笹蒲鉾_SURIMI

日本の伝統産業を考える「蒲鉾革命」Vol.1

平安時代から愛され、900年以上の歴史を持つ日本の伝統的な水産加工食品。

みんな大好き!

蒲鉾!!!!!!!!

…。

…。

「えっ、なんて読むの?」となってしまった読者の方へ。

答えは

【かまぼこ】である。

ちゃんと読めた人は、蒲鉾を肴に日本酒をたらふく飲める仲間だと信じている。

一方で、近年では食卓に上る機会も少なくなり、若い世代ではそもそも「蒲鉾」と読めない人も珍しくない。

胸が締め付けられる想いだが、受け止めなくてはならない悲しい現実だ。

日本は令和を迎え、新時代が幕を開けた。
だが、日本文化と共に長い歴史を築いてきた蒲鉾はかつての勢いを失い、時代の流れから置いていかれようとしている。

インターネットで蒲鉾の現状を調べてみると、「若者のかまぼこ離れが深刻※」のような記事を見つけた。

参考までにどんなことが書かれているかというと、

「若者ってかw 普段の食卓にかまぼこが出ることってあんまりないよね…w」

「若者 もともと かまぼこ食べてましたっけ?」

「かまぼこ食べたいけどお昼にかまぼこ出てくるようなお店なんて皆無だしとりあえず予定通り今日はパスタたべにいく」

「かまぼこあんなに美味いのに…と思ったけど、ファストフード系の外食ばかりだと食う機会がないな。」

などなど。

※参考:Gendai様執筆のNAVERまとめ記事より
https://matome.naver.jp/odai/2141050169429102001

正にな内容で、若者離れ云々以前の問題であろうことは生産量の減少からも明らかであるし、真摯に受け止めなくてはならない現状だ。

しかし、嘆いてばかりいても状況は好転しない。

私たちは、こんな厳しい状況にある蒲鉾業界に一石を投じるべく立ち上がった。

産業革命ならぬ、蒲鉾革命を起こすのだ。

そして、革命に至るまでの道程を実話記録として残していくことにした。

タイピングしている今、未来がどうなるかは分からない。

でも、大真面目に業界に革命を起こすべく、企画を練り、魚を練り練りして未だ業界に無い新しい価値を生み出す覚悟だ。


私たちがニヤニヤ出来るのは、

「今日の夕飯、何が良い?」と聞かれたときに

ハンバーグやカレーライスといった人気者を押しのけて、

「蒲鉾!!」と未来の子供たちに言ってもらえることだ。


そんなことを夢見ている。
おいしくて、沢山の人に愛される日本の食卓を彩るものをつくりたい。


さて、ここまで熱く蒲鉾業界のことを綴ってきたが、私は蒲鉾屋でなければ伝統文化の研究者とかでもない。もちろん蒲鉾業界の回し者でもない。

平たく自身のことを紹介すると、

漢字で、
時井 勇樹

読みは、
ときい ゆうき

である。

神戸在住の29歳。おうし座。
ビールと日本酒が大好きな最近腹回りを気にし始めた男の子である。

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…。

申し訳ない。
おそらく、知りたいのはこれを書いている私の名前とかデブまっしぐらな残念男の情報ではないだろう。

私が何をしている奴なのかだ。
周りからは「●●プロデューサー」と呼ばれている。

●●には「企画」や「販促」などマーケティングを分解した要素としての単語が入ることが多い。

少しだけ、自身のお話をさせて頂くと、

商品は良いはずなのに売れないであったり、面白い設備や変わった技術を持っているが活かし方が分からないという事業者に対して、販促提案をしたり、新商品のアイデアを提供して事業発展のお手伝いをする仕事をしている。

現場で見て触って、実際に企画提案者である私も売り場に立って販売してみたり。頭を云々唸らせて商品が完成したら、今度は販売店へ行って購入に繋がる売り方を販売員をしながら考えたりと、IT全盛の現代において、割とアナログな事業を展開する株式会社レヴァークという企業の代表をしている。

さて、これ以上自分語りをしていると本題を忘れてしまうので、蒲鉾の話に戻る。

ここまでの話で蒲鉾業界が近年、成長鈍化しているのは何となく意識してもらえたと思う。

この現状に危機感を覚え、相談してきた男がいる。

及川 善弥だ。

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彼は、創業130年以上の歴史を持つ老舗蒲鉾店「及善商店」の専務取締役であり、現当主の父(写真左)から後継を担う6代目(写真右、真ん中は良く笑う7代目)だ。

今年2019年1月に業界の現状を打破すべく、競合関係にある地元老舗蒲鉾店「かねせん」の次代後継者である斎藤 大悟と共に「三陸フィッシュペースト㈱」というベンチャー企業を創業した。

共に30代と若く、エネルギーに満ち溢れている。
同じ蒲鉾屋でありながら、保有する設備や得意とする素材、加工技術が異なるため、力が合わされば今まで出来なかったことが高い次元で可能になると考え、競合が手を取り創業に繋がるキッカケとなったそうだ。

彼らが本拠を置くのは、南三陸と気仙沼。
豊富な水産資源に恵まれた日本有数の港町だ。

2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災地でもある。
震災から8年が経った今も、町は津波対策のための嵩上げ工事をしているような段階で、彼らのお店も仮設商店街にある。

そんな中、前を向き懸命に商売され、会いに行けば笑顔で迎えてくれる。
この姿に元気をもらってしまう。

自分も何かしたいと思ってしまう。

初めての出会いは、私が学生のとき。
津波で全てを流され、真っ暗な被災地に街灯を届けるボランティアで訪れた2011年の12月だった。

私は以降、東北応援ブランドを立ち上げたり、販促セミナーを開講したりしながら自分に出来る小さな範囲ではあるが、東北の産業活性に寄与してきたつもりだ。

そしてついに2019年1月下旬、善弥さんからの何気ない一言で一緒に事業に取り組むことなった。

いや、ほんとにSNSって素晴らしい。
三陸フィッシュペーストの創業おめでとう投稿をFacebookにしたところ目敏く反応頂いた。


その時の実際のやり取りがこれ。

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因みに、サメを起点に話が進んでいるのは私が東北の復興震災支援事業として取り組むサメ革小物の専門店で代表をしているから。

もし、ご興味ある人は「アトリエシャーク」で検索してください。

こんな感じで本当に協業するの?と思われても仕方がない軽いノリ。

上のやり取りをしているのが2月はじめ頃。

実際に、この後すぐに期末の繁忙期に追われ、協業が実現するかも分らぬまま気付いたら5月に突入し、3か月が経過していた。

季節は変わり、暖かな春になり、気持ちも仕事も余裕が出てきた。

今年のGWは超大型連休。

ふと上のやり取りを思い出し、休み中に考えた思いつきの企画をFacebookメッセージで送信してみた。

相変わらずの素晴らしいレスポンスで、すぐミーティングしましょうとなり、ようやく時間軸が現在に追いつく。

こういう時に限ってハングアウトが接続不良で、久々にSkype立ち上げたら仕様の変わり具合に驚かされ。

初回は、2時間たっぷりブレスト。

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あまりに濃密で1時間過ぎたあたりで、ボーとしてたのは秘密だ。
善弥さんの目力を見るに察せられていたような気もするが気にしない。

内容としては、主にお互いの理解を深めるヒアリング、相互理解に時間を費やした。

・まず、私の蒲鉾への理解(業界・加工の工程など)が正しいか
・所有設備で出来ること、出来ないこと
・現状の販路や、取り組み事例
・今後の展望
・私のやってること、出来ること、出来ないこと
・協業条件
・提案企画の実現に向けて

大体、こんなことを話した。

話を脱線させることを得意技とする私は、日清食品が最近開発に成功した人口肉が10年後の食品市場にどんな影響を及ばすかなどの議論を強制的に挟んだりしていた。

それが為に2時間以上ミーティングに費やすことになった気がしないでもないが、これが時井だと諦めて今後もお付き合い頂く予定だ。反省はしていない。

ミーティングというかブレストする中で大切にしたのは、基本的に現状当たり前とされている製法や業界の常識を疑ってかかった。
そこに10年先に想定される市場環境を加味。

結果、浮かんだ可能性が「蒲鉾を食卓の主役にする」である。

目指す指針が出来た。
そして、開発する商品も私の提案企画をもとに仕様は決まった。

あとは、味やコストはもちろん、そもそも形になるのかを実験だ。
今、市場に流通しているどんな蒲鉾とも似ても似つかないものになるから、先行事例がない。
気分はさながら開拓者だ。革命はこうやって起こるのだろうか。まだ分からない。

とりあえず、工程ごとに商品をパーツ化して組み上げていくことにした。
パーツが全部揃えば商品の出来上がり。なんだかワクワクだ。

1か月後、最初のパーツの試作が出来る。
善弥さんの初仕事や如何に。

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