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自己紹介

はじめまして、田中常丸といいます。

現在、広告・雑誌やEコマースを中心にファッション写真と人物撮影をメインに活動しています。撮影以外にもスタジオディレクションやコンサルティング、オウンドメディアの運営など、写真にまつわる様々な仕事をしています。

写真以外には自然と音楽と旅が好きで、ミニマリストでもあります。そのような体験と生活を、おもしろおかしく時に真剣に発信しています。ノートでの執筆もそのひとつを担っています。

肩書としてはフォトグラファーですが、今は色々なことをやっているので自分でもしっくりくる言葉が見つかっていません。大きな写真賞をとってるわけでもないですし、木村伊兵衛写真賞にノミネートされるような写真集も作っていません。内田ユキオ先生の言葉を借りて「最後の文系冒険家」と名乗ったりもしています。

ただ言えることは、写真が好きなんです。

経歴と業績の詳細は下記をご覧ください。

noteではメンバーシップである「田中常丸のサークル」を運営しています。

サークルには「写真生活」という有料マガジンも含まれており、サークル限定の掲示板やnote記事を配信しています。写真生活の紹介は下記をご覧ください。


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この10年間は写真と共にありました。それでありながら、常に写真というものに懐疑的な気持ちを持ち続けています。私達を取り巻く環境は常に変わっているし、テクノロジーの進歩は凄まじいので。

写真が好きで、写真に救われてきました。写真を仕事としているおかげで、様々な場所を旅することができたし、いろんな人に会うことができました。しかし同時に写真に苦しめられてもいました。だからいつも写真に近づきながらも、少し距離をおいて、興味がある様々なことに挑戦してきました。その変化をようやく自分でも楽しめるようになってきたところです。

これまで使ってきたカメラの履歴をこちらに簡単にまとめています。


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1986年に長崎の小さな港町で生まれました。海外を船で回って、たまに絵を描くようなアバウトで大らかな父と、京都かぶれで山好きで几帳面な母により育てられました。祖母の時代は平屋の旅館を営んでいました。

長崎だからと言って上野彦馬の家業を継いだ写真館で育ったわけでもなければ、思春期の過程に写真があったわけでもない。(キャノンのコンパクトフィルムカメラと写ルンですで、少し写真を撮っていた記憶はある)

10代はバンドを組んで、ひたすら音楽漬けの日々を送っていました。音楽の学校に進学しようとさえ思っていた。

その後、宮崎の大学に進学して人類学という学問と、その師である東賢太朗氏に出会い、インドネシアに惹かれるままに滞在して、論文を執筆して、一応卒業しました。記録ためにルミックスで撮っていたバリ島の写真が、就職した後に、ボディブローのように効いてくることになります。

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気がつけば半年もせずに大企業の「社会人」を降りて、写真事務所の門を叩いていました。スーツを着て同じ時間に同じオフィスに出社して、上司にとやかく怒られながら営業をするのは、性質上ムリでした。それから写真にまつわる冒険が始まります。この時はそれが10年先も続いているなんて、思ってもいませんでした。

初期の頃から、海外のフォトグラファーたちにも多くのことを教わりました。特にアートとファッション分野の写真家たちから学び、若手ヒーローを常に追いかける日々でした。アシスタント時代のちっぽけな収入は、すべて写真集とフィルムと食パンに消えていきました。そういう意味では、写真そのものよりも、”写真家たち”にいつも勇気をもらって生きてきた気がします。

商業写真に関しては、五味彬さんと米田歩さんに多くを学びました。特にお二人にはファッション写真の本質を教えていただいて、現在も写真を考える上でのベースとなっています。

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今でも写真にまつわる冒険の最中にいます。その冒険を個人的観点からゆるやかに紐解くことを試みています。子供のように、何か面白いものを撮って、ほら見て、と。伝えたいことを、伝えたい相手に見せながら話す、昔ながらの写真の立場を大切にします。写真と、そして書くということで何が生まれるのか。それは既に写真ではないのかもしれないけれど、同時代の中でみなさんと共に考えを共有できることは大きな喜びです。

いつも応援してくださる皆様に田中常丸は支えられています.本当にありがとうございます.