妹の存在

私には1歳年下の妹がいた。
彼女とは幼い頃は、喧嘩もしたしライバル意識もあった。
妹は愛嬌があり、大人に可愛がられるタイプ。
わたしは、見た目は生意気そうだが、人見知りが激しく
何を考えているのか周囲の大人は解りにくいタイプの子供だったと思う。
そうかと思えば、突然発狂したりして、自分の気持ちを言葉で表現することが苦手な子供時代だった。
そう。言葉にすると、怒られたり笑われたりすることが怖くて
話すことができなかったというのが本当のところだ。


そんな私をいつも助けてくれたのが妹で、私がいじめられているのを見つけると、傘を振り回して
「お姉ちゃんをいじめるなー---!」と
いじめっ子を度々追い払ってくれていた小学生時代。

喘息で学校を休みがちだった私は、妹よりも勉強ができず、
それでもできるふりをしていたのだが、
もう、できるふりができないと思い、
いや、できるふりすら全くできておらず、
宿題ができず、深夜まで終わらずにいる父は私の宿題を見ては
「こんな簡単な問題もできないのか。お前は本当に馬鹿だな!
何度教えてもなんでわからないんだ!どれだけバカなんだ!」
と言われ続けていた。

いや、1週間以上学校を休運でいれば、その間の勉強なんかわかるはずないじゃん!!
と心の声。


でも、言い返すことができないのは、父がいつも怒ってばかりいたからだった。


そんな中、わたしは妹に、恥を忍んで掛け算、分数、小数点、割り算を教えてもらったことがたびたびあった。
妹は、笑わずに馬鹿にもせず、私が理解するまで何度も教えてくれた。
同じことを何回聴いても、怒りもせず、あきれもせず、教えてくれた。
それが、私が小3から小6までいつも教えてくれていた。

妹は私にとってあこがれでもあり、何でも話せる相手でもあり、かばい合う仲でもあった。



結婚式の日。
わたしは、一応、実家から嫁ぐからと形式上ではあったが、
式の前日に実家に帰り、当日は実家から式場まで妹に車で送ってもらうことになった。

道中、車の中で
「H,起きてるかな。いつも時間にルーズだから来ないとこまるよね」
と妹と話していた。

そう、本当に時間にルーズで、約束の時間に遅れるなんて毎度のことで
許されて当然とのような行動を彼は毎度していた。

何度言っても、時間を守るということに重要性を感じることのない人だった。

まぁ、そんな男と知って結婚に挑んだ私は本当にチャレンジャーだった。

いや、なんというか、実家に自分の居場所が無いと感じていたし、地元にもいたくなかった。
まぁ、なんというか、田舎だったので良いうわさよりも悪い噂の方が、いち早く飛び交う、そんな街にいたくなかったのだ。

何とかして理由をつけて家を出たく、就職を機に、社員寮の有る会社へ入り、のちに夫となる実家住まいの男のところに転がり込み、結婚にいたったのだ。


そう、結婚式の当日、心配なのは、夫がちゃんと式に間に合うように式場に来るかどうかだった。
仕事もしていないし、疲れることもしていないわけだから、遅刻は無いだろうと思っていたが、心配だったので、妹にそれを託した。

私を式場に送り届けた妹は、夫に電話をかけてくれたが、出ないということで、マンションまで見に行ってくれたのだ。

寝ていたことが発覚。
確認しに行ってもらって良かったと後日談。


結婚式も終わり、新婚生活なのか何なのか、そんな日々。
相変わらず、働かず、パチンコにいく。

私の職場に、お金が無くなったから、お金が欲しいと
恥ずかしげもなく来る。
私は恥ずかしい。本当に恥ずかしい。

そんな悩みを打ち明けられるのは、妹だけで。

妹には語もっとなことをよく言い返され、私は傷ついていた。

お姉ちゃんが甘いから、そんなに嫌なら、別れるとか実家に帰るとかするべき。そんな男は本当にダメ。最初からわかってたことだよ。

と言われると、悲しくもあり、腹も立ち・・・・笑

そんな話を母は聞きつけ、私をかばったり、
妹には愚痴だけ聞けばいいと促したり。

そんな生活をしながらも、夫は仕事に就いたり、続いても1年や2年ももたずに辞めていく日々。

私は、子供ができれば変わるだろうと思っていたが、人は変わらないし、
ましてや人を変えることは本当に難しいしできないんだなと後に痛感した。

23歳で妊娠し、24歳で第一子を出産した私。

その間、いろんなことがあった。

妊娠中に、妹を事故で亡くした。

当時私はその事故のニュースを見ていた。

事故に巻き込まれた人も気の毒だけど、車を巻き込んだトラックのドライバーも気の毒だよな。とそのニュースを見ながら、
おなかの大きな私は、家事に疲れて炬燵でうとうとしていた。

その当時、仕事をしていた夫は、妹の事故を知り、私の両親や夫の両親、親戚まで巻き込んで、妹の事故の件を私に伝えるか否か、そうだんしていたのだった。

当時、私はニュースを見ていて、その事故で亡くなっている人がいることを知っていた。
だけれども、それが妹だとは気が付かなかったのだ。

なぜなら、私が見たニュースは
名前のテロップが間違っていたのだ。

苗字は同じだけれども、下の名前が違っていたのだ。

なので、「あ、地元にもう1件うちと同じ苗字の日とが確かいたはずだよな。」くらいにしか思っていなかった。


結局、家族会議の後、妹が亡くなり、つやの前日に
事実を、夫の母親と祖母から聴かされた。

ショックではあったが、なんというか、私の感情は、
結婚生活で少々おかしくなっていた。

悲しいとかの感情もなく。
なんというか、悲しいという演技になっていた。

妹を失ったショックは大きかったが、事前にそれは察知していた。

妹が高速道路で事故に巻き込まれて亡くなる夢を、妊娠初期に見ていた。
泣いて、実家の母に電話をした記憶は未だにある。

妹の知り合いには、人の未来が鮮明に見えてしまう人がいて、
その人に
「こういっちゃなんだけど、長生きできないから、気を付けてね」と言われ
ショックだったと、妹に相談されたことがあった。
その時の私は、妹に、
「最近は人生80年とか言われてるけど、80歳まで長生きじゃないってだけで、明日、明後日の命ってことじゃないでしょうよ。」
と不安をぬぐえるような話をしたが、

妹が、車で大阪に出かける数日前、
妹がいつもと違っていた。

いつもは、キラキラと輝いているオーラなのに
その日は黒いオーラだった。

わたしは、時々、子供のころから、人の周囲に色が見えたり
重さを感じたりすることがあった。


あの黒のオーラは、お別れの色だったんだなと
後に思った。

母は母で、
妹を見送るときに妹の頭上に
「これでおわかれ」
という文字が浮かんでいたそうで。

色々、不思議な体験をしている。

妹が亡くなる、前年には祖母が亡くなっており、
おばあちゃん子だった私は、おばあちゃん孝行ができずに
後悔をしていた。
そんなことがあった翌年に、妹まで失うとは。

これから誰に相談したり愚痴を聞いてもらえばいいのか。

妹を亡くし、私の心は、整い方も徐々に失っていくようになるのだった。

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