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「何かを残すこと」(映画大好きポンポさん感想)

といといです。今日はアニメ映画の感想を!
6/4金に金にロードショウとなった「映画大好きポンポさん」という映画を見てきました。(ネタバレしないように努めましたが、情報ゼロではないです)

先に言っちゃうとボロ泣きしました。マジでおすすめです。
自分が選ぶために、全てを捨てたことがある人・捨てるかどうか迷っている人に送りたい作品です。

この映画に出会ったのはTwitter広告です。
もともとクリエイターの狂気の発露みたいな路線のエピソードが好きなのもあって、すごく興味を持ちました。(冴えかのとか、エロマンガ先生とか)

普段ゴミみたいなターゲティングしかしてくれないTwitterが珍しく仕事をしてくれたという所感です。アプリの広告じゃなくて、こういうリアルの送客の広告がもっとあってもいいのに。

ここから感想です。

その選択の中に自分を見出すことができるか

特に、僕に刺さったフレーズは、ポンポさんから抜擢され映画監督になったジーンくんのこの発言です。(宣伝ポスターとかにも載ってるフレーズです。)

何かを残すことはそれ以外を犠牲にすることなんだ

単純に字面だけ見ると、衛宮切嗣がでてきます。(誰かを助けるという事は誰かを助けないという事。)
クリエイターも正義の味方も、本質的には一緒でエゴイストでなければならないんですね。

さて、私たちの人生はいつも選択の連続ですね。

みんな選択をしている。
選択し続けて何かを捨ててきた人も、
選択出来なくて目の前にあることをこなしてきた人にも、
選択する時がある。

選択をしてきた人が、かっこいい。って感じることってかなりあります。
そこに意志が見えるからですよね。意志を持ってしまうと、やっぱり意志の反対側にあるものは捨てなければなりません。
選ばされるのではなく、自分の意志で選ぶ時、命のきらめきがあるのかも・・・

選択がカッコよくない場合ってどうでしょう。
ロジックはある。正しくもある。でも面白くない。そんな時な気がする。

「みんなの正解」を求めて、それだけを基準にして行動してしまう。
本当にがんじがらめで、自分の意志なんかもてない。
あー、そんな時の自分ってすごいカッコよくないなー、って思います。

ついつい、
Twitterでいいねを稼ぐためだけの、最大公約数的な当たり障りのないけど面白い・カワイイ投稿をしてみたり、
会社で上司の評価を得るためだけに、言われた通りのことを握って、言われた通りの範囲でこなしたり。

やっちゃう。やっちゃう。

“He who hides his madman dies voiceless.”
おのれの狂人をかくす者は、声もなく死ぬ
(Henri Michaux  アンリ・ミショー)

この言葉は、この間代官山に行った時に、たまたま立ち寄った写真展で引用されていた一説です。👇
ジーンくんの生き方同様、すごく深く刺さったわけです。狂人的な部分にこそ、「自分だから」選択する意味が生まれますよね。

俳優の顔面接写・毛穴まで見えちゃう・目には力がある、そんな俳優たちが写り込んでいる写真展で非常に力をもらいました。

自分は何を選んでいるのか。何を捨てているのか。何を選ばされているのかよく考えたいと思いました。

真の意味での”選択”の中にだけ、”自分”が浮かび上がってくる。
だから応援してくれる人がいるんだと、

選択できなかった人にも光が当たる。

僕がクリエイターのストーリーをいつも感じることは、「自分は彼らのようになることはできないのだ」という疎外感・寂しさです。
狂気のオタクっぷりを見せつけられ、圧倒的にすごいものを作り上げる彼らは、最初は社会から外れたものとして描かれるものの最後には栄光を勝ち取るというのが普通の筋書きです。
「映画大好きポンポさん」もその例にもれず、狂気のクリエイターが素晴らしいものを作り上げるという点で同様のものです。

対比的に描かれるのが、ハイスクール時代の顔見知りのアランくんという登場人物です。
成績もよく、彼女もいて、順風満帆な学園生活を送っていたが、「何も自分で選んでこなかった」タイプの人間です。

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「そつなくこなしていた」彼が、今の自分の立場だからこそできることを見つけ、立場など全て捨てて臨むプレゼンのシーンで僕はボロボロ泣いてしまいました。

僕も選ばなくては。

お金の動きって、結局人の心の動きなんだ。
想いに、人の意志の輝きに投資するってスゴく不合理なんだけど、
結局、後から数字が合うわけだなぁ。

想いのゆらぎが、ぶつかり合って波紋が広がっていくのがすごい良い。
誰かに動かされて、誰かを動かして、最初に火をつけた人の蝋燭の火がもし消えそうになっても、周りがまた火を灯してあげる。炎を大きくしていく。

限界を超えたものってそういう時に生まれるのかもしれない。
意志の炎を灯し合う。何かを捨てたもの同士が集まるチームっていいなあ

モノで溢れて、満たしたいと思った願望はなんだって満たせる世界観において、ロジック、単なるそろばんを叩いただけの結果では人は動かないのかもしれない。

意思による取捨選択の中にしか、
その人という人間を見出せない

僕の選択の中に、本当に僕がいるのかどうかを
改めて問うことになります。

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