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DAY TEN / 乾陵​ #023

昨日までとは打って変わって小雨交じりの寒空の中、唐の高宗と武則天の眠る乾陵を訪れました。.
中国史上 唯一の女帝である武則天、また夫婦ともに皇帝で、その二人が一緒に葬ってある乾陵は非常にまれな存在です。

唐の文明元年(684)に高宗がここに葬られ、その22年後の神龍2年(706)に武則天が追葬されたそうです。
唐の皇帝陵はどれも盗掘にあっていますが、この乾陵だけは未盗掘、しかも中国政府もここは当分発掘しないと決めているそうです。
北を向いて立った正面、石門と石門の間に 小高い陵墓がみえます、墓室はその下にあります。
陵墓に向かう神道の両側には 墓を守る10体の石像が並んでいます。

乾陵

乾陵の墓標と入場券(表裏)・クリックで拡大できます。

乾陵の墓標
入場券
裏面

10体の石像の先、高さ8メートルの石碑が神道を挟んで東西にひとつづつ建っています。
西側の碑は術聖紀碑(じゅつせいきひ)、武則天の撰文を中宗が記した書が刻まれています。
東側の碑は無字碑と呼ばれており、何も書かれていません。ガイドさんによると、己の功績や徳行はどんな文字にも書き記せないからという説と、 己の功績や過失は後世の人が評価するものとして何も刻まなかったという二つの説があるそうです。

術聖紀碑(じゅつせいきひ)
無字碑

武則天は中国三大悪女のトップにあげられていますが、それは自らに反抗するものは徹底的に殺してしまったからだそうです。しかし考えてみればまだまだ男尊女卑の社会において、女性が男性に依存せず生き抜くためにはそういう生き方しか選べなかったのかもしれません。
この写真、一枚目と同じに見えますが、実はこれ180度 振り返り、陵墓を背に南を見ています。
東西 二つの峰が、まるで女性の胸のように見えることから乳頭峰と呼ばれているそうです。

陵墓を背にみた

「六十一蕃臣」は,高宗が崩御した際の葬儀に列席した61か国の外国代表の像です。すべての頭がなくなっていますが、これは外国人の祟りを恐れて村民が破壊したとか、後に訪れた外国人が自分の先祖の並び順に不満で破壊したなどの噂があるそうです。

六十一蕃臣

続いて乾陵博物館を見学しました。

乾陵博物館
入口

乾陵の陵園には17の陪葬墓があり出土品は、国の重要文物保護単位に指定され、1970年に設立された乾陵博物館に収蔵されています。
​ここで目を引くのはやはり唐三彩。
クリーム色・緑・白の三色の組み合わせ、或いは緑・赤褐色・藍の三色の組み合わせを主としていることから三彩といわれています。
いかにも西方からと思われる人物像や駱駝像などはシルクロードの交流を感じさせますね。

唐三彩

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