだ」
「今から文芸部に入部届を出してきます」
「わあ、待て待て」
先生はぼくに向かい合って言った。
「卒業まで、将棋部の活動としてわたしと毎週勝負しろ。お前が一回も負けなければ、今度こそなんでも言うことをきく。わたしの裸だって生で見せてやる。負けっぱなしは悔しいからな」
(毎週、か)
頷くぼくの首筋に、汗が流れた。

それからぼくたちは毎週将棋を指した。幸い、対局に集中している先生は盤面をじっと見つめっぱなしで、カメラやスマートウォッチに一瞥もくれなかったから、バレる心配はなかった。
(まさか目の前でソフトを使ってるとも思わないよな……)
「負け、負け、負け!今週こそはと思ってたが」
不貞腐れるのを隠さず、先生は口を尖らせている。
ぼくはほぼ無意識のうちに訊いていた。
「先生は、ぼくと将棋を指していて楽しいですか」
「なんだ、急に改まって」
「……すみません、気になったので」

「楽しい、というかは、嬉しいかな」
先生はすこし照れたように続けた。
「わたしはひとりで、部員もいないこの部の顧問に居座ってた。だけど、お前が来てからは毎週のように、じっくり指せる仲間ができたんだ」
「……本当に将棋が好きなんですね」
先生は撫でるように駒に指を乗せた。
「将棋ってのは、嘘がつけない。呆れるくらいに対等で、お互いに考えていることが丸見えで」
「裸の付き合い……なんて言い方は古いか。だけど、わたしにとっては将棋を指しているときが、一番本音で語り合えている、と思えるんだ」
そこまで言って、先生はちょっとだけ淋しそうな表情になった。
「……その点、お前の指し手はどうにも冷たいというか……壁に向かってボールを投げてる感じがするんだよな。多分、実力差がありすぎるからかもしれないけど」
それとも、性格が出てるのか?と首を捻る先生をよそに、ぼくは俯いていた。
「……一体なんで、でしょうね」
視線を落としてようやく気が付いたのだけど、ぼくはいつの間にか将棋盤の下で、手首のスマートウォッチを、右手で覆い隠すように握っていた。
若干の沈黙があって、先生は思い出したように言った。
「そうだ、今度の日曜日空けといてくれたか。前に言ってた日」
「……はい。えっと、なにかあるんですか」
「そのときになったらわかる。〇〇駅に集合な」

「もうすぐだ」
連れてこられたのは、どこかの会館だった。看板には、『高校生将棋大会』とあった。
ひゅっ、と肺が固まる感覚がした。
「驚いたか?こっそりエントリーを済ませておいたんだ」
なにも言えなかった。
遠くでスタッフが声を張っている。
「身に着けている電子機器は電源を切って取り外すようにお願いしまーす」

「ごめんな、急に連れてきて……やっぱり緊張したよな」
先生はボロ負けしたぼくをなんとか慰めようと、優しく声をかけてくれた。
その優しさが痛くて、なおさら顔が歪むのを止められない。
「しかし、普段通りの力が出せてれば間違いなく勝てる!次こそは落ち着いて……」
耐えられなくて、遮るように言った。
「先生。話したいことが、あります」

そうして、ぼくは洗いざらい、すべてを打ち明けた。
先生の顔は見られなかった。足元しか映らない視界の中で、先生の呟きだけが聞こえた。
「……無理に入れさせたわたしが悪かった。真剣に指す気がないやつを入れておいても、仕方ない」
そして、絞り出すように続けた。
「将棋部は廃部だ」
声が震えていたのを覚えている。

しばらくした日の下校時に、校庭で先生が野球部のマネージャーがわりでスコアを取っているのが目に入った。
一瞬目が合って、とても悲しそうな表情を浮かべていた気がして、すぐに逸らした。
家に帰ってから部屋の中で、ぼくは先生の言葉を思い出していた。
『わたしにとっては将棋を指しているときが、一番本音で語り合えている、と思えるんだ』
拳を握った。
ぼくはパソコンに「将棋 強くなりたい」と打ち込んだ。

卒業式の日、ぼくは先生を社会科準備室に呼び出した。

将棋盤の前で、ぼくは裸で座っていた。
先生は、そんなぼくを見つめたまま、ドアを閉めたままのポーズで、入り口で固まっている。
「先生、お願いします。ぼくと一局だけ、指してくれませんか」
「その前に、なんで裸なんだ」
「なにも着けていないことを示すためです。カメラも、AIも、画面も、ここにはなにもない」
「……いいだろう」
先生は静かに将棋盤の前に座った。

何十回も、パチ、パチ、と駒が鳴る音がしていた。終盤戦で、しばらく手を止めたあと、先生は口を開いた。
「どうやって、ここまで強くなった?」
「できることは、全部やりました」
自分の部屋を思い出す。将棋本が床中に散らばって、机の上は将棋盤と駒で埋め尽くされている。
「……先生に、ちゃんと謝りたかったから。対等に、本音を伝えるために」
「……」
先生は静かに語り出した。
「お前の指す手は、洗練されていて、なのに呆れるくらい人間臭くて……だからこそ、すごく伝わったさ」
そして、やれやれ、というふうに目を閉じたあと、
「負けました」
先生は優しく言った。
ぼくは「ありがとう、ございました」と言って、頭を下げた。いつの間にか溜まっていた涙がこぼれそうになった。
「……さて、卒業までにわたしがお前に一回も勝てなかったから、なんでもお前の言うことを聞くんだったな」
「えっ」
「約束だろう。それじゃ、前も言ってたように生の裸でいいか?」
胸のボタンに手をかけようとするのを慌てて止めて、しばらく考えたあと、ぼくは言った。
「……すみません、変えてもいいですか」
きっと、このときのぼくは涙でひどい顔をしていたのだろう。
「これからも……ぼくと、将棋を指してくれませんか」
「……次は負けねえぞ、バカ」

こうしてぼくは卒業した。

ここまで書ききって、ぼくはキーボードから手を離し、ベッドのほうを横目に見た。
彼女は下着もつけず、片膝を立て、もう片方の足を延ばしてベッドの上で座っている。
見つめているのは、将棋盤。
「下着くらいつけてくださいよ」
「あんなに見たがってた癖に」
「それとこれとは別」
「さすがにもう見飽きたか?わたしは悲しいぞ」
「なに言ってるんですか。部屋じゃ全然服着ない癖に」
彼女はせせら笑いながら、ノートパソコンのほうをちらりと見た。
「……賞を取れる保証もないのに、なんでそんなに頑張れるんだ?」
「賞はそりゃ欲しいですけど。でも、伝えたいことがあるから書くんです」
「……お前はいつも、わざわざ回りくどいやり方をする」
彼女は再び将棋盤に目を落とした。
「だけど、それが一番伝わるんだもんな」
ぼくも、彼女の前の将棋盤に目をやる。あの日、ちょうど彼女が投了したときの盤面だった。
「受賞して作画してもらわなきゃいけないなんて、回りくどすぎるかもですね」
「……最近は絵を描けるAIも出てるらしいじゃないか。もし賞を取れなかったら、AIに作画してもらうとかもできるんじゃないか?」
「漫画はそんな簡単じゃありません。『コマ』の配置だって、人間が組まなきゃ意味がない。なにより、人間が描く絵だからこそ、伝わるものがあるんです」
「ふうん、まあ確かに」彼女は駒を動かし始めた。
駒がパチパチと動いていき、盤上の駒がどんどん少なくなって、玉将は丸裸になった。
「AIに、わたしのとびきりの笑顔を描けるとは思えないな」
そう言って彼女はとてもやさしく笑った。
とても、とってもやさしく。

裸玉
指し将棋では、終盤戦で相手の攻めにより囲いが完全に消滅し、玉将のみが盤面に残った状態のことを言う。


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