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形式から考える

何かを作る時は、作りたい中身に合わせて外側を考えるのが通常だと思う。

例えば本であれば、まず表現したい内容や文章があって、表紙を考える。または本のサイズや用紙や、書面のデザインを考える。音楽であれば、曲が先にあって、それに見合うジャケットやプロモーションの方法を考えたりする。

実際に何かものを作るときは、僕も長年そのように考えてきた。

しかしここ最近になって、内容よりも形式が先立つ場合があることに気がついた。むしろ、形式に先導されるほうが、スムースにものづくりができる。それはおそらく僕がアウトライナーを使い始めたこととも関係しているし、それよりも以前に、インスタグラムやTwitter等のSNSを表現や思考のツールとして積極的に使うようになってから顕著になったと思っている。

SNSの例はわかりやすくて、例えばそれぞれのプラットフォームには「縛り」がある。それはアプリケーションの設計や規格の制約で、投稿できる画像サイズや比率が決まっていたり、アップできるファイル容量が決まっている。ツイッターは文字数が決められている。なんでも自由に上げられるならそれはただのクラウドストレージになってしまう。(Xはそうなりつつあるのか)

ルールを設けることがプラットフォームを作り上げると言っていい。

ルールに縛られずに自由にやりたい。そういう気持ちはいつもあるが、逆に、ルールの中でどう遊ぶかというのが形式から考えることだ。

ミニマリズムの実践においても同じようなことが言える。

先ほどの中身と外側の例で言うと、部屋選びもまさにそうだ。使いたい家具を先に決めて部屋を選ぶのは難しいが、先に部屋を決めてしまって、その部屋に合わせて家具を選ぶのはそこまで難しいことじゃない。なぜなら、部屋によって、テイストと、サイズと、間取りが先に条件付けられるからだ。

家具を選ぶほうが簡単だ、という人は、ある程度家具に対して見識のある人だろう。何かピンとくる、出会ってしまったお気に入りを基準とするのはモノ選びのルールとして大切だとは思うが、それに部屋のほうを合わせていくのはなかなか難しい。技術がいる。

最近、スーツケースを手放した。これは動画でも解説しているので興味がある人は見てほしい。理由としては、単純に使用しなくなったから。正確には使用していた。しかし旅行や移動用としてではなく、部屋の中で保管ケースとして。ある日、スーツケースを開けてみて、いくつかの登山道具が入っているのを見て、これくらいなら、保管ケースとしての箱はもう必要が無いなと思った。同時に、スーツケースでの保管が不要になる程度まで、登山道具のほうを更に削ろうという気持ちが出てきた。

これはまさに形式に先導されている。容器を断捨離することによって、それに入らないものを手放すことができる。容器の断捨離ができないと、その中に入っているものを本当に使うのかという判断に着手することさえできないだろう。だから、スペースを取るような容器のほうをまず捨てることを考える。これが大事だと改めて思った。

スーツケースを断捨離したことによって、僕のメイン容器はバックパック一つとなった。そして、これまでスーツケースの中に入っていた登山道具を見直して、クッカー類をさらに軽量化し、収納袋もいくつか手放した。容器がバックパック一つとなったことで、バックパックのことについてより考えるようになった。(これで本当にベストなのか、もう少し容量を下げられるのではないか)

また、スーツケースを断捨離したことによって、PCの周辺機器を持ち運ぶことができなくなった。だからPCスタンドと、外付けキーボードとマウスも手放した。これは自分の作業時の体勢改善のために導入したものだが、それはヨガと使用時間の軽減でカバーしていく。

よく「形から入るな」と言われることがある。これは中身が伴っていない行為や表現は、よろしくないという考えを表したものである。しかし、形から入ることによって、得られることもあると思う。むしろ形を積極的に意識して、それで遊ぶことによって、新たな表現や制作の継続が生まれるのではないかと思うのだ。

Container by Leica SL2-S, Summicron 50mm

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