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【拙訳】プロツアーこそが「マジック」だった by Zvi Moshowitz(CoolStuffInc)

 先日、MPL(マジック・プロリーグ)等の廃止が発表されました。

 多くのプレイヤー、特にプロの枠組みとしてのMPL入りを目指すプレイヤーには、特に衝撃を与える内容となりました。同時に、WotCの資金供給によるプロとしての活動は(多くのプレイヤーが)厳しいものとなりました。

 本件を受けて、旧来の名プレイヤー・Zvi Moshowitzが緊急寄稿。殿堂入りプレイヤーで、2001年のプロツアー東京をメタデッキで優勝したことも印象深いプレイヤーです。

 本稿では、プロツアー在りし日のMtGを想起し、「プロツアーとは一体何だったのか」「MtGのプロプレイヤーとは何か」、そして「これからプロプレイヤーが生まれるためには」を本気で語っています。

 少し長い内容になりますが、彼自身の今後の構想も語られています。ぜひご一読いただければと思います。

※約12,000字の長文です。閲覧の際はご注意ください。
※ひとりでも多くの方に読んでいただきたい内容です。全文無料で公開していますが、今回も作業にかなりの労力がかかっています。皆さまからの記事購入によるご支援、またはエントリ末尾からサポートをいただけると大変励みになります。ぜひよろしくお願い申し上げます。

↓原文はこちらから↓

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The Pro Tour Was Magic
Zvi Moshowitz
Posted on May 17, 2021


■技術と「文化」

 プロツアー。競技舞台の最高峰であり、本当に特別な場所でした。もし、その存在が失われてしまうとしたら、我々には何が残るのでしょうか。

 我々はとても、とても多くのものを失います。しかし、我々が失う一番大きなものは、誰もが見落としています。

 我々は、世界で最も優れた「鍛練の場所」を失うのです。明快かつ効率的な思考を行なう技術を育み、物事の理解を高いレベルで促す、そんな場所を。

 プレイヤーたちは、「ゲームを通じて世界を見る」能力、あるいはそうした願望を失います。彼らが得る真の賞品とは本来、彼らが栄光を勝ち取る過程で得た友や、それまでに培った技術である、ということに気付くはずです。この喪失はいかばかりでしょうか。明快かつ効率的な思考を行なう、そんな文化へのつながりを断たれることほど、大きな喪失はありません。

 もはやこうした文化は僅かしか残されていませんでした。今回の決定は、こうした文化を根こそぎ奪い取る行為に他なりません。このことが、(MtGという)ゲームにとって、世界全体にとって、どれほどの代償となるかは、想像に難くないでしょう。

 MtGというゲーム、ひいては企業としてのWotCは、プロプレイヤーの夢、そして最高レベルの競技の「見応え」「魅力」を失わせる選択をしました。MtGが今まで培ってきた歴史や、そうした歴史とのつながりを失うということは、すべての価値が無に還るということなのです。ゲームの競技性も失われます。従来のプロツアーというものは、必ずしも必要性に基づいて行なわれることではないため、企業において利潤を生みだすための手段として、もう少し合理的な実施も可能でしょう。しかし、実施することで生まれ得る、(利益なんかよりも、もっと)大切なものを失っているのです。

 私の得難い大親友たちは、ほとんどがMtGプロのコミュニティで出会った人たちです。あるいは、合理的な思考を目指す人々のコミュニティ(https://www.lesswrong.com/)で出会っています。明快かつ効率的な思考を目指す文化の普及を目指す、数少ない集団のひとつです。私の友人のほとんどは、このグループのどちらにも属しています。これは偶然ではないのです。

 私は、最高のひとりに献身的に報いるという時間を共有するために、スポーツ、あるいはその他の競技にのめり込みます。それは、他のことをまったく気にしないということではありません。ベストであること、そして、できる限り長い間、ベストの状態を維持し続ける、その方法を見つけ出すことです。
 私はよく、ギャンブルや株式交換の分野の情報を集めますが、これも、他の分野の専門家と協力して、知識や技術を身に付けることが、自身の為になると実感しているからです。

 私はMtGプレイヤーを、MtGの枠を超えて、自身の仕事のために雇ったり、一緒に仕事をしたりすることがあります。彼らは素晴らしい人間ばかりです。考えることの必要性を誰よりも理解していますし、物事を理解して正しくあろうとし、崇高な労働倫理を持ち合わせ、そして物事をやり遂げるための献身的な姿勢を崩しません。
 私はMtGを選抜基準にしているわけではありませんし、MtGが訓練や基礎教養にどこまで役立っているかは分かりませんが、訓練、文化の理解はともに重要だと感じています。仮に私の考え方が間違っていて、この手段で人間を選り分けているのだとしても、そうして集った彼らが共に手を取り合い、新たな肩身を目指す集団になれるのです。

 こうした技術、文化を、プレイヤー、そしてジャッジの皆さんがしっかりと共有しているからこそ、MtGは四半世紀以上に亘って高品質な製品を生み出してきたのです。今のゲームがあるのは、彼らのおかげと言っても過言ではありません。

 MtGのプロプレイヤーが世界を救う、などとは微塵も思っていませんが、もし世界を救う人間が現れるなら、その確率が高い順に私が5本の指に数えるのは、彼らの中からになると思います。

 極論を言い過ぎているかもしれません。ほとんどの読者諸兄には賛同しかねる内容かもしれないですし、私が何か根拠を示せるわけでもありません。しかし私は、こうしたコミュミティをひとつのモデルとして、広く共有すべきだと思います。

■プレイヤーと「パフォーマー」

 世はまさに大ストリーミング時代です。プレイヤーはエンターテイナーになりました。プレイヤーとして大金を稼ぎたいなら、自分のプレイを見たいと思うファンの支持を得て、その人たちを楽しませるために、毎日、毎日、時間を費やすことができます。

 成功すれば、プロツアーで生計を立てていたころよりも経済的には裕福になるでしょう。最高の生活というわけではありませんが、MtGというゲームをプレイして生活の糧を得ているという点では同じでしょう。

 問題は、そうした道を選んだ次点で、「勝つため」の技術にしか価値がなくなり、前述のような文化の構築は難しくなる、ということです。本来、この世界における正しい「技術」とは、客観性に基づき真実を探求し、デッキ構築やプレイ技術、原理や理論、その他の方法を突き詰める、そうした文化に他なりませんでした。
 我々はもはやそうした記録を残すことなく、配信のアーカイブはごくわずかな期間で消えていきます。すべてが曖昧で一過性のものとなり、インターネット上において瞬時にその価値へのジャッジが下されるのです。

 我々は計画的に公的な記録と順位、そしてそれを豊かで正しいものにしようとする努力、そうしたものを醸成する機運が必要不可欠なのです。その場その場の印象がほぼすべてになってしまうような一過性の世界は、慎重に考え、正確さを重んじることで、成功哲学を議論する――そんな鍛練の場にはなり得ません。

 配信の最大の特徴は、それが生活の一部にはなり得ず、0か100か、というものになる、ということです。以前は配信は合間の時間に行なわれるものでしたが、今から成功を収めたいのであれば、毎日毎日、フルタイムの仕事のようにオンラインにならなければなりません。中途半端な姿勢では報われません。「週末の戦士」はもう生まれません。本気でできるかどうか、これが配信者のすべてなのです。

 だからこそ、配信者は、イベントにお金が大量に必要であるということを実感していたのです。仕事を休むと怒られるのと同じように、「常にそこにいること」を積み重ねなければなりません。本当の意味で、「忙しなくあること」が重要になり、配信者が実際に共感を得たり、意味のあることをしていたとしても、常に配信をしていなければ、でたらめな仕事をしているように見られてしまうのです。

 MtGというゲームそのものは、少なくともしばらくの間は大きく変わらないと思いますが(この件は後で詳しく述べます)、ゲームに興じる「人」は完全に変貌してしまうことは想像に難くありません。インターネット上の意見で判断を行ない、尊大な態度が普遍的になれば、彼らの行なう訓練や努力は、(それまでの)行動や文化とは全く離れた方向に向かうでしょう。
 我々がスターと仰ぐべき人物は、最初から、そうしたタイプの人物ではなかったでしょうし、たとえ我々が傾倒を終えた後も、彼らは同じタイプの人間ではないはずです。そうした人物に憧れを抱く人もまた、そうしたタイプの人間にはなり得ません。

 だからといって、今までの「古い」方法が途絶えるわけではありません。主要な収入源を賞金に頼ることがなくても、新しい手法で古い方法を確立することは十分可能なのです。

 我々が求める新しいモデルの可能性は、いわゆる「やり込み系コミュニティ(https://gdqvods.com/event/agdq-2021)」(原文:the speedrunning community)が参考になります。やり込み勢は「インターネットでどれだけ注目されるか」を重視し、それによって報酬を得ていますが、タイムアタックへの挑戦には必ず達成時間が記録されるため、極めて客観的な方法でスコアが記録されることになります。世界記録は世界記録、あるいは自己ベストは自己ベスト、といった形で、関係者全員が技術を磨き切磋琢磨することに深く関心を寄せています――誰がどんな定義でそれに取り組んでも、です。ゲームの「やり込み系コミュニティ」には期待しています。
 また、私の大好きな配信者はJorbs(※)です。彼は、技術と分かりやすさの両者のバランスを常に気遣いながら、誰が見ても楽しめる配信を行なっています。彼のように数時間かけてビデオを見たいと思わせてくれる配信者は他にいません。彼は以前MtGもプレイしていましたが、公式からのサポートがないことに気付きプレイをやめてしまいました。偶然こうなった、ということはないのです。

(※訳者注:Jorbsはアメリカのプロポーカープレイヤー兼ストリーマー。Hearthstoneなどの配信を行なっている。スキルの高さと動画の面白さに定評がある。上記の通り以前はMTGOの配信も行なっていたが、現在は行なっていない。YouTubeチャンネルは下記)

 芸術家、ロックスター、作家、俳優、そしてコメディアンに至るまで、誰もが我々を導いてくれます。技術を磨き、研究することで価値を高めることができる、と指摘してくれる存在なのです。技術における気付きと学びの大切さを指摘し、それをどう力に変えていくかを教えてくれるのです。

 かくして、プロツアーが本当の意味で終焉を迎えた中、それに代わるものが与えられなかったとしても、プロツアーが担ってきた役割を担う新しい何かが生まれるのでは、と期待しています。過去に行なわれてきたことを再び行なうこと自体は可能だと思いますが、時代に即した新たな方法を模索しなければならないのです。

■マジック・プロリーグと「配信者」

 MPL(マジック・プロリーグ)は失敗だったのでしょうか?

 競技マジックにおける解決策として見れば、失敗だったのは明らかでしょう。新たな商品を世に問うためのプロモーション的な側面があったとしても、明らかに失敗と言わざるを得ません。優秀な才能が集まる場としても、かなりの大失敗と断ずるよりありません。非常に多くの資金と労力を費やしたにもかかわらず、何も得られませんでした。MPLは、かつてのプロツアー文化に置き換わるものではなく、視聴者の興味を引くことはできませんでした。私のような人間でさえ、世界最高峰のプレイヤーがゲーム史上最高の舞台で戦うにもかかわらず、何の興味も持つことができないほど、視聴者の興味を引くことができなかったのです。

 これは疑いようのない事実です。彼らに仕事を与える場所として代え難い場所であったことは認めますが、その仕事をさせることができなかったのです。

 MPLは、「プロプレイヤー」としての資格が消失して仕事がなくなっても、多くのプレイヤーがそこで生きていくための手段として、プロプレイヤーを配信者に生まれ変わらせることが必要でした。

 LSV(ルイス・スコット=ヴァーガス)、Nassif(ガブリエル・ナシフ)、Huey(ヒューイ・ジェンセン)、Reid(リード・デューク)、Cuneo(アンドリュー・クネオ)、Paulo(パウロ・ヴィター・ダモ・ダ・ロサ)をはじめとする多くのプレイヤーがコミュニティに残る可能性は、彼らが移行するための補助を受けていなかった場合よりもはるかに高くなりました。こうした取り組みは、私たちが過去の文化的つながりを維持し、別の未来へ向けて一緒に歩んでいく「核」となり得たでしょう。

 だからといって、このプロジェクトが資金、あるいは人々の関心を扱う母体として特別優れていたわけではありませんでした。度重なる失敗や、資金の使い道の無駄がなければ、もっとよりよいものが残せたはずです。私たちが得たものは、得られるはずだったものに比べると非常に少ないものになってしまったのです。

 本稿を書くにあたって、MPLの2日目の配信を見て、彼らの説明を聞きましたが、要するに「勝つことで何人かが資格を得るが、負けることで残り何人かの運命が変わってしまう」ということしか理解できませんでした。コメント欄は、予選フォーマットがスタンダードと告知されていたのに蓋を開けてみたら当日ヒストリックのデッキでエントリーできた、なんでだよ、という書き込みがほとんどで、WotCの誰もそれに回答していませんでした。(※)

(※訳者注:状況がわからず原文のまま訳しました。当該コメント欄の様子も含め、詳しい方がいたらぜひ教えてください。)
5/19追記:上記の件ですが、事前告知においてスタンダードだったイベントで、当日デッキ選択時にヒストリックのデッキが選択できてしまうエラーが発生した、という状況だったようです。教えていただいたWTRさん、ありがとうございました!)

 何もしない、という選択肢よりはよかったのでしょう。確かに、彼らが持っている資産に比べれば費やした額は僅かで、彼らがすべきだったことよりはだいぶ愚かで、ほとんどが無駄に終わったことであっても、何もしないという選択肢よりははるかにマシでした。

 その挑戦こそがとても貴重なのです。「やるべき価値のあること」に取り組めば見返りも大きく、その道中で多くの失敗をしたり、多くの時間とお金を無駄にする余裕もあります。多くのスタートアップ企業が優れた投資先である理由はこの理論によるものだと思います。まったく何も起こらなかったとしても、あるいはゲーム理論上大失敗だったとしても、人々に「何かをする」あるいは「将来的に何かするかもしれないものを生み出す」ことをさせているのです。それが何であれ世界は変わり、巨額の富が動き、それが生み出す利益の額とは比べ物にならないほどの多くの価値が生み出されるのです。そうした一見無駄に見える行ないが、企業を潰すことはありません。

 MtGを、正しくある人々のための、合法かつ現実的に「結局どこかの誰かがやるべきこと」に変え、その正しくある人々を選ぶことで、良いことが起こる機会が生まれます。企業利益を主眼に置かずに選ぶことでその行いは正当化されます。これほど価値のあることはありません。

 ほとんどの人はMPLは失敗だったと断ずるでしょう。私もそう思います。終わらせなければならないレベルの失敗です。しかし、この幕引きによって得るものがなかった、という論調には納得がいきません。新しい試みは、続けてこそ価値があります。MPLは実施すべきでない、ということが分かりましたし、(配信で)プロ制度を実現しようということが無謀であることも分かりました。これ自体は、素晴らしい成果なのです。

■「熟練者」と統率者戦

 統率者戦(EDH)(※1)は、今やMtGで最もプレイされているフォーマットです。まぁ、私の好みではないんですが。最後に統率者戦に興じたのは、対戦相手が3人で、BDM(Brian David-Marshall)(※2)が貸してくれたデッキを使いました。他の3人が結託しても叶わないような盤面を徐々につくり上げ、何度もターンを重ねるうちに、おそらくこのゲームをやったことが原因で頭痛がしてきて、他のプレイヤーが勝ちを譲ってくれたので、家に帰って頭痛を直せた、なんて思い出があります。このフォーマットを再びプレイしたいとは思いませんでした。

(※訳者注1)原文では統率者戦の解説ページ(日本語でいうMTG Wikiに該当)へのリンクが張られている。リンク先には、若干ではあるが統率者戦の成り立ちについての記載がある。下記参照。
(※訳者注2・5/19追記:Brian David-Marshall(ブライアン・デヴィッド=マーシャル)はMtG解説者(コメンテーター)、ライター。2018年頃までWotCの公式配信番組の司会を務めていたことで有名。Channel Fireballでも非常に多くの記事を積極的に寄稿していた。古来からのプレイヤーで競技的にも実力者。
 なお、MPL制度変更に関しては、発表当日にTwitterで深い悲しみを寄せている。下記ツイート参照。)

 統率者戦が楽しくなかったわけではないのです。確かに楽しめましたし、誰かを恨むようなこともなかったです。ただ、私が楽しみたい遊び方ではなかった、ということです。ゲーム空間の広さを感じましたが、私には合わず、結局デッキも組まずじまいでした。

 なぜ統率者戦の話をしたかというと、この遊び方は、そもそもWotCが自ら提唱したものでも、制作側の都合で生まれたものでもない、ということを伝えるためです。

 統率者戦は、プロツアーやグランプリの舞台裏で、そのイベントを運営する人々が生み出したのです。そうした人が集まり、ゲームへの愛情を(ルールやデッキで)表現することで、競技シーンに支配されない、競技的な雰囲気にもならない、しかしMtGの奥深さを体感できる、そんな環境を生みだしたのです。何年も何年もかけて、何度も練られ生み出された遊び方なのです。

 というのも、MTGAやMOは、プレイヤーが独自にルールを設定することはできません。WotCが明示的に許可したルールでしかプレイできないのです。

 また、統率者戦が制作側から生まれなかった理由も明確にあります。統率者戦は複雑で、厄介で、高額で、不便です。そうした複雑さを深く理解し、デッキ制作にかかった費用を最大限に活用できる、それだけの知識を持った人たちが生み出したルールなのです。それが広がりを見せたことで、本当の意味で「(ルールとして)成立した」のです。

 同じように、オールドスクールは競技的な側面からは解放されていますが、そもそもプロ文化という背景なくして、オールドスクールというフォーマットが誕生し、今のような盛り上がりを見せていることを想像できますか? その可能性もなくはないですが、私はその可能性は低かっただろう、と見ています。

「統率者戦は一般ユーザー向けのゲームであり、プロツアーを気にする必要はない」というのはおかしな話でしょう。プロツアーがなければ、そもそも統率者戦は存在し得なかったのですから。WotCは、統率者戦が広まった後にサポートを始めただけです。統率者向けの製品をつくるたび、当初生まれたころの魅力が失われていくのではないか、と心配しています。私が統率者戦に感じる魅力とは、「まったく別のことを念頭に置かれて作られたカードが、統率者戦で大活躍する」という点であり、環境は偶然の発見に満ち溢れているのです。「統率者戦の為の統率者カード」はこの原理原則に真っ向から反しているのです。

 さあ、統率者戦の次には何が生まれるでしょうか?

■R&Dの「功罪」

 これは統率者戦に限った話ではありません。「マジック;ザ・ギャザリング」はだれが作っているのでしょうか?

 そのほとんどは、元マジックプレイヤー、あるいはプロプレイヤーを目指していた人たちです。

 当然、例外もあります。クリエイティブ・チームは我々の期待通り、他の領域からやってきています。また、プロツアー成立前の初期から関わる人もたくさんいます。しかし、新しいカードが生み出される、その才能の最高の供給源は、プロのプレイングなのです。

 私が知り得る限りでは、他のTCGにおいても、MtGのプロプレイヤーはカードを生み出す最高の供給者であり続けています。多くのMtGプロプレイヤーが、多くのすばらしいゲームを生み出していますが、これは偶然ではありません。

 私は今「Emergents」というゲームを制作していますが、それを例にとりましょう。プロツアーがなければ、R&Dの皆さんと常に連絡を取り合い、いつも話を聞いてくれて(あるときはインターンを申し出てくれて)、ゲームをつくる技術を手に入れることはできませんでした。私が最初に雇ったのはBDMでしたし、二人目はAlan Comer(※)でした。3人目も同じパターンでの雇い入れになるでしょう。Brianは私と直接(MtGを介さず)出会っていても一緒にゲームを作っていたという確信はありますが、他の人たちとは出会えませんでした。MtGというゲームを通じ、深く理解し合うことを目的としていなければ、こうした効果は生まれなかったと思いますし、そもそも出会うことすらなかったでしょう。

(※訳者注・5/19追記:Alan Comer(アラン・カマー)は元MtGプロプレイヤー。2005年殿堂入り。1マナドローを大量に詰め込むことで土地を切りつめられる「ゼロックス理論」の提唱者として有名。Zvi同様にコンボデッキをデザインするのが得意なプレイヤーで、ナイトメア・サバイバルやスーサイドブラウンでのプロツアーサンデー出場が旧来プレイヤーの記憶に残っている。しかし競技マジックは早期に引退し、2002年~2005年にWotC社員として勤務、MTGOの立ち上げなどに貢献した。)

 何度も言いますが、これは競技MtGの性質、そしてそれを取り巻く文化が大きく関わっています。MtGというゲームは、最も深いレベルでゲームそのものを理解し、何がゲームを動かしているのか、それを知ることを大切にする――そうした文化を何年もかけて築いてきました。WotCは何十年もかけて、その理由を説明し、ゲーム、そしてそのデザインの歯車を包み隠さず伝えることで、私たちを助けてきたのです。

 私は配信者を「配信者として」雇い入れる予定で、非常に興奮しています。エンターテイナーとして、マーケターとして、そしてレコメンドや、ユーザーへのアプローチについての洞察を聞くことができるのです。デザインに関して、彼らの考えを聞くことも喜ばしいことですが、最初の何年かはそこに期待はしていません。彼らの才能は確かですが、スキルセットとして誤った能力を身に付けているのです。

■「自治権」と特権階級

 このコミュニティに期するところは2つあります。MtGの選抜メンバーが集う大会に頼らず、技術を追求することを目的に組織化できるのではないか、という期待がひとつ。そうした技術向上の目的をエンターテイメントと切り離すことができれば、何か大切なことの一部を捉えることができるようになるかもしれません。

 もうひとつの期待。それは、WotCを排した形で、新しい形のプロツアーを確立できるのではないか、という希望です。WotCはそこにいなくていいのです。プレイヤーの皆さんは、参加費、サブスクリプション、グッズ購入等によって、精鋭による大会のサポートを行なうことができます。Brian David-Marshallと私(Interpop※)は、そのようなシステムが機能する追加の収益源を生み出す準備ができています。

(※訳者注・5/19追記:"Interpop"はBDM、Zviなどが設立した企業。過去にもMTGOの開発などに関わっている。当時WotC側にいたAlan Comerも現在は籍を置いている。企業Webサイトは下記リンクより。)

 WotCの負担を軽減し、多額の資金流入を抑制することは、WotCへの報復とみられるのでしょうか? 確かに、そういう見方もできるでしょう。しかし私は気にも留めません。MtGは未だに素晴らしいゲームであり続けています。確かに、近年のセットや決定事項にはがっかりしていますし、競技面においては長い間、我々をずっと失望させてきたにもかかわらず。

 WotCが社として決めるべきは、自前主義を貫くか否か、どちらかを選択することです。公式のシステムを持つことは、他のシステムの参入、その正当性を否定することで、他のシステムを混迷させてしまうのです。正しい方法で大会を実現したいなら、自分たちでつくり上げる他ありません。しかし、WotCがプレイヤーたちの活躍の場をつくってくれないのであれば、彼らが取り得る最善の策は、我々を救済してくれるメシアは不在であり、そして、自らの手で何かをつくり上げる気のある人々を罰することはない、と宣言することなのです。

 決して、提供側に回ったふりをしないでください。

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(ツイート意訳)
Mark Rosewater
私が(全体の)1割しか語れていない投稿にたくさん返信を貰っているね。2つだけ大切なことを言っておこう。
1)プロによるプレイ機会は無くならない。競技的なプレイを君が望むのなら、すべてのレベルにおいて、それは続く。
2)(現存のMPLにいる)プレイヤーは最も大切な方々だ。彼らのために多くの時間を費やし議論していく。

Matt Sperling
あなたたちは、今回の投稿で、一握りのプレイヤーのみに権利を与え、その他のプレイヤーへの支援を削減する、ということを明確にしました。 支援継続を表現するために枠組み自体を崩壊させる、そのどこに説得力があるというのでしょうか。

 こんな風に、「プロツアーやグランプリは継続だ」という論調を見るたびに、私は怖くなります。このようなイベントには、それを実施するために必要なサポートが得られないと実現し得ないということが、きっと彼には分かっていないからです。私たちが望むレベルのサポートはもはや得られません。「プロプレイヤーになりたいなんて思わないでくれ。その夢はかなわない」とでも言ってくれればどれだけ楽でしょうか。きっと、その率直さと正直さには、本当に、本当に感謝するでしょう。

 もし前述の言葉が本当なら、取り消さず、もう一度咀嚼し直して、プロとしてプレイを支援してほしいと思っている人々に、様々な形で技術的な、あるいはその他の支援を提供する、と明確に宣言してほしいものです。そして、それを我々に任せてほしい。私の理想は、草の根活動に加えて、十分に大きな参加者数や賞金総額を誇るMtGのトーナメントに、様々な形の補助金を提供することです。
 これは、カバレッジや広告(チームが適切に使用できる予算として)を含むいくつかの複数の資金源を提供します。例えば、プレイネットワークの構築により予選を開催する、あるいはイベントにある種のステータス、勲章を与えて歴史に残る記録とし、何らかの意味を持つポイントを付与する(例えば、現金化可能な世界選手権以上の公式招待枠)、そして、現金支払いによる直接の補助(現金はいつだって素晴らしいものですから)。

 デジタルトーナメントについては、MTGAやMOに、トーナメント、あるいはその他プレイヤーが望む舞台を、他のツールを用いることなく実行する、そのための支援を行なうことが重要です。これが少しでも進めば、大きな効果が得られると確信しています。

 まだ、他にも足りないものがあると思います。

 このようなシステムがどのように機能すべきかという点では、私が邪魔にならないよう、主催者がやりたいことを支援することを提案します。プレイヤーは自ら投票権を持ち、システムを進化させていきます。新しい実験的なフォーマット、あるいはオールドスクールやプレモダン、チームロチェスタードラフトやセットルーレットなどの過去のフォーマットになっても、それは素晴らしいことでしょう。繰り返しますが、プレイヤーが自らの足、そして資金で意思決定を行なうことができる環境が理想です。どの遊び方もフェアであるべきです。ただし、統率者戦の理念が傷ついたり、破壊されたりすることはあってはならず、それは守っていかなければなりませんが。

 しかし、もしWotCが方針を転換して、旧システムを大幅に刷新し、自前のシステムを用意することになったとしても、私が不満を持つことはありません。ゲームは成長しています。今までのシステムは常に矮小でひ弱だったため、プロの為のシステムもそれに合わせて成長しなければなりません。そうなれば素晴らしいですが、私は現状それを期待してはいませんし、それを求めるだけの価値があるとも思っていません。

■今までと「これから」

 MtGは各々にとって在り方が異なります。私はもはやプロでもなんでもありませんので、MtGは皆さんと違う視点から見えているでしょう。そもそも、私がMtGを得意としていた頃から大分時間が経っている上、視点も変わっています。その時の思いとは随分異なるでしょうね。

 MtGというゲームの大部分は、WotCの下す決断や、残された我々がその結果をどう受け止めるか、ということに関わらず、長い間続いていくでしょう。もしいつの日か、ゲームがゆっくりと衰退していくことになったとしても、完全に潰えるには何十年という月日が必要でしょうし、その間、世界中で楽しい時間を過ごすことは妨げられません。私は今でも、ブースタードラフトやキューブドラフトに興じて、楽しい時間を過ごすことができます。素敵な時間は、いつだって素敵な時間のままなのです。

 しかし、ゲームそのものだけでなく、世界にとって、もっとも重要なものが失われるリスクが目の前にあります。一番大切なものを守れるのは、今ここにいる、私たちだけなのです。


【5/20追記:追加コンテンツを書きました】

 非常に多くの方にご覧いただいています。ありがとうございます。ささやかではありますが、追加のコンテンツを用意しました。上記文中でご紹介した、BDM(Brian David-Marshall)の一連のツイート(10連投稿)を意訳しました。下記リンクよりご覧ください。

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